エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2015年3月
3月1日 【キリストの世界的支配B】 詩篇2:9-12
 「あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする(あなたは与えられた権威によって、世界を思いのまま治めるがよい)。」「鉄の杖」は、折れない杖、公正の杖、戦闘の指揮に用いた王の笏、鞭のことであり、統治、力の象徴である。「打ち砕き」をヘブル語で訳すると、牧し、支配しであり、建設的な役割を表す。

  「それゆえ、今、王たちよ、悟れ。地のさばきづかさたちよ、慎め(諭しを受けよ)。(だから、この世の王たちは目を覚し、地上の為政者たちは気付きなさい。)」「悟れ」は、賢明に行動し、命と繁栄の道を選び取れの意味である。「さばきづかさたち」は、支配者たち、「慎め」は訓練を受けよの意味である。「恐れつつ主に仕えよ。(恐れの心を抱いて王を礼拝し、)おののきつつ喜べ(喜び躍れ)。御子に口づけせよ(御子を拝み、敬いなさい)。」「喜べ」(ヘブル語ギール)は、生きよの意味である。「口づけせよ」は、宗教的服従の意味であり、王に対する敬意と服従の勧め、また心より誠意をもっての要求である。これこそ、地上の支配者としての務めであり、全くの恵みである。王たちは地上における神の代理人として選ばれたので、神に従い、正義にによって国を治め、正しい礼拝を行なうよう祭司たちを励まし、民を敵から守る務めがあった。「主が怒り、おまえたちが道で滅びないために。怒りは、いまにも燃えようとしている(さもないと、神の怒りによって、滅ぼされてしまうだろう)。」今まさに、神の怒りが燃え上がろうとしている状態であるから、悔い改めて幸いを得よという警告、また和解の勧めである。神の裁きは時が来れば、もはやなだめられることも延期されることもない。神の忠実な代行者であるメシアに従うことが幸いの秘訣である。

 「幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。」主に信頼し、習慣的に主に避け所を見つけ続ける人は幸いである。
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3月8日 【救いは主にある】 詩篇3:1-8
 詩篇3篇は、アブシャロムから逃れた時の賛歌であり、迫り来る敵よりの救出の祈りが記されている。

 ダビデの敵が増え、多くの者が彼に神の救いはなく、絶望の状態だと言っていた。

 「しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です。」ダビデは苦難の日に、軍隊ではなく、主に信頼した。ダビデには主なる神がともにおられ、神の加護があった。「私のかしらを高く上げてくださる」とは、逆境から解放してくださる、名誉を回復させる、栄誉を支えられるの意味である。「私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山(聖い都エルサレム)から私に答えてくださる(答えてくださった)。」

 「私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。」これは完了形であり、実際の状況であった。神が状況を支配しておられるという確信によった。祈りが答えられたという確信は、平安をもたらす。神への全き信頼は、平安な眠りを保証する。諸々の敵に囲まれているにもかかわらず、眠れることは祝福である。主は愛する者に、眠りを与えられる。「私を取り囲んでいる幾万の民(数え切れない数)をも私は恐れない。」主にある安全ゆえである。

 「主よ。立ち上がってください。私の神。私をお救いください。」神の敵に対しては、神ご自身の出動を求めるのが最善策である。「あなたは私のすべての敵の頬を打ち、悪者(神に逆らう者)の歯を打ち砕いてくださいます。」敵が退廃する様子である。「頬を打ち」は、辱めの処罰であり、「歯を打ち砕」くは、悪口を言う人への処罰である。「救いは主にあります。あなたの祝福があなたの民の上にありますように。」「救い」は、解放と救出であり、「祝福」は、神の民が世界を祝福するためである。
3月15日 苦しみの時のゆとり@ 詩篇4:1-3

 詩篇4篇は、アブシャロムの反逆が背景になっているのかもしれない。 

 「私が呼ぶとき、答えてください。私の義なる神。あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました(私は追い詰められており、そしてあなたが私を自由にしてくださった)。私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。」「私の義なる神」は、私を義とし、弁護してくださる神の意味である。「ゆとりを与え」るは、広くするの意味であり、ゆとりは平安でもある。

