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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2022年3月 |
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| 3月6日 |
【イエス・キリストの黙示@】 黙示録1:1-3 |
「イエス・キリストの黙示(キリストによって与えられた超自然的な啓示)。神はすぐに起こるべきことをしもべたち(キリストに仕える者たち)に示すため、これをキリストに与えられた。そしてキリストは、御使いを遣わして、これをしもべヨハネに告げられた。ヨハネは、神のことばとイエス・キリストの(による)証し、すなわち、自分が見たすべてのこと(多くの幻)を証しした。」
証しとは、神から受け、見たことを証言することである。
「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを守る者たち(忠実に守る人々)は、幸いである。時が近づいているからである(これが成就する世の終わりが近づいているからである)。」
諸教会において、公的に聖書が朗読され、会衆が聞く習慣があった。
「私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。」Tテモテ4:13
「さて、一行は送り出されてアンティオキアに下り、教会の会衆を集めて手紙を手渡した。人々はそれを読んで、その励ましのことばに喜んだ。」使徒15:30-31
「幸いである」は、黙示録で七回用いられている。神が歴史に介入され、悪を征服し、勝利されるという事実に、確信をもつことができる。
「さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」へブル11:1
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| 3月13日 |
【イエス・キリストの黙示A】 黙示録1:4-6 |
「ヨハネから、アジア(ローマの属州としてのアジア州/小アジア?現在のトルコ?の西部)にある七つの教会(あらゆる時代の教会全体)へ。今おられ、昔おられ、やがて来られる方(神の永遠性を示す)から、また、その御座の前におられる七つの御霊(七つのともしび/七つの目)から、また、確かな証人、死者の中から最初に生まれた方、地の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにあるように。」 七つの御霊とは、聖霊の七種類の働きを表わしている。
「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、思慮と力の霊、主を恐れる、知識の霊である。」イザヤ11:1-2 聖霊の神的完全性を象徴する。
「神である主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、心の傷ついた者を癒やすため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年、われらの神の復讐の日を告げ、すべての嘆き悲しむ者を慰めるために。シオンの嘆き悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、嘆きの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるために。彼らは、義の樫の木、栄光を現す、主の植木と呼ばれる。」イザヤ61:1-3
「私たちを愛し、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、ご自分の父である神のために、私たちを王国(神の国の民/御国の民)とし、(またご自分の父である神に仕える)祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくあるように。アーメン。」
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| 3月27日 |
【イエス・キリストの黙示B】 黙示録1:7-8 |
「見よ、その方は雲とともに来られる(この方が雲に乗って来られる/さあ、キリストは裁き主として来られる)。すべての目が彼を見る。彼を突き刺した者たち(キリストを殺した者たち)さえも。地のすべての部族は彼のゆえに胸をたたいて悲しむ(罪を悔い改めなかったことを後悔して嘆く/キリストの再臨に伴う裁きのゆえに、人々は驚愕し、嘆く)。」
「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。」ゼカリヤ12:10
「しかり(それは確かなことである)、アーメン。神である主、今おられ、昔おられ、やがて来られる方、全能者(万物の支配者/力ある方/歴史の主)がこう言われる。「わたしはアルファ(あらゆるものの初め)であり、オメガ(終わり)である。」 アルファとオメガは、ギリシャ語のアルファベットの最初と最後の文字である。神は、あらゆるものの最初であられ、最後であられる。神は、万物の以前に存在され、万物の後まで存在される。神の永遠性と全体性と総括的な主権を表わす。
「イスラエルの王である主、これを贖う方、万軍の主はこう言われる。『わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はいない。」イザヤ44:6 「わたしに聞け、ヤコブよ。わたしが呼び出したイスラエルよ。わたしがそれだ。わたしが初めであり、また、終わりである。」イザヤ48:12
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