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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2014年12月 |
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| 12月7日 |
【ダビデの歌@】 Uサムエル記22:1-20 |
主がダビデの全ての敵の手、特にサウルの手から彼を救い出された日に、ダビデはこの歌を主に歌った。ダビデの生涯の晩年ではなく、比較的初期に作られたものと思われる。
「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、わが身を避けるわが岩なる神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。私を暴虐から救う私の救い主、私の逃げ場。」「巌」は隠れ場である。詩篇では、民が敵を避けて逃げる山の「岩」に、神はたとえられることが多い。「救いの角」は、最も力あると見なされた牡牛の角から来ている。これらの言葉は、神の力、保護、不変性を強調している。
ダビデは死の波、滅びの川、よみの綱、死のわなの苦しみの中から主を呼び求め、神に叫んだ。主は天の宮でダビデの叫びを聞かれた。ダビデは主の救いの力を喜び、主に栄光と賛美を帰した。
主は天を押し曲げて降りて来られ、風の翼に乗って非常に速く駆け巡られた。仮庵(神の御住まい、天)は水の集まりと濃い雲。主は矢を放ってダビデに敵対する者たちを散らし、稲妻で彼らをかき乱された。主はいと高き天にある神の御住まいから御手を伸べてダビデを捕らえ、彼を大水(危難、敵の攻撃、全ての悩み)から引き上げられた。主はダビデより強い敵から彼を救い出され、彼の支えであった。主はダビデを喜びとされ、彼を広い所(自由、解放を享受できる安全な場所)に連れ出し、助け出された。「ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。」
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| 12月14日 |
【ダビデの歌A】 Uサムエル記22:21-51 |
ダビデは、「主は、私の義にしたがって私に報い、私の手のきよさに従って私に償いをされた」と歌った。バテ・シェバとウリヤの事件の前と思われる。ダビデは主の御言葉に従い、主の前に無垢であろうとした。真心をもって忠実に神に仕えようとしている者を、神は正しく保護し、弁護してくださる。「感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。」詩篇50:23 神が人をどのように取り扱われるかは、人が神、また他人に対してとる態度によっている。罪を犯す者に対し、神はその罪を罰する審判者となられる。神は高ぶる者を怒り、これを低くされる。
ダビデの歌は守勢から攻勢に変わり、「あなたによって私は(敵の)軍勢に襲いかかり、私の神によって私は(攻撃中の町の)城壁を飛び越えます。彼は私の足を雌鹿のようにし、私を高い所に立たせてくださる。戦いのために私の手を鍛え、私の腕を青銅の弓でも引けるようにされる」と歌った。主の謙遜はダビデを大きくし、主はダビデに大胆さを与えられた。ダビデは神による強化を体験した。「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れる」Uコリント12:9
ダビデの敵は背を向けて逃げ、ダビデは敵を滅ぼした。主はダビデを国々のかしらとして保たれ、異邦人はダビデに追従した。 神による勝利、ダビデとともにあった主の御手の直接的な結果、神の愛顧と守護と後援のゆえに、ダビデは、「主よ。私は、国々の中であなたをほめたたえ、あなたの御名を、ほめ歌います。主は、王に救いを増し加え、油そそがれた者、ダビデとそのすえに、とこしえに恵みを施されます」と歌った。王はイスラエルにおいて、全ての生活秩序の要であった。こうしてダビデ王朝は確立し、イエス・キリストに至った。
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| 12月21日 |
【ダビデの最後の言葉】 Uサムエル記23:1-8 |
ダビデの最後の言葉が記されている。ダビデは神から霊感を与えられた預言者、イスラエルの素晴らしい詩人である。
「イスラエルの神は仰せられた。イスラエルの岩は私に語られた。『義をもって人を治める者、神を恐れて治める者は、太陽の上る朝の光、雲一つない朝の光のようだ。雨の後に、地の若草を照らすようだ。』」義をもって人を治めるのと、神を恐れて治めるのは、統治者にとって不可欠な2つの特質である。「まことにわが家は、このように神とともにある。とこしえの契約が私に立てられているからだ。このすべては備えられ、また守られる。まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる(わたしの喜びをすべて神は芽生えさせてくださる、私の願いをかなえてくださる)。」とこしえの契約は、成長して完全に花開き、キリストによって成就する。ダビデは自分自身のことを語っているだけでなく、真の統治者であられるキリストについても語っている。「よこしまな者はいばらのように、みな投げ捨てられる。手で取る値うちがないからだ。これに触れる者はだれでも、鉄や槍の柄でこれを集め、その場で、これらはことごとく火で焼かれてしまう。」いばらは危ないので、長い柄の先にゆわえた鎌で刈り、手で取らない。
ダビデには勇士たちがいた。彼らはダビデに完全に献身し、忠実であり、ダビデとともに命がけで戦った。ダビデは自分自身の勇気と神への信頼によって、自分のそばにいた者たちをも奮起させたのである。 |
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| 12月28日 |
【ダビデの勇士たち】 Uサムエル記23:8-39 |
ダビデの3勇士、ヤショブアルとエルアザルとシャマは、最も栄誉ある戦士であり、最高の精鋭部隊であった。彼らは独力で偉業を成し遂げた。
また、おそらく他の3勇士は、アドラムのほら穴にいたダビデが、ベツレヘムの門にある井戸の水を望むと、ペリシテ人の陣営を突き抜けて、ベツレヘムの門にある井戸から水を汲み、ダビデの所に持って来た。ダビデは、その水を飲もうとはせず、主にささげて注ぎ、「主よ。私がこれを飲むなど、絶対にできません。いのちをかけて行った人たちの血ではありませんか」と言った。ダビデは、その水を3勇士のいのちであると考え、注ぎのぶどう酒を注ぐように主の前に注いだ。主だけがそのような高価なものを受けるに値するお方だった。それは、3人の命の危険と引き換えに得られたものであり、ある意味では血のように神聖なものだった。ダビデは、その水がどれ程の犠牲を払って得られた水かということに深く心を動かされた。彼は、戦場にあっても礼拝者であった。
初めの3勇士とは別の3勇士も、不利な状況の中で偉業を成し遂げた。ダビデの30人(固有名詞的な表現、実数は37人)の勇士たちは、ダビデ軍の中核を形成する兵士たちであった。その中には、バテ・シェバの夫のウリヤも入っていた。数はわずかであっても、真に忠実なしもべをもつことは、神の国が成るも同然の決定的な意義をもつ。
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