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詩篇4篇は、アブシャロムの反逆が背景になっているのかもしれない。
「私が呼ぶとき、答えてください。私の義なる神。あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました(私は追い詰められており、そしてあなたが私を自由にしてくださった)。私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。」「私の義なる神」は、私を義とし、弁護してくださる神の意味である。「ゆとりを与え」るは、広くするの意味であり、ゆとりは平安でもある。
「人の子たちよ。いつまでわたしの栄光をはずかしめ、むなしいものを愛し、まやかしものを慕い求めるのか。セラ」ここでの「人の子たち」は、謀反を起こした者たち、不信仰者のことである。「わたしの栄光」は、王としての栄光、個人的栄誉、わが神のことである。「むなしいもの」は、妄想、偶像礼拝、「まやかしもの」は、嘘、失望を与えるものである。
「知れ。主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、主は聞いてくださる(主の慈しみに生きる人を主は見分けて呼び求める声を聞いてくださると知れ)。」「聖徒」は、契約による愛(ヘブル語ヘセド)を行ずる者、神に愛され、神を愛する者、敬虔な人、神に忠実で献身的な者である。「特別に扱われる」は、一線を引いて区別して扱われる、とり分けられた、聖め分けられる、聖別される、職務や栄光のためにだけではなく、交わりのために人を選ばれることである。
主の奇跡が、神に忠実な者になされる。神を愛する人々のためには、神は万事を益としてくださる。神は、予め知っておられる人々をキリストの似姿に定め、召しと義と栄光を与えてくださるのである。
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