エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2016年6月
6月5日 【あらゆる時に主を@】 詩篇34:1-10
 「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。私のたましいは主を誇る。貧しい者(苦しめられている者/低くされた者/不正の犠牲になっている者/助けるくれる人もいない者)はそれを聞いて喜ぶ。私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。」信仰の仲間は、神賛美も共有する。「私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。」輝いたのは、喜び、栄光を表す。「『彼らの顔をはずかしめないでください。』この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、主はすべての苦しみから彼を救われた。主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される(信仰者を守る天使の軍隊は、主を畏れる人を守り助けてくださった)。」「御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされた」へブル1:14 「主のすばらしさ(主が善であること)を味わい(経験によって知り)、これを見つめよ(主の恵み深きを味わいしれ)。」神に信頼していく中で、神がどんなに良い方であるかを経験する。「幸いなことよ。彼に身を避ける者は。主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。若い獅子も乏しくなって飢える(若いライオンも餌が無くて、飢えることがある)。」若い獅子は、有能ではあるが、神を信じない人のことも表す。「しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。」災いがあっても、神に従う人は救い出される。苦難のうちにも、喜びと守りが経験される。神は責任をもって配慮してくださる。
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6月12日 【あらゆる時に主を@】 詩篇34:1-10
 「来なさい。子たちよ。私に聞きなさい。主を恐れることを教えよう。いのち(人生の意味、生きがいを知ること)を喜びとし、しあわせを見よう(楽しもう)と、日数の多いのを愛する人は、だれか(幸いを求めて、長生きしたいと願っている人はだれか)。」幸いな長寿は、大いなる祝福である。人々は大勢いるが、主を恐れる人々はどのくらいいるのか。「あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな。悪を離れ、善を行え。平和(神の恵みの充満/栄)を求め、それを追い求めよ。」神との平和を基盤とした隣人との平和を求め、人と人との間に平和をつくり出し、それを保つように命じられている。「そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。」ローマ14:19 「主の目は正しい者に向き、その耳は彼らの叫びに傾けられる。主の御顔は悪をなす者からそむけられ、彼らの記憶を地から消される。彼らが叫ぶと、主は聞いてくださる。そして、彼らをそのすべての苦しみから救い出される。主は心の打ち砕かれた者(罪を悔い改めた者)の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。正しい者(主に従う人)の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。主は、彼の骨(身体の支え/全身)をことごとく守り、その一つさえ、砕かれることはない(主は、その人をあらゆる災から守ってくださる)。悪は悪者を殺し、正しい者を憎む者は罪に定められる。主はそのしもべのたましいを贖い(救い)出される。主に身を避ける者(神を唯一の拠り所とする信徒)は、だれも罪に定められない。」「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」ローマ8:1-2
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6月19日 【しもべの繁栄を喜ばれる主@】 詩篇35:1-16
 「主よ。私と争う者(信仰者の敵)と争い、私と戦う者と戦ってください。盾と大盾(保護)とを手に取って、私を助けに、立ち上がってください。槍を抜き、私に追い迫る者を封じてください。私のたましいに言ってください。『わたしがあなたの救い(勝利)だ』と。私のいのちを求める者どもが恥を見、卑しめられますように。私のわざわいを図る者が退き、はずかしめを受けますように。彼らを風の前のもみがら(敵の完全な敗北/実のない、助けのない状態)のようにし、主の使いに押しのけさせてください。彼らの道をやみとし、また、すべるようにし、主の使いに彼らを追わせてください。」

 「まことに、彼らはゆえもなく、私にひそかに網を張り、ゆえもなく、私のたましいを陥れようと、穴を掘りました。思わぬときに、滅びが彼を襲いますように。ひそかに張ったおのれの網が彼を捕らえ、滅びの中に彼が落ち込みますように。こうして私のたましいは、主にあって喜び、御救いの中にあって楽しむことでしょう。」祈りが答えられた確信の言葉である。「私のすべての骨(全存在)は言いましょう。『主よ。だれか、あなたのような方があるでしょうか。悩む者を、彼よりも強い者から救い出す方。そうです。悩む者、貧しい者(正しく歩む者/敬虔な者)を、奪い取る者(不法の証人)から。』」不正を行なう者に正しい裁きがなされ、正義が地上に行なわれることを求めている。神は公正に治められる。

 「暴虐な証人どもが立ち私の知らないことを私に問う(身に覚えの無いことで、私を訴える)。彼らは善にかえて悪を報い、私のたましいは見捨てられる。しかし、私は──、彼らの病のとき、私の着物は荒布(特別な哀悼や同情を表す)だった。私は断食してたましいを悩ませ、私の祈りは私の胸を行き来していた。私の友、私の兄弟にするように、私は歩き回り、母の喪に服するように、私はうなだれて泣き悲しんだ。だが、彼らは私がつまずくと喜び、相つどい、私の知らない攻撃者どもが、共に私を目ざして集まり、休みなく私を中傷した。私の回りの、あざけり、ののしる者ども(神を無視する者)は私に向かって歯ぎしりした(歯をむき出した/悔しさ、怒りを含んだ中傷の態度)。」
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6月26日 【しもべの繁栄を喜ばれる主A】 詩篇35:17-28
 「わが主よ。いつまでながめておられるのですか。どうか私のたましいを彼らの略奪から、私のただ一つのもの(尊い命)を若い獅子(敵)から、奪い返してください。私は大きな会衆の中で、あなたに感謝し、強い人々の間で、あなたを賛美します。」大きな会衆と強い人々とは、信仰者のことである。「偽り者の、私の敵を、私のことで喜ばせないでください。ゆえもなく私を憎む人々が目くばせしないようにしてください。彼らは平和を語らず(親しい挨拶さえせず)、地の平穏な人々(敬虔な信徒/神の民)に、欺きごとをたくらむからです。彼らは私に向かって、大きく口を開き、『あはは、あはは。この目で見たぞ』と言います。主よ。あなたはそれをご覧になったのです。黙っていないでください。わが主よ。私から遠く離れないでください。」

 「奮い立ってください。目をさましてください。私のさばきのために。わが神、わが主よ。私の訴えのために。あなたの義にしたがって、私を弁護してください。わが神、主よ。彼らを私のことで喜ばせないでください。彼らに心のうちで言わせないでください。『あはは。われわれの望みどおりだ』と。また、言わせないでください。『われわれは彼を、のみこんだ』と。私のわざわいを楽しんでいる者らは、みな恥を見、はずかしめを受けますように。私に向かって高ぶる者は、恥と侮辱をこうむりますように。私の義を喜びとする者は、喜びの声をあげ、楽しむようにしてください。彼らにいつも言わせてください。『ご自分のしもべの繁栄を喜ばれる主は、大いなるかな(主に仕える者の幸福を喜ばれる主は、ほめたたえられるべきお方/主をあがめよ 御自分の僕の平和を望む方を』と。私の舌はあなたの義とあなたの誉れを日夜、口ずさむことでしょう。」信仰の仲間とともに賛美すること、また、声に出して、個人的にだけでなく、公にも主を賛美することが語られている。神が正義を保持されるところに、神への賛美は絶えない。
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