キリストの証し
 
 
 
暗やみから光へ
 S.M.
 
 1989年に、私は救い主であられる主イエス・キリストにお出会いし、罪と死、暗やみと悪魔の支配から救われ、義といのち、光と神の支配へ、永遠に移されました。
 
 当時の私は、人生の目的や意味を求めてはいましたが見出せず、全てが空しく風を追うような日々でした。神に助けを祈り求めていましたが、希望を見いだせず、死のうとしていたその日に、私は主イエス・キリストを信じて救われました。高校時代に伝道された福音の種蒔きが(その頃、私はひとりのクリスチャンを通して、創造主なる聖書の神を 信じるようになっていました)、その四年後に収穫されたのです。

神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。” コロサイ1:13−14

 その日、私は家にひとりでいましたが、神は不思議なご介入によって、超自然的に私の霊の耳と目を開いてくださいました。突然、心の戸を激しく叩く音と、「開けてください!開けてください!」と呼ばれるイエス様の御声を聞きました。階段の上の窓を見上げると、天から聖霊(神の霊)が降りて来られて、私の心に入られました。その瞬間、力強い神の御声を聞きました。「わたしがあなたを愛している!わたしはあなたを決して捨てない!」 私は生まれて初めて神の愛に満たされ、心の奥底からは喜びの泉がこんこんと川のように流れ出し、 涙があふれました。そして、「生きる道が一つだけ残されている!回心して、イエス・キリストを信じて生きよう!」と決断したのです。聖霊はすぐに机の奥にしまい込んでいた聖書のことを思い出させてくださり、聖書を開くと、イエス様の一つ一つの御言葉が、生ける神の愛の言葉として、ダイレクトに私の心に迫って来ました。

イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」” ルカ19:9−10

イエスは彼らに言われた。「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。やみがあなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」” ヨハネ12:35−36

心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。” マタイ5:3,4,6

 これらの聖句に感銘し、「失われた人とは私のことだ。キリストは私を捜して救うために来てくださった。イエス様は私の救い主だ。」と、心に堅く信じることができました。こうして、私はイエス・キリストを心にお迎えして救われ、光のある間に”との御言葉に促されて教会へ行き、その年のクリスマスに洗礼を受けました。

 その日以来、神は全ての面において私に良くしてくださっています。まことに主は生きておられ、今日も働かれる神です。

ほむべきかな。神、主、イスラエルの神。ただ、主ひとり、奇しいわざを行なう。 とこしえに、ほむべきかな。その栄光の御名。その栄光は地に満ちわたれ。アーメン。アーメン。 詩篇72:18−19
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