エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2020年4月
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4月5日 【主の恵みはとこしえまで@】 詩篇118:1-9
 詩篇113篇〜118篇は、過越の詩篇ハレル(誉めたたえよ)である。主が過越の祭りで歌ったのは、この詩篇だったと思われる(マタイ26:30)。詩篇118篇は、主の愛への感謝と勝利の賛美である。

 「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵み(不変の愛)はとこしえまで(その愛は永遠に続く)。」 神をたたえる根源的な理由が歌われている。

 「さあ イスラエルよ 言え。『主の恵みはとこしえまで。』 さあ アロンの家(祭司/神の民イスラエル)よ 言え。『主の恵みはとこしえまで。』 さあ 主を恐れる者たちよ 言え。『主の恵みはとこしえまで。』 苦しみ(狭い所/死の縄目/語源:束縛、拘束する)のうちから 私は主を呼び求めた。主は答えて 私を広やかな地(安全な場所/自由をもって)へ導かれた。主は私の味方(もの/ため)。私は恐れない。人は私に何ができよう。主は私の味方 私を助ける方。私は 私を憎む者をものともしない(ついには、敵に打ち勝つのを見るようになる/私は、私を憎む者らを見下す)。」 主は、あらゆる助け手たちの性格、資格を備えた方である。自分にできない仕事をしてくださる。敵や憎む者を直視できる精神的勝利が、事態を正視させ、正しい戦いと解決の方策をとらせるので、救いが確実なのである。

 「主に身を避けることは 人に信頼するよりも良い。主に身を避けることは 君主たち(有力者)に信頼するよりも良い。」 人の助けは空しい。

 「あなたがたは君主を頼みとしてはならない。救いのない人間の子を。」詩篇146:3

 「主ご自身が『わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない』と言われたからです。」へブル13:5

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4月12日 【主の恵みはとこしえまでA】 詩篇118:10-23
 「すべての国々(異邦人)が私を取り囲んだ。しかし主の御名によって(神への信頼によって) 私は彼らを断ち切る(追い返そう)。彼らは私を取り囲んだ。まことに私を取り囲んだ。しかし主の御名によって 私は彼らを断ち切る。」 逆境を乗り越えようとする決意が語られている。「蜂のように(敵の攻撃の激しさと執拗さ) 彼らは私を取り囲んだが 茨の火のように消された。」 一瞬パッと燃え上がると同じく、急速に燃え尽きてしまう。悪の力は、その激しさと同じく一時的なものとして終わる。

 「主の御名によって 私は彼らを断ち切る。おまえは私を激しく押し倒そうとしたが 主が私を助けられた。主は私の力 またほめ歌。主は私の救いとなられた。」
 「喜びと救いの声は 正しい者の幕屋の内(住い)にある。主の右の手(神ご自身の権能)は力ある働きをする。主の右の手は高く上げられ 主の右の手は力ある働きをする。私は死ぬことなく かえって生きて 主のみわざを語り告げよう。主は私を厳しく懲らしめられた。しかし 私を死に渡されはしなかった。」 苦難は、罪への刑罰であるとともに、正しい生涯のための訓練の時でもある。

 「義の門よ 私のために開け。私はそこから入り 主に感謝しよう。これこそ主の門。正しい者たちはここから入る。」
 「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。また出たり入ったりして、牧草を見つけます。」ヨハネ10:9
 「私はあなたに感謝します。あなたが私に答え 私の救いとなられたからです。」
 「家を建てる者たちが捨てた石 それが要の石(礎の石)となった。これは主がなさったこと(ヤハウェから)。私たちの目には不思議な(驚くべき)ことだ。」 異邦の国々が軽蔑して捨てた石のような選民イスラエルは、神の不思議な導きによって、隅のかしら石のような栄光の座に着くことができた。世界はイスラエルを見捨てても、神はイスラエルを神の王国の最も重要な位置に据えてくださる。選民が、異邦世界のかしらたるべき使命感、人間的な軽蔑とは逆に、建築完成の暁には、最も目立つ隅のかしら石に収まっていたという、神の摂理的逆転の感謝と驚きが歌われている。
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4月19日 【主の恵みはとこしえまでB】 詩篇118:24-29
 「家を建てる者たちが捨てた石 それが要の石となった。これは主がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ。」 主イエスはこの節を、ご自分に当てはめられた。イエスは拒絶されたが、神によって死から救われ、教会の一番重要な基盤となる礎の石となられ、建物を支えておられる。

 「『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石、それが要の石となった』というのは、この方のことです。この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」

 「主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが神には選ばれた、尊い生ける石です。あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。」Tペテロ2:4-5

 「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です。このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」エペソ2:19-22

 「これは主が設けられた日(救いの日)。この日を楽しみ喜ぼう。」
 「ああ主よ どうか救ってください(ギリシャ語:ホサナ)。ああ主よ どうか栄えさせてください。」
 「祝福あれ 主の御名によって来られる方に。」 戦勝の王を迎え、主なる神の勝利を祝う。

 「私たちは主の家からあなたがた(王と一緒にいる多くの人々)を祝福する。」 信仰者と、メシヤ(救い主)なるイエス対して、祭司による祝福が語られている。

 「主こそ神。主は私たちに光(救い)を与えられた(主が私たちを照らす)。枝をもって 祭りの行列を組め。祭壇の角のところまで。」
 「あなたは私の神。私はあなたに感謝します。あなたは私の神。私はあなたをあがめます。」
 「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」
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4月26日 【神を愛する人@】 詩篇119:1-8
 詩篇119篇は、聖書の中で一番長い章であり、22文字のへブル語アルファベットを8節ずつ用いて、176節にまとめ上げている。御言葉への賛歌であり、詩人と神との親しい関係が歌われている。聖書は、幸いな人生を歩むためのただ唯一の導きである。詩人は、神の御心に喜んで従い、神を愛し、尊敬した。

 「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します。」ヨハネ14:21

 「幸いなことよ 全き道(律法で指図される生活行動)を行く人々(責められるところのない道を歩み/完全な道を行き) 主のみおしえ(神の特別啓示)に歩む人々。」 神の言葉の基準、導き、教え、命令、約束に従って生きる人々は、神から祝福される。主の教えに従うことが、真の幸いの源である。主の言葉を愛する者は、幸いである。

 「幸いなことよ 主のさとし(証書)を守り 心を尽くして主を求める人々。」 心を尽くして主を求めることが、熱心な律法遵守によって行なわれる。

 「まことに 彼らは不正(誰かを不当に扱うこと)を行わず(不公平なことは何もなく) 主の道(神が人間に命じられた生き方)を歩みます。あなたは戒め(委託事項/指令)を仰せつけられました。それらを堅く守るように。どうか 私の道が堅くされますように(私がしっかり歩んで/確かでありますように)。あなたのおきて(刻み込まれた文/変更修正のない重要規定)を守るために。そうすれば あなたのすべての仰せ(命令)を見て 私は恥じることがありません。あなたの義のさばき(判決の基準となる規則/神の救済と刑罰)を学ぶとき 私は直ぐな心であなたに感謝します。私はあなたのおきてを守ります。どうか 私を見捨てないでください。」
 「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」へブル13:5
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