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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2015年9月 |
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| 9月6日 |
【御顔を仰ぎ見る@】 詩篇17:1-12 |
ダビデは真心からの祈りを主にささげた。「私のためのさばきが御前から出て、公正に御目が注がれますように。」そして、神の裁きと公平を求めた。ダビデは夜、神が訪れられ、彼の心を調べても、「何一つ罪を見い出すことはないでしょう」と言った。「私は、口のあやまちをしまいと心がけました。私はあなたの御言葉に従い、御言葉に逆らう者といっしょには、何一つ行動しませんでした。」ダビデは神の言葉の支配の中に生活し、存在そのものが御言葉の中に置かれていた。神の言葉がダビデの生活の基準であった。「私の歩みは、あなたの道を堅く守り、私の足(生活全体)はよろけませんでした。」生活の基準が御言葉なので、歩みが確かなのである。
「あなたの奇しい恵みをお示しください。立ち向かう者から身を避けて右の手(神の力と保護)に来る者を救う方。」いのちをねらわれていたダビデは、神の保護を求めて、神の契約の確かさが、驚きとして経験できるように嘆願した。「私を、ひとみ(体の中でも最も注意深く敏感に守られる器官)のように見守り、御翼の陰に(神の保護下に)私をかくまってください。私を襲う悪者から。私を取り巻く貪欲な敵から。彼らは、鈍い心を堅く閉ざし、その口をもって高慢に語ります。」「鈍い心」は、脂肪によって太って心が重くなり、鈍くなることであり、心が神と人に対して鈍感な状態である。見なくてよいものを見、考えなくてよいことを考え続けてきたために、見分けるべきものを見ることができなくなってしまったのである。 |
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| 9月13日 |
【御顔を仰ぎ見るA】 詩篇17:13-15 |
「主よ。立ち上がってください。彼に立ち向かい、彼を打ちのめしてください。あなたの剣(力/神の言葉による励ましと勝利)で、悪者から私のたましいを助け出してください。主よ。人々から、あなたの御手で。相続分がこの世のいのちであるこの世の人々から。彼らの腹は、あなたの宝で満たされ、彼らは、子どもらに満ち足り、その豊かさを、その幼子らに残します。」ダビデは身の安全とともに、物質的、現世主義的考え方からの解放を願っている。
「しかし、私は、正しい訴えで、御顔を仰ぎ見、目ざめるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう(あなたとの正しい関係こそが第一で、あなたを仰ぎ見ることで心は満足します/あなたの栄光が現れる時、私は満ち足ります)。」神の御顔を見ることは、神の臨在と守りを体験することを意味する。真の満足は、神の愛、そして神の御心を行なうことによって与えられる。地上の富より、神との愛の関係を第一にするなら、真実な幸せを見い出せる。主の御顔こそが、奇しい恵みなのである。「しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。」Tヨハネ3:2-3 |
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| 9月20日 |
【主はわが救い主@】 詩篇18:1-15 |
「彼はこう言った。主、わが力(の源泉)。私は、あなたを慕います(熱烈に愛します)。主はわが巌、わがとりで(信頼し得る確かなもの)、わが救い主(逃れ場)、身を避けるわが岩(敵を避けて逃げ込む山/民を守る神の力)、わが神。わが盾、わが救いの角(牡牛の角を指す:外敵に対する防御の最も重要な武器/力、権威、尊貴の象徴)、わがやぐら。ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。」
ダビデは死の苦しみの中で、主を呼び求め、助けを求めて神に叫んだ。地上の彼の祈りは、天の宮で主の御耳に届いた。
すると、地震と火山活動が起こった。神が現れて、人の罪を怒られたのである。
主は天を押し曲げ、密雲を足の下にして降りて来られた。
主はケルブ(天使)に乗って飛び、疾風のように早く、助けに来てくださった。突然、稲妻と雹とともに、雲間から輝く御姿が現れた。主は天に雷鳴を響かせ、いと高き方は御声を発せられ、ダビデに敵対する者たちを攪乱された。「こうして、水の底が現れ、地の基があらわにされた。主よ。あなたのとがめ(叱責)、あなたの鼻の荒いいぶきで。」 |
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| 9月27日 |
【主はわが救い主A】 詩篇18:16-27 |
「主は、いと高き所(天井の神の御住まい)から御手を伸べて私を捕らえ、私を大水(神の敵対者/死と混沌)から引き上げられた。主は私の強い敵(死の力)と、私を憎む者とから私を救い出された。」神の働きによる勝利である。「彼らは私より強かったから。 彼らは私のわざわいの日に私に立ち向かった。だが、主は私のささえであった。主は私を広い所(安全な場所/救い/完全な自由)に連れ出し、私を助け出された。主が私を喜びとされたから。」救いは神の好意のしるしである。イスラエルの民は、ダビデゆえに祝福されることになる。
「主は私の義にしたがって私に報い、私の手のきよさ(実際的行動)にしたがって私に償いをされた。」神の戒めと契約に従順な行動と、契約への忠誠の結果の祝福である。「私は主の道を守り、私の神に対して悪を行わなかった。主のすべてのさばきは私の前にあり、主のおきてを私は遠ざけなかった。私は主の前に全く(責められるところがなく/無垢であろうとし)、私の罪から身を守る。」ダビデは主の誠実な取り扱い、律法の契約を行なってくださるように求めた。
「あなたは、恵み深い者(契約の責任に対する忠誠な者/あなたの慈しみに生きる人)には、恵み深く、全き者には、全くあられ、きよい者には、きよく、曲がった者には、ねじ曲げる方。あなたは、悩む(低い/謙虚な)民をこそ救われますが、高ぶる目は低くされます。」「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」マタイ5:3 |
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