THE EPISODE
1967年4月、ポールは当時の恋人ジェーン・アッシャーを訪ねて彼女の公演地アメリカに出掛けた。同行したマル・エヴァンスとロサンゼルス、デンバーなどを巡り8ミリカメラを撮りながら思いついたのがTV映画の企画だった。ポールはイギリスに戻る飛行機の中でタイトル曲の歌詞や場面のアイデアを練りはじめる。その後彼等のマネージャー、ブライアン・エプスタインにこの企画を打診すると彼は乗り気でゴー・サインを出した。
最新アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の完成を間近にしていたビートルズはこの時点ですでにタイトル曲のレコーディング・セッションを始めていた。この時期の彼等は脂の乗りきっていた時でもあり精力的に活動していた。それぞれがビートルズとは離れた部分でも個々に仕事をこなしていた時期でもある。
ビートルズとしてレコーディングを続けながらも同時並行的にリンゴは「キャンディー」への出演、ジョンは前年に撮影した「ハウ・アイ・ウォン・ザ・ウォー」の映画公開が決まっており、必然的に「マジカル・ミステリー・ツアー」の原動力はポールに委ねられることになる。この年のクリスマスに放映しようという案がかたまるとそれに向けて新曲の録音が始まった。
基本的にはこの作品に収められている曲はすべて「サージェント・ペパーズ」のレコーディング・セッションの流れの上に成り立っている。すなわち一時ジョンが「サージェント・ペパーズ Vol.2」を作ろうと言っていた事実を裏付けている訳でもある。
当初、この映画の計画は順調に進む筈だったが8月27日突然のエプスタイン変死という衝撃的事件がビートルズを混乱の真っただ中に引きずり込む事になる。そして「マジカル・ミステリー・ツアー」の行く先に暗雲が立ちこめる結果にもなった。
エプスタインが亡くなって2週間後の9月9日に「マジカル・ミステリー・ツアー」がクリスマス映画として製作されることが正式に発表される。そして3日後の11日からビートルズは彼等のファン・クラブの事務局員や雇ったコメディアン、俳優ら総勢43名のロケ隊を率いて2週間の予定でデボンに向かった。映画の脚本はおろか監督もおらず、行く先々でのハプニングやその場のフィーリングでカメラを回すといったある種アヴァンギャルド的な手法から撮影は続けられ、たった1時間足らずの作品のために10時間を超す撮影がなされという。実際のバスは混乱を回避する意味からもあの派手なロゴは見当たらない。すなわち映画に登場するロゴをあしらったバスのシーンは編集されたものと推測される。撮り貯められた各シーンからストーリー性を作り出す演出として彼等がマジシャンに扮したシーンを追加したりところどころで新曲のビデオを挿入することで今では当たり前となったMTVの原型ともいえる作品となった。特に公演がなくなった後で演奏するビートルズをテレビを通じて世界中のファンが見られた事は有意義だった様に思う。
作品の編集段階でポールは「フール・オン・ザ・ヒル」のイメージに会うシーンが見つからなかったため急きょコート・ダ・ジュールのニースに行き、早朝の山の岩場で撮影をした。フランスはユニオンのルールが厳しいために無断で映画の撮影をする事が難しく、そのために朝早くに撮影を済ませたという経緯があったようだ。
「アイ・アム・ザ・ウォルラス」の撮影はケント州メイドストーン近郊にあるウエスト・モーリング・エア・スタジオで行なわれた。ここは第二次大戦中アメリカ空軍基地施設として建てられたもので格納庫内の弾薬を攻撃から守るための巨大なコンクリート・ウォールが30枚以上設置されており、イメージ的に最適だと判断された。
「フライング」の流れるシーンは後にアップル・フィルムを指揮する事になる映像プロデューサーのデニス・オデールが一時期参加した映画チームで撮り貯めてあった空中からのショットを使った。実はそのフィルムというのがスタンリー・キューブリックの風刺映画「博士の異常な愛情」のクライマックスであるピーター・セラーズがB52につかまって爆弾を落とすというシーンのために撮られたものなのだ。ビートルズはそのフィルムをサイケデリックなアートに変えてしまった。
「マジカル・ミステリー・ツアー」関連のグッズも多数存在する。ツアー・ロケの様子を現地写真と関連記事で紹介していたボックスセット(UFOブックス/1992年)にはオリジナルCDと写真集、世界限定2000個のシリアルナンバー入りの証明書、ハレ・クリシュナ・バッヂ、実際のロケ・コースを示す地図、バスのナンバープレート・ステッカーが封入されていた。また、ポールと常に行動を共にしていたローディーのマル・エヴァンスのプライベート8ミリから製作したビデオ(VEX Film/1992年)は5000本限定でブリキのフィルム缶に入れられて発売された。そこには'66年のケニヤ、コロラドへの旅行の様子が収められており続く'67年のマジカル・ミステリー・ツアーの撮影の様子が10分ほどではあるもののしっかりと収録されていた。珍しいところではロゴをループにデザインしたネクタイも発売されている。この作品が世界中のファンからいかに支持されているかがうかがえる好例だろう。
公式レコードではアメリカ編集盤がオリジナルの6曲をA面に、同時期に発表されたシングル曲をB面にしたLP盤という形でのリリースだった。ジャケットもオリジナルのものよりも派手なイメージである。
同じ構成でファンに人気なのがドイツ盤だろう。独特のデザインはカラフルでこの作品のイメージにとても合っている。オフィシャル・マンスリー・ブックの53号ではマジカル・ミステリー・ツアーが特集されていた。わが国のオリジナル盤は東芝のオデオンからリリースされた2枚組EPで、赤盤と黒盤の両方が存在する。このレコードがどれだけの夢を我々ファンにもたらしてくれたか測り知れない。
ホーム トップ