「デジタル時代だっ!」って手放しで喜べるものだろうか?

21世紀に入って世界のメディアはほぼデジタル化された様だ。
日進月歩のテクノロジーの恩恵にあずかる我々人類のとりわけ若い世代の人間たちはすでにアナログの存在は言うにおよばず、その実体験さえも無い者も多いといわれる。
ハウス・ミュージックなどに興味を持つ一部のファンはターンテーブルとミキサーを揃えてアナログの世界を楽しんでいるらしいが、それも極少数であり、目的もまったく違う。
メディアとしてのアナログとデジタルの比較で語ればそれは音楽と映像だろう。我々昭和生まれにとってレコードは必要不可欠の存在だった。マスターカッティングからプレスされて生まれるアナログ盤には録音時のスタジオの空気とエネルギーが聴き取れるのだ。それに対してCDでの音楽はたとえデジタル・リマスターによる高音質とうたってはいても、もはやそれは音楽というより信号でしかない様に思う。同じ曲、同じアルバムを聴いてもだいぶ違うのだ。扱いはCDの方がはるかに優れてはいる。認める部分の多い事も事実だ。しかし、文化としてのソースはアナログでしか保存出来ないと確信している。
それがMDでもハードディスクでも現在のいかなるデジタル機器をもってしてもクリアできない聖域なのだ。
アナログの存在意義のいかに重要だったかが今になって解った。
映像の世界も完全にデジタル化されている。信号を磁気テープに記録するビデオが登場した頃は形がフィルムに似ていたせいもあってそれほどの違和感は感じなかった。
現在のDVD等に代表されるデジタル・ビデオ・ディスクはやはりCDと同様に信号を焼き込んでいるに過ぎない。
画質ばかりが騒がれているが、要するに保存の点でまったく価値がないのだ。そもそも電気機器でしか再生できないこれら諸々のメディア。現在では映画館で公開される作品もハードディスクによる供給である。
映像のアナログ領域はやはりフィルムだ。画質を追求していく段階でフィルムの幅が大きくなっていった。しかし、もはや再生機すら創られていない。
明治・大正時代の記録フィルムが見つかって歴史に真実をもたらすといった事件もたまに起こるが、そんな話を聞くと一層ソースの保存は間違いなくアナログだと確信する。
もし、電気がなくなったらどうなるのか。実際にハリウッドでは最新の作品でも保存のためにフィルムに納めて保管しているとも言われている。時代とともに進化していく技術の裏では意外にもしっかりとアナログの価値観が息づいている証拠だろう。
エレクトリックのバンドが停電時に何も表現出来なくなるというおかしさにも似た現象が実際の我々の生活でも現実問題として起き得る事実を認識すれば、アナログの必要性とその価値が再認識されて当然だと思う。
これはコンピュータ時代のEASYな価値観を問いただすひとつの警告かも知れない。
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