 「人の子たちよ。いつまでわたしの栄光をはずかしめ、むなしいものを愛し、まやかしものを慕い求めるのか。セラ」ここでの「人の子たち」は、謀反を起こした者たち、不信仰者のことである。「わたしの栄光」は、王としての栄光、個人的栄誉、わが神のことである。「むなしいもの」は、妄想、偶像礼拝、「まやかしもの」は、嘘、失望を与えるものである。

  「知れ。主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、主は聞いてくださる(主の慈しみに生きる人を主は見分けて呼び求める声を聞いてくださると知れ)。」「聖徒」は、契約による愛(ヘブル語ヘセド)を行ずる者、神に愛され、神を愛する者、敬虔な人、神に忠実で献身的な者である。「特別に扱われる」は、一線を引いて区別して扱われる、とり分けられた、聖め分けられる、聖別される、職務や栄光のためにだけではなく、交わりのために人を選ばれることである。

 主の奇跡が、神に忠実な者になされる。神を愛する人々のためには、神は万事を益としてくださる。神は、予め知っておられる人々をキリストの似姿に定め、召しと義と栄光を与えてくださるのである。

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3月22日 【苦しみの時のゆとりA】 詩篇4:4-8
 「恐れおののけ。そして罪を犯すな。床の上で自分の心に語り、静まれ。」「恐れおののけ」は、戦慄するの意味であり、神への接近の姿、また祝福の原因である。「心に語り」は、考え、良心に問いの意味である。「だから、怒っても、罪を犯してはならない。寝床で静かに祈りなさい。」という訳もある。悪魔に機会を与えてはならない。人の怒りは、神の義を実現しない。

 「義のいけにえをささげ、主に拠り頼め(主に喜ばれる礼拝をし、主に信頼しなさい)。」神の御前に、悔い改めの具体的な行動を促す言葉である。

 「多くの者は言っています。『だれかわれわれに良い目を見せてくれないものか。』」混乱し、不安な状態にある者たちの憂鬱を表している。「主よ。どうか、あなたの御顔の光を、私たちの上に照らしてください。」「御顔の光」は、神の愛と顧みを表す。

 「あなたは私の心に喜びを下さいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。」「喜び」は、永遠のいのちによる喜びである。具体的、物質的な祝福以上に、神を知り、信頼することから来る、安定した永続的、霊的な喜びである。

 「平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。」心の平安から来る、速やかな瞬時の眠りである。主への信頼ゆえに、恐れなしに明日をも主の手に委ねた安らかさを表す。祈りが聞かれたという確信と、神との平和がもたらす霊的な平安の告白である。
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3月29日 【愛の大盾@】 詩篇5:1-7
 詩篇5篇は、ダビデの賛歌である。ダビデは、敵に囲まれている中で、祈り、うめき(嘆き、深層における思考)、叫び、彼の王(王の王、大王)、彼の神(契約関係にある)に訴えている。ダビデは、自分が権威の下にあると語っている。「主よ。朝明けに、私の声を聞いてください。朝明けに、私はあなたのために備えをし、見張りをいたします(朝ごとに私はあなたを礼拝し、あなたの答えを待っています)(あなたを仰ぎ望みます)。」「朝明け」は、定められた礼拝と祈祷の時間である。1日の始まりに神との交わりをもつ、神との近しい関係を表す。「備えをし(献げ物を準備し)」は、整え、順序よく配置しの意味であり、祈りの言葉、心の状態を表す。

 「あなたは悪(逆らう者)を喜ぶ神ではなく、わざわい(悪人)は、あなたとともに住まないからです(あなたは邪悪を歓迎する神ではないからです)。」「住」むは、客として迎えられることである。神は、悪者に身を寄せて客となることを許されない。誇り高ぶる者たちは、神礼拝に立つことができない。主は、不法を行なう者を憎まれ、偽りを言う者を滅ぼされ、血を流す者と欺く者を忌み嫌われる。

 「しかし、私は、豊かな恵みによって(あなたの偉大な愛を通して)、あなたの家に行き、あなたを恐れつつ、あなたの聖なる宮に向かってひれ伏します。」「聖なる宮」は、天にある神の聖所をも表す。神の恵みと招きにより、神に身を寄せる客として迎えられ、神との親しい交わりが与えられる者は幸いである。
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