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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2015年6月 |
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| 6月7日 |
【義の審判者なる王A】 詩篇9:13-20 |
「主よ。私をあわれんでください。私を憎む者から来る私の悩みを見てください。主は死の門から私を引き上げてくださる。私は、あなたのすべての誉れを語り告げるために、シオンの娘の門で、あなたの救いに歓声をあげましょう(あなたの賛美をひとつひとつ物語り御救いに喜び躍ることができますように)。」「死の門」は、死に直面する逆境、よみへの入り口である。「シオンの娘の門」は、神の臨在と救いの場である。「娘」は、シオン、住民を表し、「門」は、経済的、社会的交渉の中心である。主に助けを求め、神の栄光と誉れのために祈っている。
「国々(神に敵する諸国民)はおのれの作った穴に陥り、おのれの隠した網(敵の策略の比喩)に、わが足をとられる。主はご自身を知らせ、さばきを行われた。悪者はおのれの手で作ったわなにかかった。ヒガヨン(たえなる調べ)セラ」
「悪者ども(神に逆らう者)は、よみ(希望のない死者の世界、滅亡)に帰って行く。神を忘れたあらゆる国々(異邦の民)も。」「神を忘れた」は、神に対する故意の背きである。「貧しい者(敬虔な者、柔和な者、助けを必要としている人々)は決して忘れられない。悩む者の望みは、いつまでもなくならない。」「貧しい者」「悩む者」は、困難の中にある敬虔な信者であり、神は特に彼らを助け守られる。過去に経験したことを思う時、新しい希望が生まれてくる。
「主よ。立ち上がってください。人間(神を忘れた国々の民、神を無視する人々)が勝ち誇らないために。国々が御前で、さばかれるために。主よ。彼らに恐れ(神への畏怖)を起こさせてください。おのれが、ただ、人間にすぎないことを、国々に思い知らせてください。セラ」敵の裁きを求めて祈っている。 |
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| 6月14日 |
【代々限りない王@】 詩篇10:1-13 |
「主よ。なぜ、あなたは遠く離れてお立ちなのですか。苦しみのときに、なぜ、身を隠されるのですか。悪者は高ぶって、悩む人に追い迫ります。彼らが、おのれの設けたたくらみにみずから捕らえられますように。悪者はおのれの心の欲望を誇り、貪欲な者(自分の利益を第一とする者)は、主をのろい(祝福し、捨てて)、また、侮る(主の権威を蔑し拒絶する)。」神を自分の利益のために利用する不信仰者の姿が語られている。「悪者は高慢を顔に表して、神を尋ね求めない。その思いは『神はいない』の一言に尽きる(その心の中に神を迎える一点の余地もない)。」「一言に尽きる」は、彼の全ての意図するところの意味である。神を神と思わない者は、人を人とも思わない。「彼の道はいつも栄え(堅くされ)、あなたのさばき(歴史の根底にある神の摂理)は高くて、彼の目に、入らない。敵という敵を、彼は吹き飛ばす。彼は心の中で言う。『私はゆるぐことがなく、代々にわたって、わざわい(悪い目)に会わない。』彼の口は、のろいと欺きとしいたげに満ち、彼の舌の裏には害毒と悪意がある。彼は村はずれの待ち伏せ場にすわり、隠れた所で、罪のない人を殺す。彼の目は不幸な人(お人よし)をねらっている(いつも身寄りの無い人たちを伺っている)。彼は茂みの中の獅子のように隠れ場で待ち伏せている。彼は悩む人を捕らえようと待ち伏せる。悩む人を、その網にかけて捕らえてしまう。不幸な人は、強い者によって砕かれ、うずくまり、倒れる。彼(悪者)は心の中で言う。『神は忘れている。顔を隠している。彼は決して見はしないのだ。』」
「主よ。立ち上がってください。神よ。御手を上げてください。どうか、貧しい者(信仰者)を、忘れないでください。なぜ、悪者は、神を侮るのでしょうか。彼は心の中で、あなたは追い求めない(神は咎めたりしない)と言っています。」「御手」は、具体的な介入を表す。「手を上げ」るは、宣言する時の象徴的行為、または、敵対者への挑戦の行為である。しかし悪者は、神は彼らの行ないの責任を問われないと考えている。
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| 6月21日 |
【代々限りない王A】 詩篇10:14-18 |
「あなたは、見ておられました。害毒と苦痛を(しかし、あなたは彼らの悪事をご存じです)。彼らを御手の中に収めるためにじっと見つめておられました。不幸な人は、あなたに身をゆだねます。あなたはみなしご(助け手のない存在の典型、神の特別な保護の下にある者、家族がなく、誰からも助けを得られないため、神が常に気にかけている人々)を助ける方でした。悪者と、よこしまな者の腕を折り(権力を破壊し)、その悪を捜し求めて(報いて、報復して、責任を問い)一つも残らぬ(見出されない)ようにしてください。」神の不変の真実に根ざす者は幸いである。神は味方であり、御子と一緒に全てのものを恵んでくださる。
「主は世々限りなく王である。国々(神に敵対する国民)は、主の地から滅びうせた。」過去におけるカナンの地での出来事を思い起こし、主の正しさと裁きと救いを確信している。「主よ。あなたは貧しい者の願いを聞いてくださいました。あなたは彼らの心を強くして(しっかり立たせ続けて)くださいます。耳を傾けて、みなしごと、しいたげられた者(不当に抑圧された人々)をかばって(裁きを行なって)くださいます。地から生まれた人間がもはや、脅かすことができないように。」正しい審判は、結果において、正しい者を弁護することになる。ダビデは神に支えられた。 |
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| 6月28日 |
【御顔を仰ぎ見る】 詩篇11:1-7 |
「主に私は身を避ける(私は主を避け所とします)。」「避け所」は、敵の攻撃から逃れるための安全な場所である。神に信頼する者は、狼狽することがない。「どうして、あなたたちは私のたましいに言うのか。『鳥のように、おまえたちの山に飛んで行け(鳥のように逃れたらよい)。それ、見よ。悪者どもが弓を張り、弦に矢をつがえ、暗やみで心の直ぐな人を射ぬこうとしている。拠り所(社会の基本と成っている事柄)がこわされたら正しい者に何ができようか(世の秩序が覆っているのに主に従う人に何ができようか)。』」友人は逃避を勧告し、すでに廃棄されたように見える社会原理に忠実であることはむだであると言った。
「主は、その聖座が宮(天と地が出会う所)にあり、主は、その王座が天にある。その目は見通し、そのまぶたは、人の子らを調べる。」「目」と「まぶた」は、神の全知を表す。神は依然として支配しておられる。真の拠り所は主にあるという信仰から来る確信である。「主は正しい者と悪者(主に従う人と逆らう者)を調べる。そのみこころは、暴虐を好む者を憎む。主は、悪者の上に網を張る。火と硫黄。燃える風が彼らの杯への分け前(人生の報酬、その者の所有)となろう。」「火と硫黄」「燃える風」は、神の裁きを表す。ソドムとゴモラの滅亡から得られた悪人の上に下る神の裁きの描写である。「主は正しく、正義を愛される。直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る(神の臨在と守りを得る)。」「御顔を仰ぎ見る」ことは、愛だけが関心をもつ目標であり、神の愛に対する信頼を表す。
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