この冒険のスタート地点として当時からさらに15年余遡る1970年代半ばのこと、当時高校生だった俺  は、その頃「アメリカン・ニュー・シネマ」といわれたアメリカ映画全盛期の真っただ中にいた。「俺たちに明日はない」「真夜中のカウボーイ」「明日に向かって撃て」などの60年代末期の名作のパワーがそのまま70年代に引き継がれ、「ダーティー・ハリー」「フレンチ・コネクション」「時計じかけのオレンジ」といった当時のコピーで言う"スーパー・ヴァイオレンス"の秀作が続々と公開された。   「ハリーとトント」「アリスの恋」「グッバイガール」といった情感溢れる名作もその頃だった。   とにかく当時は映画と音楽に明け暮れていた俺にとってアメリカが憧れだったのは言うまでも無い。    75年のアカデミーを競い合った「カッコーの巣の上で」と「狼たちの午後」はそんなアメリカへの憧れを持つ若者達に畏怖の念を抱かせた秀作だった。ベトナム後のアメリカは「死」というものに正面から対峙する様にさえなった。60年代のフラワー・ムーヴメントに象徴されるヒッピ−文化が無責任にラヴ&ピースを唱えていたことで一層その現実主義的なテーマは説得力を持つ結果にもなった。しかしその本質にはまったく逆に「生」に対する執念があった事も事実だった。「悪魔のいけにえ」「激突」といった作品には特にそれを感じたものだった。そして同時に「生」とは「性」そのものであるとする価値観が確立されたのもこの年代だった。映画に限らず様々な面で「セックス」がテーマになった時代でもある。そんな頃、たまたま深夜映画を観に出掛けた俺はジェーン・フォンダの「コールガール」と一緒に上映されていたミッチェル・ブラザース監督の「グリーンの扉のかげで」という"もろ"ハード・コア・ポルノを観た。「ビハインド・ザ・グリーンドア」という原題の今でさえ過激なポルノ映画である。 「スター・ウォーズ」「スーパーマン」「エイリアン」といった現実離れした作品が次々に公開されていた時期的なタイミングもあって、俺はこれを機にアメリカン・ポルノの面白さを知る事になった。  
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