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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2017年12月 |
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| 12月10日 |
【王の統治A】 詩篇72:7-15 |
「彼の代に正しい者が栄え、月のなくなるとき(世の終わり/裁きの時/主の日の到来の時)まで、豊かな平和がありますように。彼は海から海に至るまで、また、川(ユーフラテス川)から地の果て果てに至るまで統べ治めますように(王は、世界の隅々まで統べ治める)。」真の王なるキリストの来臨による、世界統治の完全な実施の祈りである。
「荒野の民(遊牧民/誇り高く、なかなか服従しない人々)は彼の前にひざをつき、彼の敵はちりをなめますように(完全な敗北と服従を象徴する)。タルシシュと島々(西方の果て)の王たちは贈り物をささげ、シェバとセバ(アラビヤ南北部の国々)の王たちは、みつぎを納めましょう。」これらの王たちは、全世界を代表する。「こうして、すべての王が彼にひれ伏し、すべての国々が彼に仕えましょう。これは、彼が、助けを叫び求める貧しい者や、助ける人のない悩む者を救い出すからです。彼は、弱っている者や貧しい者をあわれみ、貧しい者たちのいのちを救います。彼はしいたげと暴虐とから、彼らのいのちを贖い出し、彼らの血は彼の目に尊ばれましょう。」民の生命は、神のものであるゆえ、尊いものとされた。生命保護を中心とする、人間の人格的尊厳を示す。真の王は、弱い立場にある人々を見捨てず、保護する。王の人道的支配が記されている。「それゆえ、彼が生きながらえ(王が長寿を全うするようにとの祈り)、彼にシェバの黄金(王にささげられる貢ぎ物、高価な献げ物の代表的な物)がささげられますように。彼のためにいつも彼らは祈り、一日中、彼をほめたたえますように(人々が王のためにいつも祈り、一日中王に祝福がありますように)。」王の祝福のために、民のとりなしの祈りが必要である。 |
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| 12月17日 |
【王の統治B】 詩篇72:16-20 |
「地では、山々の頂(最も見込みのない土壌)に穀物が豊かにあり、その実りはレバノン(イスラエル北方のレバノンは小国だが、豊富な果物や野菜を産出し、杉の木も有名である)のように豊かで、町の人々は地の青草のように栄えますように(町の人々は、野の草のようになる)。」収穫の時が語られ、王による祝福が、自然と結びつけられて語られている。王は、神の祝福を民に与える水管である。「彼の名はとこしえに続き、その名は日の照るかぎり、いや増し、人々は彼によって祝福され、すべての国々は彼をほめたたえますように(全世界の人々は、王によって祝福を受け、王を祝福された方と称える)。」王に対する祝福は、神の地上支配の代行者としての王から、神自らが王であられる次元へと高められていく。王なるイエスの永遠の統治と御国の完成が、語られている。神が立てられた王なるイエスこそ、全人類の祝福の基である。
「ほむべきかな。神、主、イスラエルの神。ただ、主ひとり、奇しいわざ(驚くべきわざ/創造と摂理/奇跡的な救いのわざ/教え/約束/自然と歴史に対する神の特別の御業)を行う。とこしえに、ほむべきかな。その栄光の御名。その栄光は地に満ちわたれ(栄光は全地を満たす)。アーメン。アーメン。」
「エッサイの子ダビデの祈りは終わった。」第二巻は、エローヒーム(神)詩篇として、神の救いの力が告白され賛美されてきた。ダビデ集3-41篇、51-72篇の終わりを表す言葉である。この詩篇は、ソロモンによるが、ダビデが第二巻の殆どを書いたことを意味する。 |
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| 12月24日 |
【福音の真髄:神が取り替えてくださる】 |
1.イエスは私たちの【罰】を取り、私たちに【赦免】を与えられた。
“「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、
わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、
主の恵みの年を告げ知らせるために。」”ルカ4:18−19?
2.イエスは私たちの【病と痛み】を取り、私たちに【いやしと健康】を与えられた。
“まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。”イザヤ書53:4
3.イエスは私たちの【罪】を取り、私たちに【彼の義】を与えられた。
“神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。
それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。”Uコリント5:21?
4.イエスは私たちの【死】を取り、私たちに【彼のいのち】を与えられた。
“罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、
私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。”ローマ6:23
5.イエスは私たちの【貧困】を取り、私たちに【彼の豊かさ】を提供される。
“あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。
すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。
それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。”Uコリント8:9
6.イエスは私たちの【恥】を取り、私たちに【彼の栄光】を分け与えてくださる。
“神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、
義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。”ローマ8:30
“あなたがたは恥に代えて、二倍のものを受ける。人々は侮辱に代えて、
その分け前に喜び歌う。それゆえ、その国で二倍のものを所有し、
とこしえの喜びが彼らのものとなる。”イザヤ書61:7
7.イエスは私たちの【拒絶】を取り、神の家族に【受け入れ】てくださる。
“わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。
遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。”詩篇22:1
8.イエスは私たちの【呪い】を取り、私たちに【彼の祝福】をくださる。?
“キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。”ガラテヤ3:13−14 |
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| 12月31日 |
【神の近くにいること@】 詩篇73:1-12 |
詩篇73篇は、信仰の試練と聖所における信仰の回復と勝利の歌である。詩篇73篇〜83篇はアサフ集である。アサフはレビ族で、ダビデによって任命された聖所での礼拝と音楽の指導者である。
「まことに(やはりそうだった/確かに)神は、イスラエルに、心のきよい(神に全く身を委ねている)人たちに(神に正しく向き合う者に対して/神に忠実な人たちに)、いつくしみ深い。」本篇の結論である。「しかし、私自身は、この足がたわみそうで、私の歩みは、すべるばかりだった。それは、私が誇り高ぶる者をねたみ(詩人の悩みの直接的原因/嫉妬や不満程、分別を失わせるものはない)、悪者の栄えるのを見たからである(神に逆らう者の安泰を見て わたしは驕る者をうらやんだ)。彼らの死には、苦痛がなく、彼らのからだは、あぶらぎっているからだ(死ぬまで彼らは苦しみを知らず/からだも肥えている/健康にあふれている/生涯に病苦がない)。人々が苦労するとき、彼らはそうではなく、ほかの人のようには打たれない(ほかの人からひどい目に遭わされることもない/だれもがかかる病も彼らには触れない/人生において会うべき悩みや重荷からも逃れているように見える)。それゆえ、高慢が彼らの首飾り(身分の高さを表すしるし)となり、暴虐の着物が彼らをおおっている。彼らの目は脂肪でふくらみ(輝き)、心の思いはあふれ出る(脂肪から彼らの罪が出る)。彼らはあざけり、悪意をもって語り、高い所からしいたげを告げる(高ぶって、人々を脅かす)。彼らはその口を天にすえ、その舌は地を行き巡る(彼らは天に対しても威張り、地上でもわがもの顔で語る)。それゆえ、その民は、ここに帰り、豊かな水は、彼らによって飲み干された(人々は彼らに走り、そこで満足している)。こうして彼らは言う。『どうして神が知ろうか。いと高き方に知識があろうか。』見よ。悪者とは、このようなものだ。彼らはいつまでも安らかで、富を増している。」
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