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◇永遠なる島の財産(2002-11-04)
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今日はショートツアーの仕事であった為、3時ぐらいには自然塾に帰ってくることが出来た。
すると、おばあがどこか行きたそうにして、自然塾の周りをうろうろしている。

とにかくおばあというものは、暇を持て余す職業らしい。子育てを含む、人生の「労働」というものからやっと解放されたにも関わらず、その余暇をのんびり楽しむ方法を知らない。
何か楽しい事(ドキドキすること)はないかねえ、とウロウロ歩き回る。
唯一の娯楽がゲートボールでも寂しいが、彼女等には幸いな事にとっても身近な娯楽がある。
食材採集である。
西表は大きな自然を残す島。そこは彼女等の祖先たちが代々利用し、受け継いできた食糧庫でもあるのだ。生きる糧を得る為の労働、これが即ち娯楽であった。
足腰が言う事を利かなくなったおばあ等ではあるが、こと食材採集となると、見違えて若くなる。5歳も10歳も若くなってピンシャン動き出す。また、その食材を探し出す技術は押しなべて素晴らしいものがあるから、かえって危ない。もし、老人が体力的に老人ではなく青年のままであったら、島の幸は根こそぎ失われたかも知れない。
若くなるとは言っても、老人は老人。神様はちゃんと考えている。

さて、そんな「おばあ等」の代表的性質を持った我等がおばあであるから、急に僕が「おばあ、ビーフチビー(ホウビガンジュという山菜)採りに行くか?」と訊いても、2つ返事。目を輝かす。
おばあは原付やら車やらといった足がないから、何か採りに行きたいと思っても、誰かに頼まねばならない。この行為がおばあの自尊心を傷つけるようで、おばあはそれを頼む時、それなりにとっても気を使っている。見ていて可哀想になるので、おばあの欲するものがそれとなく分かり、また自分自身に特に用事のない時は僕の方から声をかけてあげるようにしているのだ。

「どこに行くか?」と訊くので、「浦内」と答えた。「あそこにはいっぱいあるよ」と言うと、「誰から聞いたか?」と来る。
「誰にも聞かんよ。行けば分かるさ」
「あがやあ。やっぱり、山入る人は違うね。知らなかったさあ」
僕にはおばあが知らないことの方が意外である。どうもおばあにもそれぞれ得意分野、不得意分野があるようで、ビーフチビーなどは波止場食堂のみっちゃんおばあが強い。こっちのおばあは筍に強い。他にもミジュン(鰯の仲間)に強いおばあ、貝に強いおばあなど色々いるが、こっちのおばあの場合はやはり足がないのが最大のネックになっているようだ。

ひかりと3人で目的の場所に向かう。
車を降り、おばあが驚く。
「こんなに生えている場所知らん」
実際にそれぐらいの量が群生している。
おばあ曰く、「モリのみっちゃん(モリオジイの奥さんのみっちゃんオバアの意味。オバアに対してはしばしばこういうまるでオジイに所有権があるような言い方をする。逆はない)に違いない」と思われる新芽を摘んだあとも道沿いには多いが、一歩奥へ足を伸ばせば、無数のくるりと巻いた新芽が採れる。
長靴を履いてこなかったのでハブが心配ではあったが、ついつい深入りしてしまった。
藪の中で別方向から入ってきたひかりに出会った。
ひかりもたっぷり自然塾の晩御飯にはなる量のビーフチビーを摘んでいた。腕に下げたビニール袋が膨らんでいる。
もう十分だね、と言い合い、道に戻った。
さて、おばあは何処だ?と探してみる。
おばあはえてしてこういう場所では無理をする。筍の時も酷かった。人が入らない場所ばかり選んで進んでいくのだ。
案の定いない。
二人で大声で呼んでみた。
「オバアー!」
だが、返事はない。この間のことがすぐに思い出される。だけども今回は先に帰っている訳がない。来てまだそれほど時間は経っていない。
「しょうがないおばあだな」
と笑いながら、道を辿ってみた。
しかしいない。
まあ、今度の場所はそれ程危険もないので、僕等もさほど心配せず、おばあを探しながら目に付くビーフチビーを摘んで歩いていた。すると少し戻ったところでおばあ発見。
「どこにいたの?」と訊けば、「そこにどっかで見た車があったからよ。覗いてみたら知り合いがいたさあ。奥にその人の畑があったよ。あら珍しい人が来たねって言うから、お茶をご馳走になってたよ」と仰る。
万事この調子なのである。
しかし、この為に今回のおばあの収穫は僕等に及ばなかった。

