エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2015年7月
7月5日 【聖徒を救われる主@】 詩篇12:1-5
 「主よ。お救いください。聖徒(信仰深い者、主の慈しみに生きる人)はあとを絶ち、誠実な人(真実な者、信仰のある人)は人の子らの中から消え去りました。」不信と虚偽に満ちた社会状況における神信頼が記されている。「人は互いにうそ(空虚、虚偽、不誠実、無責任)を話し、へつらいの(なめらかな)くちびると、二心(二重思考)で話します。主が、へつらいのくちびると傲慢の舌とを、ことごとく断ち切ってくださいますように(取り去ってくださるように、すべて滅ぼしてください)。」完全な処置を求め、悪が裁かれ、正義が行なわれるように主に願っている。「彼らはこう言うのです。『われらはこの舌で勝つことができる。われらのくちびるはわれらのものだ。だれが、われらの支配者なのか(わたしたちに主人などはない)。』」「神はいない」と同じ考えであり、悪人の言動は高慢である。「舌は火であり、不義の世界です。」ヤコブ3:6 大言壮語を黙らせるのは、主ご自身である。

 「主は仰せられる。『悩む人が踏みにじられ(虐げに苦しむ者)、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼を、その求める救い(彼の願い求める安全)に入れよう。』」正義の神は、家族がなく、誰からも助けを得られない孤児を常に気にかけている。神は踏みにじられている人たちを守り、彼らをしいたげる者たちと戦われる。
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7月12日 【聖徒を救われる主A】 詩篇12:6-8
 「主のみことばは混じりけのないことば(主の仰せは清い)。土の炉で七回も(完全に)ためされて、純化された銀(確かで、真実そのものである)。」神は純粋な言葉によって、励まし養い成長させてくださる。誠実で真実な神の言葉に注意深く聞き従おう。「主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。」詩篇19:7-8

 「あなたが、主よ、彼らをお守りになります。あなたはこの時代からとこしえまでも彼らを保たれます。(主よ。私たちを守り、とこしえに悪人の手の届かない所に置いてください。)」神の言葉を語る信仰者は存続する。「彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。」ヨハネ17:15 「人の子(人間社会)の間で、卑しいこと(安っぽさ、恥ずべき暴飲暴食)があがめられているときには、悪者が、至る所で横行します(主に逆らう者は勝手にふるまいます)。」悪徳の時代の中で、信仰者は神の言葉を固く保って生活すべきである。「それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。」ピリピ2:15-16
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7月19日 【主の救いを喜ぶ】 詩篇13:1-6
 「主よ。いつまでですか。あなたは私を永久に(全く、すっかり)お忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。いつまで私は自分のたましいのうちで思い計らなければならないのでしょう。」「思い計ら」うの意味は、思い煩い、苦悩、苦痛、痛みである。「私の心には、一日中、悲しみがあります。いつまで敵が私の上に、勝ちおごるのでしょう。」

 「私に目を注ぎ、私に答えてください。私の神、主よ。私の目を輝かせてください(光を与えてください)。」活力の回復を求めている。「私が死の眠り(敗北)につかないように。また私の敵が、『おれは彼に勝った』と言わないように。私がよろめいた、と言って私の仇が喜ばないように。」

 「私はあなたの恵み(契約に基づく愛、不変の愛)に拠り頼みました。」ダビデは苦難を信仰によって処理する道を知っている。「私の心はあなたの救いを喜びます。私は主に歌を歌います。主が私を豊かにあしらわれたゆえ(主が私を豊かに祝福してくださるので、私は主をほめたたえます、『主はわたしに報いてくださった』と)。」「あしら」う(ヘブル語ガーマル)は、熟させる、完全に乳離れさせる、完全性の意味である。「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。」Tヨハネ5:14-15 「その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」ヤコブ1:4
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7月26日 【救いがシオンから来る@】 詩篇14:1-5
 「愚か者(神を知らぬ者、攻撃的なつむじ曲がり)は心の中で(考えている)、『神は(絶対に)いない』と言っている。」「愚か者」は、神に対して心を閉ざす者であり、神の真理によって生きることを拒絶する。神に従って生きる知恵に欠け、神への信頼と他者への愛がない。意図的に神に逆らう実践的な無心論者であり、この世における最も愚かなことである。「彼らは腐っており、忌まわしい事を行っている。善を行う者はいない。主は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。彼らはみな、離れて行き(道を踏み外し、背き去った)、だれもかれも腐り果てている。善を行う者はいない。ひとりもいない(全人類が正しい道からどんどん離れて行く)。」

 「不法を行う者らはだれも知らないのか(不法を行なう者たちは罰せられるのではなか)。彼らはパンを食らうように、わたしの民を食らい(敬虔な神の民を抑圧する、圧迫する、エジプトでのイスラエルの歴史でもある)、主を呼び求めようとはしない(主に祈ろうとはしない)。見よ(そこで)。彼らが、いかに恐れたかを。神は、正しい者の一族(世代、住みか)とともにおられるからだ(神は従う人々の群れにいます)。」神に従う者を攻撃する者は、神を攻撃していることになる。「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」ローマ8:31、37
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