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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2018年12月 |
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| 12月2日 |
【御声に聞き従う礼拝@】 詩篇95:1-7 |
詩篇95篇は、バビロン捕囚から帰還した後、エルサレム神殿が再建された喜びの中で歌われたと思われる。礼拝と賛美を神に従う純粋な心と聖い生活からささげるように、この詩篇は訴えている。
「さあ(行け)、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。主は大いなる神であり、すべての神々(天使/人間の支配者)にまさって、大いなる王である。」神は王として、自ら創造した全宇宙を治め、地上では諸々の国を治めておられる。
「地の深みは主の御手のうちにあり、山々の頂も主のものである。海は主のもの。主がそれを造られた。陸地も主の御手が造られた。」地の深みと山々の頂きは、人の手の及ばない所である。全地は神の支配下にある。「来たれ(入れ)。私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。私たちを造られた方(神の民の形成)、主の御前(契約の箱の前)に、ひざまずこう。」礼拝の姿勢が記されている。「主は、私たちの神。私たちは、その牧場の民、その御手の羊である。」「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」詩篇23:1 「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」ヨハネ10:10-11 |
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| 12月9日 |
【御声に聞き従う礼拝A】 詩篇95:7-11 |
「きょう、もし御声を聞くなら、」聞くとは、聞き従うことである。神の声に耳を澄まして、従順に聞いているのかが問われている。
「メリバ(言い争い/論争)でのときのように、荒野のマサ(試み)での日のように、あなたがたの心をかたくな(イスラエルが荒野の旅の途中で示した、険悪で懐疑的な精神)にしてはならない。」神は私たちの従順を期待しておられる。絶対服従と信頼が求められる。
「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します。」ヨハネ14:21
「あのとき、あなたがたの先祖たちはすでにわたしのわざを見ておりながら、わたしを試み、わたしをためした。わたしは四十年の間、その世代の者たちを忌みきらい、そして言った。『彼らは、心の迷っている民だ。彼らは、わたしの道を知ってはいない』と。それゆえ、わたしは怒って誓った。『確かに彼らは、わたしの安息(憩いの地/神の約束の地カナンへの定住と平和な生活/主イエスとの個人的な関係を通して与えられる霊的な救い/神ご自身の安息の休みに与ること/創造と贖罪の完成された御業を享受すること)に、入れない』と。」
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」マタイ11:28
「ですから、私たちは、この安息に入るよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。」へブル4:11 |
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| 12月16日 |
【王なる主への礼拝@】 詩篇96:1-10 |
詩篇96篇は、主は王であるという喜びの賛美詩篇シリーズの一つである。
「新しい歌を主に歌え。全地よ。主に歌え。主に歌え。御名をほめたたえよ。日から日へと、御救いの良い知らせを告げよ。主の栄光を国々の中で語り告げよ。その奇しいわざ(救いの御業)を、すべての国々の民の中で。」
「わたしは御名を、わたしの兄弟たちに告げよう。教会の中で、わたしはあなたを賛美しよう。」へブル2:12
「まことに(なぜなら)主は大いなる方、大いに賛美されるべき方。すべての神々にまさって恐れられる方だ。まことに、国々の民の神々はみな、むなしい(偶像)。しかし主は天をお造りになった。尊厳と威光は御前にあり、力と光栄は主の聖所にある。」聖所は天と地にある。
「国々の民の諸族よ。主にささげよ。栄光と力を主にささげよ。御名の栄光を主にささげよ。ささげ物を携えて、主の大庭に入れ。聖なる飾り物を着けて(聖なる輝きに満ちる)、主にひれ伏せ。」聖なる輝きに満ちた主にふさわしく、聖なる装いをして礼拝するようにとの招きである。
「全地よ。主の御前に、おののけ。国々の中で言え。『主は王である(王として治められる)。まことに、世界は堅く建てられ、揺らぐことはない。主は公正をもって国々の民をさばく。』」神の到来の日を告知する、完全な統治の預言である。 |
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| 12月23日 |
【王なる主への礼拝A】 詩篇96:11-13 |
「天は喜び、地は、こおどりし、海とそれに満ちているものは鳴りとどろけ。野とその中にあるものはみな、喜び勇め。そのとき(神の世界的王国が具体的に確立された時)、森の木々もみな、主の御前で、喜び歌おう。」メシヤ時代、創造された全てのものが、人間とともに神をたたえる。創造主であり、全ての王である神は、全被造世界の賛美を受ける。天地は神を礼拝する。
「確かに、主は来られる。確かに、地をさばくために来られる。主は、義をもって世界をさばき、その真実をもって国々の民をさばかれる。」さばきは、支配と統治である。キリストの来臨と御国の建設により、世界が内的にも外的にも、秩序をもって支配される。神の世界的支配の期待と確信が歌われている。礼拝は、過去でも未来でもない、ヤハウェの主性の現実性を確認する行為である。
「これはただ一つの日であって、これは主に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に、光がある。その日には、エルサレムから湧き水が流れ出て、その半分は東の海に、他の半分は西の海に流れ、夏にも冬にも、それは流れる。主は地のすべての王となられる。その日には、主はただひとり、御名もただ一つとなる。」ゼカリヤ14:7-9 |
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| 12月30日 |
【王なるイエスを迎える@】 詩篇97:1-8 |
詩篇97篇は、神の王権をたたえる詩篇である。イエス・キリストとその王国の出現をたたえている。
「主は、王だ(王として治められる/主の即位と王国の確立)。地は、こおどりし、多くの島々は喜べ。雲と暗やみ(密雲と濃霧)が主を取り囲み、義とさばきが御座の基である。」主の支配は、義と公正(社会公義と弱者擁護)を基礎としている。
「(裁きの)火は御前に先立って行き主を取り囲む敵を焼き尽くす。主のいなずまは世界を照らし、地は見て、おののく(神顕現)。山々は主の御前に、ろうのように溶けた。全地の主の御前に。天は主の義(救い)を告げ、すべての国々の民は主の栄光を見る。偶像に仕える者、むなしいものを誇りとする者は、みな恥を見よう。すべての神々(天使/人間の支配者)よ。主にひれ伏せ。」
「シオン(エルサレムの住民)は聞いて、喜び、ユダの娘たち(ユダの町々に住む人々)も、こおどりしました。主よ。あなたのさばきのために。」
「しかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。」ルカ21:20、27
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