幻のアルバムゲット・バックからレット・イット・ビー
ビートルズ初のダブル・アルバム、通称「ホワイト・アルバム」の話題が続く中、彼等のサイケなアニメーション映画「イエロー・サブマリン」のサントラ盤が1969年1月にリリースされた。このアルバムにはビートルズ自身の新曲がたった4曲しか収録されておらず、B面は彼等の重要なプロデューサーでもあるジョージ・マーティンのオーケストラによる映画の為に書かれた楽曲が収められるという、ファンにはいまひとつ煮え切らない内容の作品として発売された。当時、中学1年だった私は  次にリリースが予定されていたニュー・アルバムのために小遣いを貯めていた。毎月発刊される音楽雑誌「ミュージック・ライフ」を欠かさずにチェックしていたので、この新作アルバムが「ゲット・バック&9アザー・タイトルズ」という題での発売になる事は既に知っていた。その後、毎月情報をチェックしていたが、その都度発売が延期されたという発表がおよそ半年あまり続いた。一体どうなっているのだろうか?と不思議に思っていたその秋になって、いきなり聞いた事のないタイトルのアルバム「アビイロード」という新作が発売された。その内容は素晴らしいもので、まさにビートルズ音楽の集大成ともいえる満足のいくアルバムだった。それでも「ゲット・バック」の事が気になっていたことも事実だった。実際、発表されていた収録曲がまったく「アビーロード」には入っておらず、ますます謎が深まった。今でこそ、その時に実はビートルズの内部闘争が繰り広げられていたという事はファンなら誰でも知っている事実だが、「アビイロード」の完成度からしてそんな事は微塵も感じられなかったのである。発表順から言えば「ゲット・バック」すなわち「レット・イット・ビー」がビートルズのラストアルバムとされているが、実際は「アビイロード」が最後のビートルズによるレコードとなる。ビートルズ解散の前奏曲ともいえる「ゲット・バック」のセッションは1968年から始まっていた。それからおよそ2年の間に彼等は最高のアルバムと最低のアルバムを同時に製作していた事になる。何とも形容し難たい、しかし凄いバンドだったと言えるわけである。

当初、このアルバムは彼等のデビュー・アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」のジャケットと同じにE.M.I.スタジオの階段でのショットを使う事になっていた。紆余曲折を経て、アルバム・タイトルは「LET IT BE」に決定された。しかし発表直前になって不仲の極みに達していたジョンとポールの仲たがいから、当時新しいマネージャーとしてアップルに踏み込んで来たアラン・クラインはジョンと組んで「LET IT BE」のマスター・テープをアメリカの売れっ子プロデューサーのフィル・スペクターに託し、大げさなストリングスやアレンジで最低のアルバムを産み落とす事になる。アップルをめぐる裁判で結局負けてしまったポールはこのアルバムのリリースを止める事ができなかった。そしてポールはビートルズとして発表するために用意していた数曲を、解散後のソロ・アルバムに収録したといういきさつがあるのだ。ちなみにその曲とは「ジャンク」、「テデイ・ボーイ」等である。

最終的に公式盤としてリリースされた「LET IT BE」は彼等の最後のアルバムというかたちで同時に彼等の最後の映画のサントラ盤の意味合いも持っている。映画の中ではところどころにジョンとポールの主導権争いが露骨に映し出されていて、ファンとしては複雑な想いでスクリーンを見つめていた覚えがある。冷静に見ればビートルズの分裂の兆しはすでに「ホワイト・アルバム」から始まっていた。それまではメンバー全員の共同作業でたくさんの素晴らしい曲が創り出されていたのだが、「ホワイト・アルバム」ではメンバーのそれぞれがばらばらにスタジオに入って自分の思い入れだけで曲をレコーディングするという状態が慢性的になっていた。勿論才能豊かな連中だけにどの曲も素晴らしい事には変わりはないが、あの「アビイロード」で聴かせてくれるビートルズの唯一無二のハーモニーと演奏を思うと、もっともっと頑張って欲しかったとつくづく残念に思うのである。
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