エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2015年5月
5月3日 【正義の神@】 詩篇7:1-9
 詩篇7篇は、正義を求める祈りである。根拠のない非難や迫害に対して、ダビデは神に訴え、保護を求め、無実の証明を願う。

 「私の神、主よ。私はあなたのもとに身を避けました。どうか、追い迫るすべての者から私を救ってください。私を救い出してください。救い出す者がいない間に彼らが獅子のように、私のたましいを引き裂き、さらって行くことがないように。」「あなたのもとに身を避けました」は、神への信頼と、神の中にある深い人格的関係であり、具体的には、神殿に保護を求めることである。「たましい」は、いのち、体を表す。

 ダビデは身に覚えのない中傷に対して、無罪を主張し、もし罪があるなら、自分のいのちとたましい(栄光、特別な恵み、神からの約束に基づく特権、神からの召し)が踏みにじられてもよいと言った。

 そして、正しい裁きを主に求めた。「国民のつどいをあなたの回りに集め、その上の高いみくらにお帰りください(諸国民をお集めになり、一段と高い御座から、彼らをお裁きください)。」神の法廷を開き、正しい裁判を行なうために、席についてくださいと祈った。神を世界最高意の審判者として描いている。神は全てを統べ治める全世界の王である。「どうか、悪者の悪があとを絶ち、あなたが正しい者を堅く立てられますように。正しい神は、心と思いを調べられます。」ダビデは身の潔白を明らかにしてくださるように主に求め、主に身を委ねた。
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5月10日 【正義の神A】 詩篇7:10-17
 「私の盾は神にあり(私を守ってくださるお方はあなたです)、神は心の直ぐな人を救われる。」「盾」は、保護を表す。

 「神は正しい審判者、日々、怒る神(宣告を下す神)。 悔い改めない者には剣をとぎ、弓を張って、ねらいを定め、 その者に向かって、死の武器を構え、矢を燃える矢とされる。」神は地上の生活に絶えず注目しておられる。神は罪と不信仰を決して赦されない。神の裁きは日ごとに行なわれ、絶えず進められている。

 「見よ。彼は悪意を宿し、害毒をはらみ、偽りを生む。 彼は穴を掘って、それを深くし、おのれの作った穴に落ち込む。 その害毒は、おのれのかしらに戻り、その暴虐は、おのれの脳天に下る。」罪を犯し続けて、悔い改めない者の姿と結末が記されている。神に逆らう者は、墓穴を掘ることになる。 「欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。」ヤコブ1:15 悪人は必ず裁かれ、神に立ち返って正しく生きる者は祝福される。

 「その義にふさわしく、主を、私はほめたたえよう(正しくいます主にわたしは感謝をささげ)。いと高き方、主の御名をほめ歌おう。」「その義」とは、罪人を罰し、正しい者を救済する神の働きである。神は正しい裁きをし、信仰者を救われる。
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5月17日 【賛美の力@】 詩篇8:1-4
 「私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう(この地上において、あなたほどすばらしいお方はありません)。あなたのご威光は天でたたえられています(あなたの威光が天で輝いています)。あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました(ほめたたえられています)。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした(それを見て、あなたの敵は口をつぐみます、あなたは刃向かう者に向かって砦を築き報復する敵を断ち滅ぼされます)。」賛美の結果は、敵の敗北である。素朴な信仰者の賛美のうちに、神の大能は証言される。

 「あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。」「心に留められる」は、思いやりをこめて目的を抱いている、あわれみをもって悩める者を覚えておられることであり、人のために神が行為し続けているさまを表す。「人の子」は、人間を表し、「顧みられる」は、注意深い摂理的恩寵をもって訪れることである。あまりにも小さな存在を心に留められる、巨大な創造の神の知恵を賛美している。

 神は思いも及ばない方法で、人に役割を与えておられる。神に愛されている人の不思議を感謝し、主を賛美しよう。
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5月24日 【賛美の力A】 詩篇8:5-9
 「あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし(あなたは、人を神に似た者として造られ)、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。」「いくらか」は、しばらくの意味もあり、「劣る」は、足りなくするの意味である。神とともにあることによって、人は足る者とされる。「栄光と誉れ」は、神の臨在と王の権威である。神は、人を王者として創造の世界に立てられた。神は、人を高い価値をもつ者として考えておられる。これは、贖罪の目的である。

 「あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。」真の王は神であり、人間は委託されたものを正しく管理する代理人である。創造主のみ、もたれる支配権の分与により、神のかたちである人間の代行的職務、神に代わる統治権、支配権、神の栄光の復元が与えられた。それは、地上の王以上のものである。「すべて、羊も牛も、また、野の獣も、 空の鳥、海の魚、海路を通うものも。」人間は、地球上の命の管理を委ねられた。

 人間の卑しさと尊さを知ると、神を賛美せずにいられない。人の尊厳は、神から派生する。神の似姿の回復は、神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであるキリストによってのみ与えられる。「私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。」
5月31日 【義の審判者なる王@】 詩篇9:1-12
 「私は心を尽くして主に感謝します。あなたの奇しいわざを余すことなく語り告げます。私は、あなたを喜び、誇ります。いと高き方よ。あなたの御名をほめ歌います。」「奇しいわざ」は、創造と贖いの奇蹟であり、危険や困難に直面した民を神が助けたことが念頭にある。

 「私の敵は退くとき(私に敵対する者は逃げて行き)、つまずき、あなたの前で、ついえ去ります(倒れて、滅び去った)。あなたが私の正しい訴えを支持し、義の審判者として王座に着かれるからです。」「敵」は、神に逆らい、人を犠牲にする者たちである。「あなたの前で」は、あなたの御顔からの意味である。「あなたは国々をお叱りになり、悪者を滅ぼし、彼らの名を、とこしえに、消し去られました。」神の叱責は、実質的な行為を伴う。「敵は、絶え果てて永遠の廃墟。あなたが根こぎにされた町々、その記憶さえ、消えうせました。」悪は、一時的なものである。

 「しかし、主はとこしえに御座に着き、さばきのためにご自身の王座を堅く立てられた。」契約の箱も、地上における神の御座であり、天と地が出会う天の御座の象徴と見なされていた。「主は義によって世界をさばき、公正をもって国民にさばきを行われる。」神は、全世界を統治される。「主はしいたげられた者のとりで、苦しみのときのとりで。」「とりで」は、避け所、隠れ家、確実な保護者である。

 「御名を知る者はあなたに拠り頼みます。主よ。あなたはあなたを尋ね求める者をお見捨てになりませんでした。」「御名を知る者」は、神を恐れ、神の意志に従う者である。

 「主にほめ歌を歌え、シオンに住まうその方に。国々の民にみわざを告げ知らせよ。」エルサレムの主の宮は、礼拝の中心地であり、天上の神の王座の象徴であった。「血に報いる方(正しく裁かれる方)は、彼らを心に留め、貧しい者の叫びをお忘れにならない。」血といのちは、神のものである。「貧しい者」は、謙遜な者、主の前にへりくだる者、不幸の犠牲になっている人々、特に、神の守りを必要とする信仰者共同体であり、宗教的苦難による謙虚と柔和を表す。
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