エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2019年2月
メッセージのトップへ戻る
2月3日 【聖なる主の王権を祝うA】 詩篇99:6-9
 「モーセとアロンは主の祭司の中に、サムエルは御名を呼ぶ者の中にいた。彼らは主を呼び、主は彼らに答えられた。主は、雲の柱から、彼らに語られた。彼らは、主のさとしと、彼らに賜ったおきてとを守った。われらの神、主。あなたは、彼らに答えられた。」

 「アロンは、モーセが命じたように、火皿を取って集会の真ん中に走って行ったが、見よ、神罰はすでに民のうちに始まっていた。そこで彼は香をたいて、民の贖いをした。彼が死んだ者たちと生きている者たちとの間に立ったとき、神罰はやんだ。」民数記16:47-48

 「あなたは、彼らにとって赦しの神であられた。しかし、彼らのしわざ(悪しき行ない)に対してはそれに報いる方であった(彼らの咎には報いる神であった/彼らの間違いは、罰せられました)。」三人の体験と同じ原理が示されている。神は罪を黙認したり、無視したり、見逃したりすることはない。

 「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」ガラテヤ6:7-8

 「われらの神、主をあがめよ。その聖なる山に向かって、ひれ伏せ(礼拝しなさい)。われらの神、主は聖である。」神はエルサレムから世界を統治される。

 「しかし、あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。」へブル12:22
メッセージのトップへ戻る
2月10日 【全地の賛歌】 詩篇100:1-5
 詩篇100篇は、都上りの行列の賛歌、礼拝への招きの歌である。 

 「全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。喜びをもって主に仕えよ(礼拝せよ)。喜び歌いつつ御前に来たれ。」歌は、賛美の力強い表現方法である。全地の王である主に、喜びと感謝をもって仕えよと命じている。

 「知れ(確認せよ)。主こそ神。主が、私たちを造られた(神の民の形成)。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。」イスラエルの選びと救いと回復が記されている。イスラエルは神の恵みと力を全地に示すために選ばれ、養われている。神の民の誇りと謙遜と信頼を示す。王もまた、民を養い守る羊飼いにたとえられた。

 「感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、入れ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで(主の愛は永遠に続き)、その真実(忠実/真理)は代々に至る。」イスラエルに慈しみと恵みと真実を示された主は、ご自分が全世界の主であり、全地が礼拝すべき方であることを証明された。

 「彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。──主の御告げ──わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのようにして、人々はもはや、『主を知れ』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。──主の御告げ──わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」
 「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。」へブル10:19-20
メッセージのトップへ戻る
2月17日 【聖なる都を整える@】 詩篇100:1-3
 詩篇101篇は、国が神の都となり、世界が神の国となるための生活原理である。 

 「私は、恵み(慈しみ/愛)とさばき(公平/公正/正義)を歌いましょう。」恵みとさばきは、神の属性であり、支配者として立てられた者の務めである。ダビデ契約の忠実さと貞節によって、王と民はまず神と結ばれ、それから相互に結ばれる。

 「主よ。あなたに、ほめ歌を歌いましょう。私は、全き(円満な/完全な)道(責められるところのない生活/神の期待される生き方)に心を留めます。いつ、あなたは私のところに来てくださいますか。私は、正しい心で、自分の家の中(敬虔さの始まる場)を歩みます(歩き回ります/生活を表す)(わたしは家にあって/無垢な心をもって行き来します)。」私的な生活を整備して、主の来臨を待つ。

 「私の目の前に卑しいこと(価値のない言葉、事柄/無益?な者?の言葉、事/下劣なもの)を置きません。私は曲がった(正義をそれた/迷い出た)わざ(不真実な者の行い/忠実でない行為)を憎みます。それは私にまといつきません(かかわりがありません)。」卑しいことと曲がったわざとは、罪である。憎むことは愛することの反対であり、この二つは両立しえない。これらのことは、自分と家族を霊的に守る生活原理である。

 「 ──自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう──」Tテモテ3:5 「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」Tペテロ2:9

2月24日 【聖なる都を整えるA】 詩篇101:4-8
 「曲がった心(真理を憎む歪んだ知性と意志)は私から離れて行きます。私は悪を知ろうともしません(優れた支配者の条件)。陰(隠れた所)で自分の隣人をそしる者を、私は滅ぼします。高ぶる目と誇る心の者に、私は耐えられません(彼と共に私は食べません)。」
 「世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行う者は、いつまでもながらえます。」Tヨハネ2:17
 「私の目は、国の中の真実な人たちに注がれます。彼らが私とともに住むために。全き道を歩む者は、私に仕えます(わたしはこの地の信頼のおける人々に目を留め わたしと共に座に着かせ 完全な道を歩く人を、わたしに仕えさせます)。」神に信頼して誠実に生きる人々を、王は愛する。

 「欺く者は、私の家の中(王との親しい交わり/王宮だけでなく、国全体を含む)には住みえず、偽りを語る者は、私の目の前に堅く立つことができません。」欺くと偽りを語るとは、不正なやり方である。不正な者を遠ざけ、忠実な者と親しむ王の姿が記されている。

 「朝ごと(諸々の朝)に、私は国の中の悪者をことごとく滅ぼします。それは主の都から、不法を行う者をことごとく断ち切るためです。」朝ごとに、エルサレムにおいて裁判の法廷が開かれ、王は正しい判決を言い渡した。王が正義(神の裁きと神の救い)を施行する。イスラエルでは、ヤハウェこそ王であられるから、ダビデ王家で王位に上る者は、神の支配の特性をまねなければならない。王は一国の最高権をもち、主の都エルサレムをきよく保とうとする。それは、主が王として来臨され、世界を支配される聖なる都エルサレムを、きよめて準備するためである。
メッセージのトップへ戻る