エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2015年12月
12月6日 【イエスの十字架の詩A】 詩篇22:11-21
 「どうか、遠く離れないでください。苦しみが近づいており、助ける者がいないのです。」神だけが助けであるという望みが語られている。「数多い雄牛が、私を取り囲み、バシャン(ガリラヤ湖の東方/バシャンの地は、豊かな穀物と力強い肥えた牛で有名だった)の強いものが、私を囲みました。彼らは私に向かって、その口を開きました。引き裂き、ほえたける獅子のように。」苦境と敵の絵画的表現である。動物は悪魔を象徴することがあり、敵からの攻撃が人間を越えた力を帯びていることを表している。「私は、水のように注ぎ出され(皮袋から水が流れ出て、袋がつぶれてしまう状態)、私の骨々はみな、はずれました。私の心は、ろうのようになり(まとまりのつかない放心状態)、私の内で溶けました。」ダビデの身体から勇気と力が抜けてしまう様子が描かれている。「私の力は、土器のかけらのように、かわききり(私は渇いて素焼きのかけらとなり)、私の舌は、上あごにくっついています。あなたは私を死のちりの上に置かれます(死を非常に近く実感している)。」瀕死の状態と精神的苦痛の描写である。「犬どもが私を取り囲み(飢えた犬のように群がる敵の姿/迫害)、悪者どもの群れが、私を取り巻き、私の手足を引き裂きました(刺し貫きました)。私は、私の骨を、みな数えることができます(やせ細った姿)。彼らは私をながめ、私を見ています。彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします。」

 「主よ。あなたは、遠く離れないでください。私の力(助け)よ、急いで私を助けてください。私のたましいを、剣から救い出してください。私のいのちを、犬の手(力)から。私を救ってください。獅子の口から、野牛の角から。あなたは私に答えてくださいます(危機一髪のところで救われたことを歓迎する叫び:答えてくださいました!)。」問いかけと訴えが突然、信頼と確信、賛美と礼拝に変わり、信仰による勝利と希望の世界が開かれていく。劇的な展開と転換点の訪れである。
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12月13日 【イエスの十字架の詩B】 詩篇22:22-31
 「私は、御名を私の兄弟たちに語り告げ、会衆の中で、あなたを賛美しましょう。」

 「主を恐れる人々よ。主を賛美せよ。ヤコブのすべてのすえよ。主をあがめよ。イスラエルのすべてのすえよ。主の前におののけ。まことに、主は悩む者(神のしもべの苦難/イエスの十字架)の悩みをさげすむことなく、いとうことなく、御顔を隠されもしなかった。むしろ、彼が助けを叫び求めたとき、聞いてくださった。」「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」ローマ10:13

 「大会衆の中での私の賛美はあなたからのものです。」救いの確信から出た賛美は、個人から全体に広がって行く。「私は主を恐れる人々の前で私の誓いを果たします(満願の献げ物をささげます)。悩む者(貧しい人)は、食べて、満ち足り、主を尋ね求める人々は、主を賛美しましょう。」神の御前での礼拝と食事の交わりが語られている。献げ物が取り分けられて、貧しい人の食物となる。ともに神の恵みに与ろうとする意図である。「あなたがたの心が、いつまでも生きるように(健やかな命が与えられますように/永遠に祝福されますように)。地の果て果てもみな、思い起こし、主に帰って来るでしょう。また、国々の民もみな、あなたの御前で伏し拝みましょう。」人類全体が、神に帰り行く確信が語られている。

 「まことに、王権は主のもの。主は、国々を統べ治めておられる。」神は公正で、あわれみ深い全世界の支配者である。「地の裕福な者もみな、食べて、伏し拝み、ちりに下る者(死すべき者/貧しい者)もみな、主の御前に、ひれ伏す。おのれのいのちを保つことのできない人も。」神の国が現れ、富める者も、貧しい者も、全人類が主を礼拝する。地の裕福な者も、祝宴に謙遜な者と同席する。「子孫たちも主に仕え、主のことが、次の世代に語り告げられよう。彼らは来て、主のなされた(完了した)義(救いの御業)を、生まれてくる民(神の民の後継者たち)に告げ知らせよう。」神の国の力強い進展の様子、神の王国の成就が語られている。神の国は、イエス・キリストの死を通してのみ実現し、完成される。
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12月20日 【主の家に住まう@】 詩篇23:1-3
 「主は私の羊飼い。」支配者、王の責任を果たされる良き羊飼いとしての神が描かれている。神は羊飼いとして、その民イスラエルを優しく守り、力強く導かれる。羊は食物、導き、守りに関して、羊飼いに完璧に依存している。羊飼いは羊の群れにとって全てである。「私は、乏しいことが(決して)ありません(足りないものはありません/何も欠けることがない)。必要の全てが備えられる。「主は私を緑の牧場(緑豊かな牧草地)に伏させ(青草の原に休ませ/安心して草を食べ、身を横たえることのできる安全な状態)、いこいの水のほとり(疲れと渇きをいやす水が豊かにある所、休息の場)に伴われます(導かれます)。」羊の生命を支えるものが供給される。「主は私のたましい(いのち/私自身)を生き返らせ(回復し)、御名のために(主の御名にふさわしく/救い主としての神のご性質を示し、それに与らせるために)、私を義の道(主の御心にかなった道/救いに至る道/神の正義の道/まっすぐな道)に導かれます。」神の愛と配慮により、霊的な食物としての神の言葉による養いが与えられ、神とともなる祝福された幸いな生活に導かれる。主の羊は、正しい場所に正しい方法で導いてくださる主に従う賢さをもつ、忠実な者たちである。「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」ヨハネ10:10-11
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12月27日 【主の家に住まうA】 詩篇23:4-5
 「たとい、死の陰の谷(狭く険しく見通しのきかない場所/死に直面するような逆境/死の危険が迫っている状態)を歩くことがあっても、私はわざわいを(少しも)恐れません。あなたが私とともにおられますから。」主の臨在こそ救いである。「暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」マタイ4:16 「あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです(わたしを力づける/あなたは私を守り、導いてくださいます)。」羊飼いは、むちで野獣を撃退し、杖で羊を導く。「私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、」敵の前で食事をするとは、主の特別な守りを表現している。主の守りは、敵の前で平然と食事ができるほど、安全確実であるという告白である。主人はどんな犠牲を払っても、客を守るべきだとされていた。食事は相互の信頼関係を造り出し、契約成立の最高潮のしるしにもなり得た。「私の頭に油をそそいでくださいます。」客を歓迎してもてなすために、香油が注がれた。「ひとりの女がたいへん高価な香油の入った石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。」マタイ26:7 「神よ。あなたの王座は世々限りなく、あなたの王国の杖は公正の杖。あなたは義を愛し、悪を憎んだ。それゆえ、神よ。あなたの神は喜びの油をあなたのともがらにまして、あなたにそそがれた。」詩篇45:6-7
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