エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2021年6月
6月6日 【主の恵みはとこしえまでA】 詩篇136:5-9
 「英知をもって天を造られた方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。」「主は知恵をもって地の基を定め、英知をもって天を堅く立てられた。」箴言3:19

 「主は、御力をもって地を造り、知恵をもって世界を堅く据え、英知をもって天を張られた。」エレミヤ10:12

 「地を水の上に敷かれた方に(水の中から大地を現された方に感謝しよう)。主の恵みはとこしえまで。大きな光る物(太陽と月)を造られた方に。主の恵みはとこしえまで。昼を治める太陽を。主の恵みはとこしえまで。夜を治める月と星を。主の恵みはとこしえまで。」 神の創造を、永遠の愛の働きであることを知って喜び、主を賛美している。

 「そして主は、彼を外に連れ出して言われた。『さあ、天を見上げなさい。星を数えられるなら数えなさい。』 さらに言われた。『あなたの子孫は、このようになる。』 アブラムは主を信じた。それで、それが彼の義と認められた。」創世記15:5-6

 「天は神の栄光を語り告げ大空は御手のわざを告げ知らせる。」詩篇19:1

 「はじめに神が天と地を創造された。」創世記1:1

 「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずに
できたものは一つもなかった。」ヨハネ1:1-3

 「神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。」ローマ1:20

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6月13日 【主の恵みはとこしえまでB】 詩篇136:10-26
 「エジプトの長子を打たれた方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。主はイスラエルをその地から導き出された(イスラエルをエジプトから連れ出された方に感謝しよう)。主の恵みはとこしえまで。力強い御手と伸ばされた御腕をもって(力強い御手によって救い出された方に感謝しよう)。主の恵みはとこしえまで。」 神の直接的な介入と力が書かれている。

 「葦の海(紅海の水)を二つに分けられた方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。こうして 主はイスラエルにその中を通らせた(イスラエルにその乾いた地を通らせた方に感謝しよう)。主の恵みはとこしえまで。ファラオ(エジプトの王)とその軍勢を葦の海に投げ込まれた。主の恵みはとこしえまで。荒野で御民を導かれた方に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。大いなる王たち(有力な王たち)を打たれた方に。主の恵みはとこしえまで。主は 力ある王たちを殺された。主の恵みはとこしえまで。アモリ人の王シホンを。主の恵みはとこしえまで。バシャンの王オグを。主の恵みはとこしえまで。」 シホンは、イスラエルの民が自国を通過することを許さなかった。カナン侵入初期の、死海北東方面における戦いが書かれている。

 「こうして 彼らの地をゆずりとして与えられた。主の恵みはとこしえまで。主のしもべイスラエルにゆずりとして。主の恵みはとこしえまで。」

 「私たちが卑しめられたとき(下積みであった時)主は心に留められた。主の恵みはとこしえまで。そして 主は私たちを敵から解き放たれた。主の恵みはとこしえまで。主はすべての肉なる者に食物を与える方(あらゆる被造物の必要を満たされる方に感謝しよう)。主の恵みはとこしえまで。」

 「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。」マタイ5:44-45
 「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」マタイ6:33

 「天の神に感謝せよ。主の恵みはとこしえまで。」
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6月20日 【エルサレムを喜ぶ@】 詩篇137:1-6
 詩篇137篇は、バビロン捕囚の哀歌である。バビロン川のほとりから、エルサレムを思い出して歌っている。イスラエルの民が、バビロンで捕囚となっていたB.C.586年から539年の間に書かれたと思われる。エルサレム礼拝再開の願いが歌われている。

 「バビロンの川のほとり そこに私たちは座り シオンを思い出して泣いた。」 川辺は、瞑想や祈祷の場に好んで用いられた。詩人は、聖都エルサレムの破壊と神殿礼拝断絶の悲しみに泣いた。「街中の柳の木々に 私たちは竪琴を掛けた。それは 私たちを捕らえて来た者たちが そこで私たちに歌を求め 私たちを苦しめる者たちが 余興(慰み)に 『シオンの歌(エルサレム神殿賛美歌)を一つ歌え』と言ったからだ。」 それは、『おまえたちを救えなかった神をたたえる賛美を歌ってみよ』との皮肉な要求であった。「どうして私たちが異国の地で 主の歌を歌えるだろうか。」 聖なる歌を、余興のために歌うことはできなかった。シオンの歌を嘲りにさらすことへの拒絶である。賛美歌が歌われるのにふさわしい霊的環境が求められている。  

 「エルサレムよ」 聖都エルサレムへの呼びかけは、間接的な神への呼びかけである。「もしも 私があなたを忘れてしまうなら この右手もその巧みさを忘れるがよい(私の右手が忘れられるように/もう二度と竪琴は弾くまい)。」 竪琴を弾く技術のことを言っている。「もしも 私があなたを思い出さず エルサレムを至上の喜び(最上の喜び)としないなら(私の喜びの頭上にエルサレムを上げないなら) 私の舌は上あごについてしまえばよい(もう二度と賛美の歌は歌うまい/語ることや歌う力を失う)。」 同態復讐法の適用例である。余興を求める人々に屈することは、エルサレム礼拝を忘れることであり、主への不忠実であるという、燃えるような忠誠心である。また、神への賛美が正しく行なわれることを願った人々の断固とした態度である。エルサレム礼拝を慕い求めていた捕囚の人々の心情が歌われている。「この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます。まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。」ヨハネ4:21、23 「真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた。すると突然、大きな地震が起こり、牢獄の土台が揺れ動き、たちまち扉が全部開いて、すべての囚人の鎖が外れてしまった。」使徒16:25-26
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6月27日 【エルサレムを喜ぶA】 詩篇137:7-9
 「主よ 思い出してください。エルサレムの日に(聖都エルサレムがバビロニアに攻撃され、滅ぼされた時に) 『破壊せよ 破壊せよ。その基までも』と言ったエドムの子ら(エサウの子孫)を。」 彼らは、破壊されたエルサレムで略奪をし、そこからの避難者を殺害し、喜んだ。

 「娘バビロン(バビロンの町々)よ 荒らされるべき者よ。幸いなことよ おまえが私たちにしたことに 仕返しする人は(破壊者バビロンが私たちにした通りのことをバビロンにする人は幸いだ。バビロンは必ず滅ぼされる。バビロンを滅ぼす人は幸いだ)。幸いなことよ おまえの幼子たちを捕らえ 岩に打ちつける人は。」 バビロニア人は、 BC586年にエルサレムを占領した時、赤ん坊を母親から取り上げて、壁に投げつけた。神は、バビロンとその子孫を、神と神の王国に対する高慢な攻撃のゆえに滅ぼされた。メディア人とペルシャ人が、BC539年にバビロンを滅ぼした。

 「バビロンから、叫ぶ声がする。カルデア人の地から、大いなる破滅の音が。主がバビロンを荒らして、そこから大いなる声を絶やされるからだ。その波は大水のように鳴りとどろき、その声は鳴りどよめく。まことに、荒らす者がバビロンを攻めに来て、その勇士たちは捕らえられ、その弓も折られる。主は報復の神であり、必ず報復されるからだ。」エレミヤ51:54-56 同態復讐法が適用されており、新約の霊的レベルに及ばない旧約期の姿が書かれている。

 「あわれみをかけてはならない。いのちにはいのちを、目には目を、歯には歯を、手には手を、足には足を。」申命記19:21
 「あわれみを示したことがない者に対しては、あわれみのないさばきが下されます。あわれみがさばきに対して勝ち誇るのです。」ヤコブ2:13
 「『目には目を、歯には歯を』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」マタイ5:38、44 
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