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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2017年2月 |
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| 2月5日 |
【きよい心の創造A】 詩篇51:11-19 |
「私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊(自由の霊/導きの霊)が、私をささえますように。」喜びは信仰生活の中心の一つである。神との交わりの回復と、奉仕の喜びを求めた。「私は、そむく者たちに、あなたの道を教えましょう。そうすれば、罪人は、あなたのもとに帰りましょう。」証の生涯により、神の救いが拡大する。
「神よ。私の救いの神よ。血の罪(血を流した罪/流血の災い/ウリヤを殺害した大罪)から私を救い出してください。そうすれば、私の舌は、あなたの義(赦しによる救いの恵み)を、高らかに歌うでしょう。主よ。私のくちびるを開いてください。そうすれば、私の口は、あなたの誉れを告げるでしょう。」賛美は罪の赦しの明らかな印である。「たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」悔い改めた謙遜な心、服従しやすい耕された心は、礼拝の本質である。ささげ物は、謙遜と感謝の表れである。
「どうか、ご恩寵により、シオンにいつくしみを施し、エルサレムの城壁を築いてください。そのとき(霊とまことをもって礼拝がささげられる時)、あなたは、全焼のいけにえと全焼のささげ物との、義のいけにえを喜ばれるでしょう。そのとき、雄の子牛があなたの祭壇にささげられましょう。」「こうして、彼らはその日、数多くのいけにえをささげて喜び歌った。神が彼らを大いに喜ばせてくださったからである。女も子どもも喜び歌ったので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。」ネヘミヤ12:43 祈りの栄光に満ちた答えである。 |
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| 2月12日 |
【悪を誇る者と正しい者@】 詩篇52:1-5 |
「なぜ、おまえは悪を誇るのか。勇士よ。神の恵み(不変の愛)は、いつも、あるのだ(神の御前に恥しいことをしているのに、どうして一日中誇っているのか)。」真の勇士は、神を畏れて神に従う者、また、神の恵みによって立てられていることを自覚し、正しい道を選ぶ者である。「欺く者(偽りを行なう者/神の家に住むことからは閉め出された者)よ。おまえの舌は破滅を図っている。さながら鋭い刃物のようだ。おまえは、善よりも悪を、義(ここでは人間関係における真実)を語るよりも偽りを愛している。セラ 欺きの舌(そういう人間存在)よ。おまえはあらゆるごまかしのことば(人を飲み込んで滅ぼしてしまうような、危険な言葉)を愛している。」「死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。」箴言18:21
「それゆえ、神はおまえを全く打ち砕き、打ち倒し、(永久に滅ぼされる。)おまえを幕屋から引き抜かれる(宿なしになる)。こうして、生ける者の地(地上)から、おまえを根こぎにされる(滅ぼされる)。セラ」神は正義を行なわれるという、預言者的審判の宣告である。「そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。」ヨハネ3:19-21 |
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| 2月19日 |
【悪を誇る者と正しい者A】 詩篇52:6-9 |
「正しい者らは見て、恐れ、彼(偽りの勇士)を(あざ)笑う。『見よ。彼こそは、神を力(避け所)とせず、おのれの豊かな富にたより(何かの故に安全を感ずるフィーリング)、おのれの悪に強がる(自分を滅ぼすものを力と頼んでいた)。』しかし、この私(真の勇士を代表してその祝福を語る)は、神の家にある(神に守られている)おい茂るオリーブの木(生命の旺盛さと繁栄の象徴)のようだ。私は、世々限りなく、神の恵みに拠り頼む。」オリーブの木は樹齢が長く、幹を大きく切っても根元から芽が出てくる。それは、人生の基盤を神の愛に置く人、神の恵みによって、いつまでも繁栄する様子を表している。
「私は、とこしえまでも、あなたに感謝します。あなたが、こうしてくださった(全き信頼と主の御業の故に、正しい者であり得た/悪人を裁いてくださった)のですから。私はあなたの聖徒たちの前で(あなたを愛する者たちのいる中で)、いつくしみ深いあなたの御名を待ち望みます(宣べ伝えます)。」ダビデは神の忠実なしもべに対する神の永遠の守りと、悪人の突然の滅びとを対比させた。「主はこう仰せられる。『人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。そのような者は荒地のむろの木のように、しあわせが訪れても会うことはなく、荒野の溶岩地帯、住む者のない塩地に住む。主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。』」 |
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| 2月26日 |
【神の民の救いと繁栄@】 詩篇53:1-3 |
「愚か者(故意に不道徳なことを行なう者)は心の中で(生活原理の中心が不信仰で占められている)『神はいない』と言っている。彼らは腐っており(自己破壊の状態)、忌まわしい不正を行っている。善を行う者はいない。神は天から人の子ら(人類全体)を見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者(目覚めた人)がいるかどうかをご覧になった。彼らはみな、そむき去り、だれもかれも腐り果てている。善を行う者はいない。ひとりもいない。」愚か者とは、自分たちを救うことのできる唯一の神を拒絶する人たちである。愚か者が神を拒絶するのは、全て彼らの罪深さゆえである。愚か者は、神を知っていながら、故意に否定する生活を送り、自分を神とする者である。また、倫理的な神の道徳的支配を否定する、実際的無神論者である。「私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです──キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」エペソ2:3-6、10
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