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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2017年1月 |
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| 1月1日 |
【たましいの贖いしろ@】 詩篇49:1-9 |
「すべての国々の民よ。これを聞け。世界に住むすべての者よ。耳を傾けよ。低い者(一般の人々)も、尊い者(社会的に影響を与え得る人々)も(人類すべて、生きている一人一人も)、富む者も、貧しい者も、ともどもに。私の口は知恵を語り、私の心は英知(洞察力/理解/悟り)を告げる。私はたとえ(箴言/教訓/知恵の言葉/格言/神の御心)に耳を傾け(を悟り)、立琴に合わせて私のなぞ(人生の問題)を解き明かそう。」
「どうして私は、わざわいの日に、恐れなければならないのか。私を取り囲んで中傷する者の悪意を。おのれの財産に信頼する者どもや、豊かな富を誇る者どもを。人は自分の兄弟をも買い戻すことはできない。自分の身代金を神に払うことはできない(確かに、人間は、人の命を救うために、その代価を支払うことはできない)。──たましいの贖いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはならない──人はとこしえまでも生きながらえるであろうか。墓を見ないであろうか。」人は死から免れる道を、自分や他の人のために買うことはできない。罪と死の奴隷から解放するために、イエスは代価を払ってくださった。「ご承知のように、あなたがたが父祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」Tペテロ1:18-19 |
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| 1月8日 |
【たましいの贖いしろA】 詩篇49:10-20 |
「彼は見る(全ての人が目撃する)。知恵(信仰)のある者たちが死に、愚か者もまぬけ者もひとしく滅び、自分の財産(人の持ち物)を他人に残すのを。彼らは、心の中で、彼らの家は永遠に続き、その住まいは代々にまで及ぶと思い、自分たちの土地に、自分たちの名をつける(地上で名を上げること)。しかし人は、その栄華のうちにとどまれない。人は滅びうせる獣に等しい。これが愚か者どもの道(自分を頼む者たちの運命/自分の力に頼る者の道)、彼らに従い、彼らの言うことを受け入れる者どもの道(不信仰者の末路)である。セラ」
「彼らは羊のようによみに定められ、死が彼らの羊飼いとなる(屠殺して食用に供される羊のごとくなる)。朝(神の国が到来する時)は、直ぐな者(救い主を代表とする真の信仰者たち)が彼らを支配する。彼らのかたちはなくなり、よみがその住む所となる(彼らは死に支配され、死んだらそれでおしまいだ)。しかし神は私のたましいをよみの手から買い戻される(私の命を救い出す/死より贖う)。神が私を受け入れてくださるからだ。セラ」
「恐れるな。人が富を得ても、その人の家の栄誉が増し加わっても。人は、死ぬとき、何一つ持って行くことができず、その栄誉も彼に従って下っては行かないのだ。彼が生きている間、自分を祝福できても、また、あなたが幸いな暮らしをしているために、人々があなたをほめたたえても。あなたは、自分の先祖の世代に行き(死に)、彼らは決して光を見ないであろう。人はその栄華の中にあっても、悟り(知恵の言葉)がなければ、滅びうせる獣に等しい。」悟りのみが、いのちへと導く。「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」ヨハネ17:3 |
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| 1月15日 |
【感謝の礼拝をささげる@】 詩篇50:1-15 |
詩篇50篇には、真実の礼拝が記されている。
「神の神(至高の神)、主は語り、地(全世界に住む人々)を呼び寄せられた。日の上る所から沈む所まで(全地)。麗しさの窮み、シオンから、神は光を放たれた。われらの神は来て、黙ってはおられない。御前には食い尽くす火(稲妻)があり、その回りには激しいあらしがある。神はご自分の民をさばくため、上なる天と、地とを呼び寄せられる(御使いから諸国民まで、神の審判の証人として呼び出される)。『わたしの聖徒たちをわたしのところに集めよ。いけにえにより、わたしの契約を結んだ者たちを。』天は神の義を告げ知らせる。まことに神こそは審判者である。セラ」神が裁きのために、法廷を開く光景である。「なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。」Tペテロ4:17 神の恵みと特権に与った者には、責任と使命がある。
