エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2018年3月
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3月4日 【主の奇しい御業を想う@】 詩篇77:1-10
 詩篇77篇は、過去の栄光と現在の苦難が書かれている。おそらくバビロン捕囚の状況に書かれたのであろう。

 「私は神に向かい声をあげて、叫ぶ。私が神に向かって声をあげると、神は聞かれる(私は、声を上げ、神に助けを求めた。私が声を上げると、神は聞いてくださった)。苦難の日に、私は主を尋ね求め、夜には、たゆむことなく手を差し伸ばしたが、私のたましいは慰めを拒んだ(私は天の神に手を差し伸ばして祈ったが、真の慰めは神からしか来ないので、それ以外の一切の慰めを拒んだ)。私は神を思い起こして嘆き、思いを潜めて、私の霊は衰え果てる。セラ」

 「あなたは、私のまぶたを閉じさせない。私の心は乱れて、もの言うこともできない。私は、昔の日々、遠い昔の年々(神がイスラエルの民を顧みて、恵みを施してくださったいにしえのこと/語り継がれてきた救済の歴史)を思い返した。夜には私の歌を思い起こし、自分の心と語り合い、私の霊は探り求める。『主は、いつまでも拒まれるのだろうか。もう決して愛してくださらないのだろうか。主の恵みは、永久に絶たれたのだろうか。約束は、代々に至るまで、果たされないのだろうか(言葉をかけてくださらないのだろうか)。神は、いつくしみを忘れたのだろうか。もしや、怒ってあわれみを閉じてしまわれたのだろうか。』セラ」

 「そのとき私は言った。『私の弱いのは いと高き方の右の手(神の力強い守り)が変わったことによる(生ける神を見失っていたことによる)。』」
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3月11日 【主の奇しい御業を想うA】 詩篇77:11-20
 「私は、主のみわざを思い起こそう。まことに、昔からのあなたの奇しいわざ(人間の理解を越えたこと)を思い起こそう。私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう(意味を黙想しよう)。」「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」ローマ8:32

 「神よ。あなたの道は聖です。神のように大いなる神が、ほかにありましょうか。あなたは奇しいわざを行われる神、国々の民の中に御力を現される方です。あなたは御腕(力の宿る所/神の救いの御力の象徴)をもって、ご自分の民(神の親族)、ヤコブとヨセフの子らを贖われました。セラ 神よ。水はあなたを見たのです。水(混沌の原初の水)はあなたを見て、わななきました。わたつみ(海/神に逆らう勢力)もまた、震え上がりました。雲は水を注ぎ出し、雷雲は雷をとどろかし、あなたの矢もまた、ひらめき飛びました。あなたの雷の声は、いくさ車のように鳴り、いなずまは世界を照らし、地は震え、揺れ動きました。あなたの道は海の中にあり、あなたの小道は大水の中にありました。それで、あなたの足跡を見た者はありません。」葦の海(紅海)での奇跡的な救出を描く。イスラエルの民に、神の力、守り、愛を思い出させた。海の中に道を通すとは、混沌に秩序をもたらすことを意味する。「あなたは、ご自分の民を、モーセとアロンの手によって、羊の群れのように導かれました。」私たちが神に祈る時、神は私たちの焦点を私たち自身から神ご自身に移される。イスラエルをエジプトから贖い出された神は、必ずバビロンからも救い出してくださる。神に信頼し従い続ける者を、優しく育んでくださる。
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3月18日 【主の選び@】 詩篇78:1-22
 詩篇78篇は、エジプトの隷属時代から、ダビデの統治時代に至るまでの、救いの歴史の教訓である。

 「私の民よ。私の教えを耳に入れ、私の口のことばに耳を傾けよ。私は、口を開いて、たとえ話(箴言)を語り、昔からのなぞを物語ろう。それは、私たちが聞いて、知っていること、私たちの先祖が語ってくれたこと。それを私たちは彼らの子孫に隠さず、後の時代に語り告げよう。主への賛美と御力と、主の行われた奇しいわざとを。主はヤコブのうちにさとし(証し)を置き、みおしえをイスラエルのうちに定め、私たちの先祖たちに命じて、これをその子らに教えるようにされた。後の世代の者、生まれてくる子らが、これを知り、彼らが興り、これをその子らにまた語り告げるため、彼らが神に信頼し、神のみわざを忘れず、その仰せを守るためである。また先祖たちのように、彼らが、かたくなで、逆らう世代の者、心定まらず、その霊が神に忠実でない世代の者とならないためである。」

