エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2016年9月
9月4日 【神への新しい賛美@】 詩篇40:1-6
 詩篇40篇は、感謝と祈りの詩である。

 「私は切なる思いで(忍耐して)主を待ち望んだ(主にのみ、わたしは望みをおいていた)。主は私のほうに身を傾け(わたしに向かって身をかがめ/向きを変えて))、私の叫びを聞き、私を滅びの穴から、泥沼から(瀕死の状態から/よみから)、引き上げてくださった。そして私の足を巌(安全/救い)の上に置き、私の歩みを確かにされた(確かな所に立たせてくださった)。主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。多くの者は見、そして恐れ(主を仰ぎ見/主を畏れ敬い)、主に信頼しよう。」

 「幸いなことよ。主に信頼し、高ぶる者や、偽りに陥る者たちのほうに向かなかった、その人は。わが神、主よ。あなたがなさった奇しいわざ(救いの御業)と、私たちへの御計り(神の摂理的配慮/御心)は、数も知れず、あなたに並ぶ者はありません。私が告げても、また語っても、それは多くて述べ尽くせません。あなたは、いけにえや穀物のささげ物をお 喜びにはなりませんでした。あなたは私の耳を開いてくださいました(私を従順にしてくださいました)。」「神である主は、私に弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ますことを教え、朝ごとに、私を呼びさまし、私の耳を開かせて、私が弟子のように聞くようにされる。」イザヤ50:4 「あなたは、全焼のいけにえも、罪のためのいけにえも、お求めになりませんでした。」ささげ物の否定ではなく、神への献身と服従への優位性が語られている。神の律法に対する従順は、いけにえより大切である。「そこでわたしは言いました。『さあ、わたしは来ました。聖書のある巻に、わたしについてしるされているとおり、神よ、あなたのみこころを行うために。』」ヘブル10:7
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9月11日 【神への新しい賛美A】 詩篇40:7-17
 「そのとき私は申しました。『今、私はここに来ております。巻き物の書に私のことが書いてあります。わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。』」キリストは、律法を成就するために来られた。主が喜ばれる霊的礼拝の本質は、自分自身を全きいけにえとすることである。「私は大きな会衆(礼拝に集まった多数の人々)の中で、義の良い知らせ(救いの福音)を告げました。ご覧ください。私は私のくちびるを押さえません。主よ。あなたはご存じです。」

 「私は、あなたの義(救い)を心の中に隠しませんでした。あなたの真実とあなたの救いを告げました。私は、あなたの恵みとあなたのまことを大いなる会衆に隠しませんでした。」契約共同体に連なっている連帯感ゆえである。「あなたは、主よ。私にあわれみを惜しまないでください(惜しみません)。あなたの恵みと、あなたのまことが、絶えず私を見守るようにしてください。数えきれないほどのわざわいが私を取り囲み、私の咎が私に追いついたので、私は見ることさえできません。それは私の髪の毛よりも多く、私の心も私を見捨てました(わたしは心挫けています)。」

 「主よ。どうかみこころによって私を救い出してください。主よ。急いで、私を助けてください。 私のいのちを求め、滅ぼそうとする者どもが、みな恥を見、はずかしめを受けますように。私のわざわいを喜ぶ者どもが退き、卑しめられますように。私を『あはは』とあざ笑う者どもが、おのれの恥のために、色を失いますように。」

 「あなたを慕い求める人(自分を忘れた礼拝者たち)がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、『主をあがめよう』と、いつも言いますように。私は悩む者、貧しい者(正しい信仰者)です。主よ。私を顧みてください(訪問してください)。あなたは私の助け、私を助け出す方。わが神よ。遅れないでください。」
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9月18日 【神への新しい賛美A】 詩篇40:7-17
 「幸いなことよ(幸いな者)。」神にある全き幸福を表す定型句である。絶えず神の教えに従うことによって、祝福されることを教えている。「弱っている者に心を配る(賢く行動する/注意深く考える)人は。主はわざわいの日にその人を助け出される。」人を愛する者への祝福が約束されている。「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。」マタイ5:7 「あわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。」ヤコブ2:13 「主は彼を見守り、彼を生きながらえさせ(長生きさせ)、地上でしあわせな者とされる。」平安な長寿が与えられる。「どうか彼を敵の意のままにさせないでください(敵の願いのままにさせることはない)。主は病の床で彼をささえられる。病むときにどうか彼を全くいやしてくださるように(やがていやされる)。」

 「私は言った。『主よ、あわれんでください。私のたましいをいやしてください。私はあなたに罪を犯したからです。』」病気の原因である罪からの救いを求めている。「主は彼の前を通り過ぎるとき、宣言された。『主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に。』」出エジプト34:6-7
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9月25日 【主のあわれみを求めるA】 詩篇41:5-13
 「私の敵は、私の悪口を言います。『いつ、彼は死に、その名は滅びるのだろうか(いつ死ぬのか、楽しみだ/早く死んでその名も消えうせるがよい)。』」彼の死後の子孫の絶滅のことを言っている。「たとい、人が見舞いに来ても、その人はうそを言い、その心のうちでは、悪意をたくわえ、外に出ては、それを言いふらす。私を憎む者はみな、私について共にささやき、私に対して、悪をたくらむ。 『邪悪なもの(価値のないもの/滅び/サタン)が、彼に取りついている。彼が床に着いたからには、もう二度と起き上がれまい(不治の病が取りついたので、治ることはない)。』私が信頼し、私のパンを食べた(一緒に食事をした)親しい友までが、私にそむいて、かかとを上げた(裏切った/威張ってわたしを足げにします)。」この言葉は、イスカリオテ・ユダの裏切りによって成就した。

 「しかし、主よ。あなたは私をあわれんでください。私を立ち上がらせてください(病をいやしてください)。そうすれば私は、彼らに仕返しができます(彼らを見返すことができます)。このこと(いやされ、立ち上がること)によって、あなたは私を喜んでおられるのが、わかります。私の敵が私に勝ちどきをあげないからです。誠実を尽くしている私を強くささえ、いつまでも、あなたの御顔の前(生活の中心)に立たせてください。」主との交わりが更新された安堵を求めている。「ほむべきかな。イスラエルの神、主。とこしえから、とこしえまで。アーメン。アーメン(繰り返しは、強調を表す)。」
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