エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2016年8月
8月7日 【主の御前にある願い@】 詩篇38:1-9
  詩篇38篇は、「記念のための(思い出させるため)ダビデの賛歌」である。神にとって思い出すとは、行動することである。病床で罪の赦しを請う祈りであり、7つある悔い改めの詩篇うちの1つである。

 「主よ。あなたの大きな怒りで私を責めないでください。あなたの激しい憤りで私を懲らしめないでください。」詩人の病は、罪のゆえの神の怒りにあると自覚している。神にあわれみによって、懲らしめを和らげてくださるように頼んだ。「あなたの矢(痛みと恐れ)が私の中に突き刺さり、あなたの手(圧迫と不安/罪の重圧)が私の上に激しく下って来ました。」神の裁きと罪の刑罰ゆえであった。「あなたの憤りのため、私の肉(私自身)には完全なところがなく(私は健康を害し)、私の罪のため私の骨には健全なところがありません(私の体は健康でありません)。」私たちの罪は、身体的精神的副作用があり、非常に大きな苦しみをもたらすことがある。「私の咎が、私の頭を越え、重荷のように、私には重すぎるからです。」咎が溺れる程の洪水となって、自力では解決できなくなった。

 「私の傷(心の傷口)は、悪臭を放ち、ただれました。それは私の愚かしさ(罪の本質/罪の姿/罪深さ)のためです。私はかがみ、深くうなだれ、一日中、嘆いて歩いています。私の腰(人の力の源)はやけど(熱をもつ病気)でおおい尽くされ、私の肉には完全なところがありません。私はしびれ、砕き尽くされ、心の乱れのためにうめいています。」心身ともに打ちのめされた。

 「主よ。私の願いはすべてあなたの御前にあり、私の嘆きはあなたから隠されていません(あなたに知られています/あなたの前に広げられています)。」「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」ピリピ4:6-7
メッセージのトップへ戻る
8月14日 主の御前にある願いA 詩篇3810-22

 「私の心はわななきにわななき(心は動転し)、私の力は私を見捨て(体力は消耗し)、目の光さえも、私にはなくなりました。」
私の力、目の光は、生命力である。

「私の愛する者や私の友も、私のえやみ(打ち傷/懲らしめ/疫病/神によって打たれた印/罪の罰)を避けて立ち、私の近親の者も遠く離れて立っています。私のいのちを求める者はわなを仕掛け、私を痛めつけようとする者は私の破滅(死の宣告)を告げ、一日中、欺きを語っています。」

 「しかし私には聞こえません。私は耳の聞こえない者のよう。口を開かず、話せない者のよう。まことに私は、耳が聞こえず、口で言い争わない(弁解しない/非難がない)人のようです。」
「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。」

T
ペテロ2:22-23 「それは、主よ、私があなたを待ち望んでいるからです。」
詩人には、神への信仰と希望と期待があった。

「わが神、主よ。あなたが答えてくださいますように。私は申しました。
私の足がよろけるとき、彼らが私のことで喜ばず、私に対して高ぶらないようにしてください。

 「私はつまずき倒れそうであり(死の苦しみ)、私の痛みはいつも私の前にあります。私は自分の咎を言い表し、私の罪で私は不安になっています(悲しんでいます)。」
私たちが自分の罪を言い表すなら、その罪は赦され、御子イエスの血によって、全ての罪と悪からきよめられる。

「しかし私の敵は、活気に満ちて、強く、私を憎む偽り者(裏切り者)が多くいます。また、善にかえて悪を報いる者どもは、私が善を追い求めるからといって、私をなじっています(わたしは彼らの幸いを願うのに彼らは敵対するのです)。私を見捨てないでください。主よ。わが神よ。私から遠く離れないでください。急いで私を助けてください。主よ、私の救いよ。」
信仰を告白している。

メッセージのトップへ戻る
8月21日 【私の望みは主@】 詩篇39:1-6
 詩篇39篇は、人生のはかなさを知る者の祈りである。 

 「私は言った。私は自分の道(生き方)に気をつけよう。私が舌で罪を犯さないために。私の口に口輪をはめておこう。悪者(神に逆らう者)が私の前にいる(喜んでいる)間は。」自分に対する神の扱いについて、他者に不満を言わないと決めた。不平をもらして、神に反逆するような生活態度をとらないように努力した。神に逆らう者から攻撃されないためであった。「あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行いを、良い生き方によって示しなさい。」ヤコブ 3:13 「私はひたすら沈黙を守った。よいことにさえ、黙っていた。それで私の痛みは激しくなった。私の心は私のうちで熱くなり、私がうめく間に、火は燃え上がった。そこで私は自分の舌で、こう言った。」

 「主よ。お知らせください。私の終わり、私の齢(残された人生)が、どれだけなのか。私が、どんなに、はかないかを知ることができるように。ご覧ください。あなたは私の日(寿命)を手幅(つかの間)ほどにされました。私の一生は、あなたの前では、ないのも同然です。まことに、人はみな、盛んなときでも、全くむなしいものです。セラ」ダビデは人ではなく、神に直接祈り求めた。むなしさを知るには、永遠の絶対者の前に立たねばならない。将来の視点から現在を賢く生き、真に大切なことのために人生を用いよう。「まことに、人は幻のように歩き回り、まことに、彼らはむなしく立ち騒ぎます(あくせくし)。人は、積みたくわえるが、だれがそれを集めるのかを知りません(たとい富を蓄えても、それがだれのものになるのかを知りません)。」「むしろ、あなたがたはこう言うべきです。『主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。』」ヤコブ4:15
メッセージのトップへ戻る
8月28日 【私の望みは主A】 詩篇39:7-13
 「主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです。」人生のはかなさを確信したダビデは、人生の目的、希望が、永遠の主に信頼して従う以外にないことを告白する。「私のすべてのそむきの罪から私を助け出してください。」罪の赦しを求めた。「私を(神を汚すことを好む)愚か者のそしりとしないでください(愚かな者に私をそしらせないでください)。私は黙し、口を開きません。あなたが、そうなさったからです。」あざける者の仲間にならず、彼らの計画に陥らないように舌を制した。「どうか、あなたのむち(神の懲らしめ/矯正)を私から取り除いてください。あなたの手に打たれて、私は衰え果てました。あなたは、不義を責めて人を懲らしめ、その人の望むもの(健全な肉体、充実した存在)を、しみが食うように、なくしてしまわれます。まことに、人はみな、むなしいものです。セラ」「自分の宝は、天にたくわえなさい。」マタイ6:20

 「私の祈りを聞いてください。主よ。私の叫びを耳に入れてください。私の涙に、黙っていないでください。私はあなたとともにいる(あなたの所に身を寄せる)旅人で、私のすべての先祖たちのように、寄留の者なのです。」家に身を寄せる客には、その家の主人は、これを優遇、保護する義務があった。「私を見つめないでください(これ以上、罰を与えないでください)。私が去って、いなくなる(死ぬ)前に、私がほがらかになれるように(私が地上を去る前に、私を赦し、私を喜ばせてください)。」地上の旅路で、神に全てを委ね、訴え、求めた。「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」ヘブル12:11
メッセージのトップへ戻る