 「エフライム(北王国全体)の人々は、矢をつがえて弓を射る者であったが、戦いの日には退却した(信仰の退却)。彼らは、神の契約を守らず、神のおしえに従って歩むことを拒み、神の数々のみわざと、神が見せてくださった多くの奇しいこととを忘れてしまった(不従順)。神は、彼らの先祖たちの前で、エジプトの地、ツォアンの野で、奇しいわざを行われた。神は海を分けて彼らを通らせ、せきのように水を立てられた。神は、昼は雲をもって、彼らを導き、夜は、夜通し炎の光で彼らを導いた(主の臨在と保護)。荒野では岩を割り、深い水からのように豊かに飲ませられた。また、岩から数々の流れを出し、水を川のように流された。」

 「それなのに、彼らはなおも神に罪を犯し、砂漠で、いと高き方に逆らった。彼らは欲するままに食べ物を求め、心のうちで神を試みた。そのとき彼らは神に逆らって、こう言った。『神は荒野の中で食事を備えることができようか。確かに、岩を打たれると、水がほとばしり出て流れがあふれた。だが、神は、パンをも与えることができようか。ご自分の民に肉を備えることができようか。』それゆえ、主は、これを聞いて激しく怒られた。火はヤコブに向かって燃え上がり、怒りもまた、イスラエルに向かって立ち上った。これは、彼らが神を信ぜず、御救いに信頼しなかったからである。」不信仰こそ、最も大きな敵である。
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3月25日 【主の選びA】 詩篇78:23-64
 「しかし神は、上の雲に命じて天の戸を開き、食べ物としてマナを、彼らの上に降らせ、天の穀物を彼らに与えられた。…こうして彼らの欲望を、かなえてくださった。彼らがその欲望から離れず、まだ、その食べ物が口にあるうちに、神の怒りは彼らに向かって燃え上がり、彼らのうちの最もがんじょうな者たち(肥え太った者)を殺し、イスラエルの若い男たちを打ちのめされた。」神の恵みと怒りが記されている。神につぶやいた民の貪欲と節度のなさが、彼らの病死の原因である。

 「…彼らの心は神に誠実でなく、神の契約にも忠実でなかった。しかし、あわれみ深い神は、彼らの咎を赦して、滅ぼさず、幾度も怒りを押さえ、憤りのすべてをかき立てられはしなかった。神は、彼らが肉にすぎず、吹き去れば、返って来ない風であることを心に留めてくださった。」

 「幾たび彼らは、荒野で神に逆らい、荒れ地で神を悲しませたことか。彼らはくり返して、神を試み、イスラエルの聖なる方(聖い神の御心)を痛めた。彼らは神の力をも、神が敵から贖い出してくださった日をも、覚えてはいなかった。神が、エジプトでしるしを、ツォアンの野で奇蹟を行われたことを。」

 エジプトに加えられた十の災いのうち、七つが描かれている。

 「しかし神は、ご自分の民を、羊の群れのように連れ出し、家畜の群れのように荒野の中を連れて行かれた。彼らを安らかに導かれたので、彼らは恐れなかった。彼らの敵は、海が包んでしまった。こうして神は、ご自分の聖なる国、右の御手で造られたこの山(エルサレム)に、彼らを連れて行かれた。神はまた、彼らの前から国々を追い出し、その地を相続地として彼らに分け与え、イスラエルの諸族をおのおのの天幕に住まわせた。」

 「それなのに、彼らはいと高き神を試み、神に逆らって、神のさとしを守らず、もとに戻って、彼らの先祖たちのように裏切りをし、たるんだ弓の矢のようにそれてしまった。また彼らは、高き所(異教の神が礼拝された)を築いて神の怒りを引き起こし、刻んだ像で、神のねたみを引き起こした。神は、聞いて激しく怒り、イスラエルを全く捨てられた。それで、シロの御住まい、人々の中にお建てになったその幕屋を見放し、御力をとりこに、御栄えを敵の手に、ゆだねられた(十戒の箱が異教徒の手に奪われるのを、お許しになられた)。…」エフライムのシロに契約の箱を安置した聖所があったが、ペリシテ人が契約の箱を略奪した後に廃墟となった。
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