「『聞け。わが民よ。わたしは語ろう。イスラエルよ。わたしはあなたを戒めよう。わたしは神、あなたの神である。いけにえのことで、あなたを責めるのではない。あなたの全焼のいけにえは、いつも、わたしの前にある。わたしは、あなたの家から、若い雄牛を取り上げはしない。あなたの囲いから、雄やぎをも。森のすべての獣は、わたしのもの、千の丘の家畜らも。わたしは、山の鳥も残らず知っている。野に群がるものもわたしのものだ。わたしはたとい飢えても、あなたに告げない。世界とそれに満ちるものはわたしのものだから。わたしが雄牛の肉を食べ、雄やぎの血を飲むだろうか。感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き方に果たせ(わたしが求めているものは、心からの感謝であり、誓ったことを果すことである)。苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。』」外面的な儀式ではなく、第一の愛と霊とまことによって、神を礼拝し、信頼して祈ることが命じられている。
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| 1月22日 |
【感謝の礼拝をささげるA】 詩篇50:16-23 |
「しかし、悪者(背く者)に対して神は言われる。『何事か。おまえがわたしのおきてを語り、わたしの契約を口にのせるとは。おまえは戒め(訓戒/懲らしめ)を憎み、わたしのことば(聖書を通して思考と良心が訓練されること)を自分のうしろに投げ捨てた(拒絶した/目に入らないようにした)。』」口先だけの信仰、神の命令を暗唱しながら、それを行なわない人を咎めている。その人は、神が約束していることを要求するが、神に従うことを拒む。「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。」マタイ7:21 「『おまえは盗人に会うと、これとくみし、姦通する者と親しくする(自分も同じことを行なう/遊び仲間のつきあい/神を敬わない社会の考えや行動に同調している)。おまえの口は悪を放ち、おまえの舌は欺きを仕組んでいる。おまえは座して、おのれの兄弟の悪口を言い、おのれの母の子をそしる。こういうことをおまえはしてきたが、わたしは黙っていた。わたしがおまえと等しい者だとおまえは、思っていたのだ。』」自分を神と等しい者と考える高ぶった思いが悪の根源である。「『わたしはおまえを責める。おまえの目の前でこれ(罪状)を並べ立てる。神を忘れる(神の律法?言葉?を無視する)者よ。さあ、このことをよくわきまえよ。さもないと、わたしはおまえを引き裂き、救い出す者もいなくなろう。
感謝(告白)のいけにえ(神への正しい礼拝)をささげる人は、わたしをあがめよう(わたしを栄光に輝かすであろう)。その道(具体的な信仰生活)を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。』」 |
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| 1月29日 |
【きよい心の創造@】 詩篇51:1-10 |
詩篇51篇は、7つの悔い改めの詩篇の4番目である。
「神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。どうか私の咎(不義)を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。私はあなたに、ただあなたに、(私は、だれよりも、あなたに対して)罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行いました。それゆえ、あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。」人に対する罪は、神への罪である。最大の罪は、神と神の言葉に対して犯したものだと言っている。
「ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました(人間の原罪)。ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。それゆえ、私の心の奥に知恵(神を恐れ尊ぶ信仰的な生き方)を教えてください(あなたは教えてくださるでしょう)。ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください(汚れを清める血を振り掛けてください/あなたはヒソプをもって私をきよめてくださるでしょう)。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。」ヒソプは、きよめの儀式に用いられる植物で、血や水をふりかけるために使われた。低木で白い花をつける、香りの高い小さな植物である。「私に、楽しみと喜びを、聞かせてください(満ちたらしめよ)。そうすれば、あなたがお砕きになった骨が、喜ぶことでしょう(骨を躍らせてください/苦悩をいやしてください)。御顔を私の罪から隠し、私の咎をことごとく、ぬぐい去ってください。」
「神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。」人の更生は、神の創造的行為である。
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