エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2014年10月
10月5日 【愚かにされた助言A】 Uサムエル記17:18-29
 1人の若者がダビデのスパイ網である祭司の息子ヨナタンとアヒマアツを見て、アブシャロムに告げた。そこで彼ら2人は急いで去り、バフリムに住むある人の家に行き、庭の井戸の中に降りた。その人の妻は井戸におおいを広げ、その上に麦をまき散らしたので、誰にも知られなかった。アブシャロムの家来たちがその女の家に来て2人のことを尋ねると、女は彼らに川の方へ行ったと答えた。彼らは捜したが見つけることができなかったので、エルサレムへ帰った。その人の妻はちょうどラハブがしたように、2人を巧みにかくまって逃がした。この成功は、バフリムの1農婦の機転のきいた処置に全面的に依存していた。無名の人々の隠れた犠牲的奉仕があって初めて、神の御旨は成し遂げられていく。

 アヒトフェルは自分のはかりごとが行われないのを見て、事の成り行きを見越して絶望し、首をくくって自殺した。彼はイスカリオテのユダの型となった。

 アブシャロムはアマサをヨアブの代わりに軍団長に任命した。アマサはダビデの甥であり、アブシャロムとヨアブのいとこであった。

 ダビデとその一行がマハナイムに来た時、ショビ(アモン人)とマキルとバルジライとは、民が荒野で飢えて疲れ、渇いていると思い、寝台や食糧を持って来た。彼らはこの機会をとらえ、ダビデに対する尊敬と感謝の念を表し、自分たちができる最善を尽くして必要なものを提供した。ダビデは全く思いがけないところから慰めを受けた。人生で最も暗い日々にも、励ましは常に備えられている。「私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。私を取り囲んでいる幾万の民をも私は恐れない。」詩篇3:5-6 ダビデの眠りは、神に信頼していた証拠だった。
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10月12日 【アブシャロムの死@】 Uサムエル記18:1-16
 ダビデは内紛のために責任をとり、自分の職務を果たし、全軍を編成し直した。ダビデ自身も出陣しようとすると、家来たちに、危険を犯さず、後方で指揮をとってほしいと言われた。ダビデを討ち取ることは、全軍を打ち破ったことを意味するからであった。ダビデは隊長たち全部に、私に免じて(私のために)、若いアブシャロムを殺さないでくれと命じた。ダビデは息子を愛し、息子が生きてさえいればよかった。肉親の情と親の甘さである。
 戦いはエフライムの森で行なわれ、アブシャロム軍は大敗北して2万人を失った。剣で倒れた者よりも、密林で行き倒れになった者の方が多かった。密林の中には危険な所が多く、慣れないアブシャロム軍にとっては、非常に不利な戦いとなった。
 アブシャロムがダビデの家来たちに出会った時、彼は騾馬に乗っていたが、彼の頭が樫の木に引っ掛かり、彼は宙づりになってしまった。1人の男がそれを見て、ダビデの将軍ヨアブに告げた。ヨアブは告げた者に、なぜその場で殺さなかったのかと言ったが、その男はたとい褒美を頂いても、王の命令に背いて、王の子に手はくだせないと言った。ヨアブは3本の槍でアブシャロムの心臓を突き通し、ヨアブの道具持ちの10人の若者たちも、アブシャロムを取り巻いて彼を打ち殺した。無慈悲な振舞であった。ヨアブは角笛を吹き鳴らして、終戦を告げた。「そのとき、イエスは彼に言われた。『剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。』」マタイ26:52
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10月19日 【アブシャロムの死A】 Uサムエル記18:17-33
人々はアブシャロムを樫の木から取り降ろし、森の中の深い穴に投げ込み、その上に非常に大きな石くれの山を積み上げた。石塚は犯罪人の墓のしるしであった。

 これまで伝令として働いてきた祭司の子アヒマアツは、主が敵の手から王を救って、王のために正しい裁きをされたという戦勝の吉報をも、ぜひ自分に伝えさせてほしいと将軍ヨアブに申し出た。勝利は正しく主なる神の御手から授かった賜物であり、神の勝利であった。しかし、アブシャロム殺害はダビデの望むところではなかったので、ヨアブはダビデがアヒマアツに何をするか分からないと心配した。

 アヒマアツとクシュ人が戦勝の吉報を王に伝えに行った時、王の関心は専らアブシャロムの安否にあった。アブシャロムの死を報告すると、王は身震いして泣いた。彼は泣きながら、「わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに」と言い続けた。ダビデはアブシャロムの死に、自分も責任があると知っていた。この惨劇をダビデの家にもたらしたのは、ダビデの罪だった。ダビデはアブシャロムの暴走するエゴに対して、教育しなかった。「高ぶりは、ただ争いを生じ、知恵は勧告を聞く者とともにある。むちを控える者はその子を憎む者である。子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる。」箴言13:10、24
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10月26日 【ダビデのエルサレム帰還@】 Uサムエル記19:1-14
 将軍ヨアブに、「今、王は泣いて、アブシャロムのために、喪に服しておられる」という報告がされた。それで、その日の勝利は全ての兵士にとって、喪に代わった。その日、兵士たちは勝利の行進をするどころか、敗残兵ででもあるかのように、町にこっそり帰って来た。せっかくの勝利の凱旋は、ダビデの極端な悲嘆のゆえに、まるで敗軍の帰還のように沈うつなものに変わってしまった。王は自分の責任よりも、個人的な損失に対する悲しみを優先させていた。自分にとっての優先事項をわきまえ続けることは、大切なことである。「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。」ルカ21:33-34

 ヨアブは王の家に行き、戦勝の兵を悲しみをもって迎えた王を冷静な武人として非難し、「立って外に行き、兵隊たちの労をねぎらってください」と言った。それで、王は立って、マハナイムの門の所(王が民衆と接する所)に座った。

 一方、全イスラエルはダビデが指導の責務を果たすことを期待していた。ダビデはエルサレムの祭司たちに人をやって、ユダの長老たちに王を王宮に戻すのに遅れをとらないように告げるように、またアブシャロムの将軍だった甥のアマサにヨアブに代わって将軍とすると言うように、言わせた。ダビデにとっての最重要課題は、全イスラエルを統一し、自分に忠誠を誓わせることだった。しかし、ダビデがヨアブを更迭し、アマサを将軍にすることは、不公平な振る舞いであった。
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