さて、その後、おばあとひかりを家まで送り、僕も自分の部屋に帰ろうと道を走っていたら、中野の海岸近くの道路で沢山の車が停まっていた。
「ああ、そうだった。今日は例の海岸ゴミ拾いの日だった」と思い出す。
これは参加しなければ、とそこで僕も車を停め、ゴミ袋片手に砂浜へ。上着を自然塾に置いてきてしまっていたので、風が非常に身に凍みる。
体を温める為にも頑張ってゴミを拾うことにした。
しかし、いつ来ても中野の砂浜はゴミが多い。北風が始まるとどこよりも早く多くゴミが漂着する。だからこそ僕のビーチコーミングメインビーチになりうるのだが、ゴミ拾いをするとなれば、拾っても拾っても次の日にはまた同じ状態に帰ってしまうだけに辛い。
結局、今回も量的にはけっこう集めたが、全体的には焼け石に水といったぐらいしか拾えなかった。
しかし、いつもより参加者は多かった。特筆すべきはエコツー業者からの参加。
まさかこんな僕の日記が効いた訳でもなかろうが、どういう風の吹き回しか。最大手、浦内川観光からは社長以下スタッフ5、6名が来ていた。勤務時間内の参加であるから、ある意味スタッフにしてみれば業務の一環という感じかも知れない。あと、マヤグスクエコアドベンチャーからもスタッフが一人、コーラルスパーンからも一人。こちらはオーナーの参加はなし。
今回はこれらの業者に積極的に参加を呼びかけたらしいが、「おい、煩いから、お前行ってこい!」ではなくて、オーナー自ら積極的に出るようになってくれればいいなあと思う。
そういう意味では浦内川観光はえらい。

さて、このゴミ拾いで楽しいのは、ゴミ拾い後に行われるちょっとした講習会。今日は中野西崎貝塚についてのレクチャーが太子さんからあった。西表にはいくつもの貝塚が発見されている。
特にこの西部地区、船浦、上原、中野、浦内には多い。中でも中野の貝塚は最も古いとされる。
貝塚は中野の浜の西端。ダイヨネの生コン工場の辺りにある。旧中野部落(マラリヤで廃村)のものだろうか、石積みの墓も残っている。今もすっぽり海岸林に覆われているが、御嶽の跡らしき長い石積みや、その大部分は生コン工場の砂採りで失われたようである。
まともに調査すらされず。今では考えがたいことだ。
20年前ここで働き、穴を掘っていた太子さんはその時にシャコガイの跳番(2枚の貝を引っ付けている根元の部分)で作られた貝斧などを発見したらしい。今回それを持ってきていた。
人為的に削られた痕。ずっしり重いが手にしっくりくる形。素晴らしい加工品だ。
この貝斧は先史時代のもので、日本の歴史では縄文時代にあたる時代の出土品だという。
しかし、この貝塚がすごいのはこれらの先史時代のものを最下層に、順々に新しい時代のものが層をなし埋まっていることだ。
砂に掘られたオカガニやヤシガニの穴の周りには彼等が掘り出した無数の貝が散らばっている。
人間がその気になって掘れば、すごい量の貝殻が層になって埋まっているのが確認できるのだろう。
このことは、この海が昔からずっと豊かであったことを示すものだという。先史時代の人々もここで貝等を採って暮らし、その後の人々も同じように海の恵みを受けて生活してきた。そして今もって中野のイノー、リーフは豊かである。サザエ、シャコガイ、タカセガイ、タコ。
これらの恵みをもたらし続ける。

山も海も、西表の自然は西表の島人を永遠に慈しむ母なる存在に違いあるまい。
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