エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2016年4月
4月3日 【朝明けには喜び@】 詩篇30:1-5
 詩篇30篇は、感謝の歌である。
 「主よ。私はあなたをあがめます。あなたが私を引き上げ、私の敵を喜ばせる(敵が不幸を喜ぶ)ことはされなかったからです。私の神、主よ。私があなたに叫び求めると、あなたは私を、いやされました。」病気からの回復が証されている。詩人は体か心を病んでいた。「主よ。あなたは私のたましいをよみから引き上げ(あなたは私を墓から連れ出し)、私が穴に下って行かないように(死なないように)、私を生かしておかれました。」 「聖徒(主に愛され、主を愛する信仰者)たちよ(主の慈しみに生きる人々よ)。主をほめ歌え。その聖なる御名(記念する/覚える/記憶)に感謝せよ。まことに、御怒り(罪から離れるように警告する鋭い痛み)はつかの間、いのちは恩寵のうちにある(ひととき、お怒りになっても命を得させることを御旨としてくださる/御恵みは、生きている限り続いていく)。夕暮れには涙が宿っても、朝明け(祈りの時間)には喜びの叫びがある。」神の助けの迅速さを描く。主の与える苦しみは短い間だけで、主は恵みと赦しに富んでおられる。苦しみ、悲しみの試練も、恩寵の中に生かされいる信仰者にとっては、必ず喜びとなるという確信である。いのちの全てが神の恵みの中に置かれている。恵み、祝福は永遠に至る。「わたしは彼らの背信をいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからだ。」ホセア14:4
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4月10日 【朝明けには喜びA】 詩篇30:6-12
  「私が栄えたときに、私はこう言った。『私は決して(とこしえに)ゆるがされない。』」自己依存による高ぶり、誇り、自己満足、不信仰、誤った安心感の言葉である。栄えた時が、神の恵みからずれやすい時である。繁栄時における神への忘恩に気をつけよう。「わきまえのない者の背信は自分を殺し、愚かな者の安心は自分を滅ぼす。しかし、わたしに聞き従う者は、安全に住まい、わざわいを恐れることもなく、安らかである。」箴言1:32-33

 「主よ。あなたはご恩寵のうちに、私の山(ダビデ王国)を強く立たせてくださいました。あなたが御顔を隠され、私はおじ惑っていました(大いに恐れました/悩みました)が。」御顔を隠すとは、忘れる、放棄する、恵みが途絶えるという意味である。「主よ。私はあなたを呼び求めます。私の主にあわれみを請います。私が墓に下っても、私の血に何の益があるのでしょうか(私が死んだら、何か益があるでしょうか)。ちり(死体/死者)が、あなたを、ほめたたえるでしょうか。あなたのまことを、告げるでしょうか。(あなたに何の益もありませんし、ご自分を礼拝する者を失うことになります!)」このことから、神の栄光は何を得るのだろうかという主張である。ダビデは地上で主の恵みをほめたたえ、語り告げたいと願っている。神を賛美し証する生涯が、最高なのである。

 「聞いてください。主よ。私をあわれんでください。主よ。私の助けとなってください。あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あなたは私の荒布(嘆き、悲しみ、悩み、苦難、悔い改めを表す)を解き、喜びを私に着せてくださいました(喪服を脱がせて、晴れ着を着せてくださいました)。」病気のいやし、喜びの回復を歌っている。(私が死んでしまわず、)私のたましいがあなたをほめ歌い、黙っていることがないために。私の神、主よ。私はとこしえまでも、あなたに感謝します。」いのちが支えられている目的が語られている。
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4月17日 【朝明けには喜びA】 詩篇30:6-12
 「主よ。私はあなたに身を避けています。私が決して(私が生きている限り)恥を見ないようにしてください。あなたの義(恵みの御業)によって、私を助け出してください。私に耳を傾け、早く私を救い出してください。私の力の岩となり、強いとりでとなって(堅固な救いの象徴)、私を救ってください。あなたこそ、私の巌、私のとりでです(確実に守られる神の力を表す)。あなたの御名のゆえに(あなたの慈しみによって)、私を導き、私を伴ってください。私をねらってひそかに張られた網から、私を引き出してください。あなたは私の力(避け所/砦)ですから。」

 「私の霊を御手にゆだねます。」イエスの十字架上における最後の言葉である。神の配慮への全き信頼と服従の告白である。「真実の神、主よ。あなたは私を贖い出してくださいました(確実性を表す完了形)。」贖いは、救い、問題からの救出、解放を意味する。「私は、むなしい偶像(誤った望みをもたせて、無益な生涯をもたらす)につく者を憎み、主に信頼しています。」主の御声に聞き従わないことは、偶像礼拝の罪である。「あなたの恵みを私は楽しみ、喜びます(慈しみをいただいて、わたしは喜び踊ります)。あなたは、私の悩みをご覧になり、私のたましいの苦しみを知っておられました。あなたは私を敵の手に渡さず、私の足を広い所(安全な場所)に立たせてくださいました。」広い所は、苦悩から解放された姿、救われて自由になることを表す。
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4月24日 わが霊を御手にA 詩篇319-19

 「私をあわれんでください。主よ。私には苦しみがあるのです。私の目はいらだちで衰えてしまいました。私のたましいも、また私のからだも。まことに私のいのちは悲しみで尽き果てました。私の年もまた、嘆きで。私の力は私の咎(不法)によって弱まり、私の骨々も衰えてしまいました。私は、敵対するすべての者から、非難されました。わけても、私の隣人から。私の親友には恐れられ、外で私に会う者は、私を避けて逃げ去ります。私は死人のように、人の心から忘れられ、こわれた器(粉々になり、使い道のない器)のようになりました(見捨てられました)。」こわれた器は、不要物扱いされ、忌み嫌われ、無視され、軽んじられることを意味する。「私は多くの者のそしりを聞きました。四方八方みな恐怖だ(彼はもうだめだ)と。彼らは私に逆らって相ともに集まったとき、私のいのちを取ろうと図りました。」

 「しかし、主よ。私は、あなたに信頼しています。私は告白します。あなたこそ私の神です。私の時(人生の全て)は、御手の中にあります。」人生の状況は、神の支配のもとにある。「私を敵の手から、また追い迫る者の手から、救い出してください。御顔をあなたのしもべの上に照り輝かせてください。あなたの恵みによって私をお救いください。主よ。私が恥を見ないようにしてください。私はあなたを呼び求めていますから。悪者をはずかしめてください。彼らをよみで静まらせてください(陰府に落とし、黙らせてください)。偽りのくちびるを封じてください。それは正しい者に向かって、横柄に語っています。高ぶりとさげすみをもって。」私たちの格闘は血肉に対するものではなく、悪魔・悪霊に対するものである。

 「あなたのいつくしみ(神の最善)は、なんと大きいことでしょう。あなたはそれを、あなたを恐れる者のためにたくわえ、あなたに身を避ける者のために人の子の前で、それを備えられました。」神のいつくしみは、人々が認識できるかたちで、公然と明らかにされる。恩寵は信仰に先行する。

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