エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2020年9月
9月6日 神を愛する人S 詩篇119:153-160

 つづり字レーシュで始まるこの段落は、迫害する者からの救いを求める緊急の祈りが記されている。

 「私の苦しみをご覧になり 私を助け出してください。私はあなたのみおしえを忘れません。私の言い分を取り上げ(弁明を弁護してください/論告を論じてください) 私を贖ってください(救ってください)。」 神に相談相手、保証人になって頂き、神が信仰者を親族のように回復させ、復讐し、必要に応じて身代金を支払って買い戻してくださるようにとの祈りである。

 「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、ついには、土のちりの上に立たれることを。」ヨブ
9:25
 「あなたのみことばにしたがって 私を生かしてください。救いは悪しき者(敵)から遠く離れています。彼らがあなたのおきてを求めない(聖書釈義をしない/研究しない)からです。あなたのあわれみは偉大です。主よ あなたの定めにしたがって 私を生かしてください。私を迫害し(追い求め) 敵とする者が多くいます。しかし私は あなたのさとしからそれません。私は裏切る者ども(不信仰な者たち/信仰上の背教者/不忠実な者/不従順な者)を見て 忌み嫌います(欺く者を見ると、胸が痛みました)。彼らがあなたのみことばを守らないからです。ご覧ください。どんなに私があなたの戒めを愛しているかを。主よ あなたの恵みによって 私を生かしてください。みことばのすべて(総計/あらゆる部分/頭)は真実です。あなたの義のさばき(不信仰者への裁きと信仰者への救いの両面を含む)はことごとく とこしえに至ります。」

 「見よ、わたしはすぐに来る。それぞれの行いに応じて報いるために、わたしは報いを携えて来る。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」黙示録
22:12-13

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9月13日 【神を愛する人(21)】 詩篇119:161-168
 「君主たちは ゆえもなく私を迫害します。しかし私の心は あなたのみことばにおののいています。」

 「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。」マタイ5:10-12

 「私は 大きな獲物を見つけた者のように(多くの戦利品を見つけた者のように) あなたのみことばを喜びます。私は偽り(偶像)を憎み 忌み嫌います。私はあなたのみおしえを愛しています。あなたの義のさばきのゆえに 私は日に七度(日に何度でも/一日中絶え間なく) あなたをほめたたえます。」

 「私たちは、いつまでも続く都をこの地上に持っているのではなく、むしろ来たるべき都を求めているのです。それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。」へブル13:14-15

 「あなたのみおしえを愛する者には 豊かな平安(霊的平安と隣人との平和/祝福/忍耐)があり つまずきがありません。主よ 私はあなたの救いを待ち望んでいます。私はあなたの仰せを行っています。私のたましいはあなたのさとしを守っています。限りなくそれを愛しています。私はあなたの戒めとさとしを守っています。私の道はことごとく御前にある(私の毎日の生活は、全て神に知られている)からです。」

 「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」ローマ12:1-2 
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9月20日 【神を愛する人(22)】 詩篇119:169-176
 「主よ 私の叫び(熱烈な、響き渡る声)が御前に近づきますように。あなたのみことばのとおりに(契約に従って) 私に悟りを与えてください。私の切なる願い(あわれみを求める願い)が 御前に届きますように。(どうか、私の願いを聞き届け)あなたのみことばのとおりに 私を救い出してください。私の唇に 賛美が湧きあふれるようにしてください。あなたが私に あなたのおきてを教えてくださるからです。私の舌が あなたのみことば(神の言葉を繰り返す歌)を歌うようにしてください(私の舌は答えるでしょう)。」 様々な問題があっても、神の言葉と戒めを賛美しようとする。

 「あなたの仰せは ことごとく正しいからです。あなたの御手(神の直接的介入)が私の助けとなりますように。まことに 私はあなたの戒めを選びました。主よ 私はあなたの救いを慕っています。あなたのみおしえは私の喜びです。私のたましいが生き(私の全身全霊が力付けられて) あなたをほめたたえますように。そして あなたのさばきが私の助けとなりますように(あなたの御教えが、私を支えてくださいますように)。」 神の言葉への愛と熱心と従順は、歌となって生活を導く。正に賛美は神の言葉に基づき、神の言葉に従わせる力となる。

 「私は 滅びる羊のようにさまよっています(私は、迷子の羊のように、迷い出ました/私は失われた羊のようにさまよっています)。どうかこのしもべを捜してください。私はあなたの仰せを忘れません。」 自分の迷いやすい姿を描く。羊には、帰路を見出す能力がないと言われている。神の言葉の導きから離れたら、自分は他の人々と同じように罪を犯したり、自己中心になったり、自ら過ちを犯す可能性を認めている。信仰者の弱さの自覚。信仰者は絶えず大牧者の守りを要する。離散のイスラエルは、迷える羊のような状態であった。イエス・キリストは、大牧者として、罪の荒野に迷い滅びゆく私たちのために来てくださった。おきてを愛する者程、罪意識に目覚める。世の中での信者の位置を表わす。

「キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。あなたがたは羊のようにさまよっていた。しかし今や、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰った。」Tペテロ2:24-25

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9月27日 【平和を語る@】 詩篇120:1-4

 詩篇120〜136篇は、大ハレルと呼ばれる。そのうち120〜134篇は、エルサレムに巡礼する人々によって歌われた都上りの歌である。都上りの歌は、三大祭りの時に、エルサレムにある神殿に上って行く巡礼者たちの歌である。

 詩篇120篇は、異教的な生活や不信仰者の中に置かれている信仰者が、神礼拝を願い求める心情を表現している。 

 「苦しみのうちに私が主を呼び求めると 主は私に答えてくださった(悩みの中で、私が主に祈り求めると、主は私に答えてくださる)。」 エルサレムへの旅を願い求める信仰者が、過去の神の恵みを思い起こして、励ましを得る。天と地を創造された神が、神と御言葉に頼る人々を、絶えず見守り配慮される。「では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。こう書かれています。『あなたのために、私たちは休みなく殺され、屠られる羊と見なされています。』しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。」ローマ8:31-37 「主よ 私のたましいを 偽りの唇 欺きの舌(争いを好む、偽善的で、不誠実な人々)から救い出してください。欺きの舌よ おまえに何が与えられ おまえに何が加えられるだろうか。勇士の鋭い矢 そして えにしだの炭火(裁きの象徴)だ(それは、えにしだの燃える炭火を付けた勇士の放つ鋭い矢だ/勇士の鋭い矢で射抜かれ、熱い炭火が置かれるように、裁かれる)。」

ため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。あなたがたは羊のようにさまよっていた。しかし今や、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰った。」Tペテロ2:24-25

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