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◇南風見田キャンプ 1(2002-12-07)
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青年会でキャンプへ行くことにした。
とは言え、土日を連休できる人間は、この西表では極めて少ない。
メンバーには11月中から声をかけておいたが、良くて男4人女3人ってところだった。
まあ、それで十分とも思っていたのだが、いさ前日。皆都合がつかず、結局男3人女1人子供1人で行くこととなった。
当初の予定では浦内川の支流、板敷川の奥にあるマヤグスクの滝へ行く筈だった。
だが、上手くいかない時というのはこんなもので、前日まで2週間も南風の吹く夏のような天気だったのが、当日朝からしとしとと雨。
一緒に行くウンペー君の家で準備をしながら、天気を見極める。
もうすぐ雲は抜けるんじゃないか、と一筋の希望にすがりつつ、メンバーの冬ちゃんやマサと一緒に警察に入山届けを出しに行く。

基本的に西表の山に入る為には、警察と営林署に入山届けというものを出さねばならない。
勿論、入山、下山予定時刻を明記しておくことで、遭難時の迅速な対応が可能となるのだから、ある意味、ありがたいものだ。
にも関わらず、出さずに入山するものも多い。こういう地元で決めたルールは観光客と言えど、最低限守ってもらいたいと思う。

さて、せっかく届けを出したものの、いっそう雨は激しさを増してきた。
う〜ん。困った。
一応、営林署にも届けを出す為、祖内の方に向かう。その途中、浦内の橋の上を通った。
全く酷い。
橋の上から見た浦内の上流方面は真っ白になって分厚い雨の幕に閉ざされていた。山もその雲の中である。雨は当分続きそうだ。
仮に夕方止んだとしても、道は沢になり、川は増水して遊ぶどころではあるまい。
これじゃあしょうがない。
ましてメンバーにはウンペー君の息子のフータ2歳もいる。大人でもきついこの雨に子供もいるでは残念だが、決めざるを得ない。
「マヤグスクはやめとこう!」
皆納得し、引き返す。

ただ、せっかく準備してどこも行かないではこれも勿体無いので、どこかの海岸でキャンプすることにした。
どこで言っても、キャンプできる海岸は決まっている。水場があり、それなりに人里から離れている場所。北岸も良いが、ここは道路に近すぎる。
結局、南海岸へ向かうことにした。
ここなら毎月仕事で向かっている僕が詳しい。いくつか適したキャンプサイトも心当たりがある。

南海岸というのは、まあそのまま南の海岸という意味だ。大体歪んだ四角形をしているこの島の南岸に延々と続く海岸線。
砂浜とゴロゴロと大きな砂岩が転がる磯とが繰り返し続く。
俗に言われる南風見田(はえみだ)の浜というのは豊原の集落の下辺りから続く長い砂浜のことで南海岸の一部に過ぎない。
にも関わらず、それぞれ名前がついた大小の浜をひっくるめて南風見田と呼んでしまう。
それぞれの名前が無名であるのに対し、南風見田という名前があまりにも有名だからだろう。

南風見田には歴史がある。波照間島民の強制疎開によるマラリヤ集団感染。それによる多くの病死者。
「ワスレナ石」は悲しい史跡として、今も地元民や観光客の足が絶えない。

さて、僕らを乗せたワンボックスが東部に向かうに従い、雲が少し薄くなっていくのが分かった。古見の辺りでは逆にいっそう激しさを増したが、それは古見ならでは。
この集落は雨が似合う。大昔からこんなふうに雨の中に佇んでいたのだろう。

車中、親川スーパーで買った昼食を皆で食べていたが、フータがとにかくすごい。食う量も一人前なら、食べ零しは3人前。服にもズボンにもご飯粒がつきまくっている。後部座席で面倒を見ている冬ちゃんも大変だ。「キャー!」という悲鳴まじりの声が聞こえる。
フータはお母さんと弟のハズキは事情で来れないのだが、「気晴らしに行って来たら」という言葉で父子で参加している。
前の日記にも書いたが、2歳にしてはとても歩く。当初のマヤグスクでも、ウンペー父ちゃんは、往路は歩かすつもりでいたようだ。

勿論、ウンペー君にしても世話が焼け、大変であるには違いないが、それを面倒とは思わないところが彼のすごいところ。
厳しくも優しいいい親父である。

さて、車は大原を過ぎ、豊原を越えた。県道の南風見ー白浜線はここで終わるが、そのまままっすぐ農道を進む。
サトウキビ畑や牧場の中の細い農道。その突き当たりが南風見田の浜である。
その手前、右手に赤土が広がる開けた土地があった。点々と苗木が植えてある。
ここが今度作られたキャンプ場のようだ。

南風見田の浜にはキャンパーが多い。一応、キャンプ禁止の場所ではあるのだが、いつでも千年キャンパーや万年キャンパー達がいて、砂浜の奥の海岸林内にはところどころブルーシートの屋根が見える。
彼等はこの浜に1年、2年と長期滞在して、野外の生活を楽しんでいるのであるが、それはそれとして問題も多いのだ。

例えば、最近では2年続けて病死者が出た。こういうところでキャンプをはる人達だから、孤独を好む場合も多い。敢えて隣のキャンパーを訪ねたりはしない。
が、それ故、もし自分が病気になって、立てなくなってしまっても、誰も自分を訪ねてくれることもない。食料は尽き、水も汲みに行けず、そのまま餓死してしまうのである。
管理者のいないキャンプ場故の寂しい事件である。

しかし、困るのは地元である。誰がその腐りかけた死骸を処置するのか。いい加減こんな面倒は勘弁してくれ、という訳で本気でキャンパーを追い出しにかかった。
が、他にキャンプできる場所がない、と言われればその気持ちも分かる。
そこで、浜のすぐ近くに管理キャンプ場を作ったという訳だ。これで「キャンプ場がないから、俺達はここでテントを張るんだ」というキャンパーの言い分は通らなくなる。
本来、キャンプ場でするキャンプが嫌な人達ばかりなのだが、新しいキャンプ場の良し悪しは別にして、やりにくくなったことは確かだろう。

さて、そのキャンプ場のそばの駐車場で車を停め、僕らは「よし!行こうか!」とリュックを背負った。久しぶりに感じる重い感触。肩に食い込む。
冬ちゃんや初キャンプのマサにはそう重いものも持たせられないので、当然、ウンペー君と僕とで重い荷物を分担することになる。

僕のリュックには食糧、テント2つ。でっかいコンロ。後、自分の荷物。
ウンペー君は鍋、シュラフ2つ。釣竿。
マサはシュラフ2つ。冬ちゃんは自分の荷物のみ。
フータは自分の着替え。

短い海岸林を抜けていざ砂浜へ。空はどんよりと暗いが、それでも西部よりはいくらかましだ。雨は今のところない。
僕ら5人は南海岸を西に向かって歩き始めた。

つづく

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