エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2014年4月
4月6日 【アブネルの死A】 Uサムエル記3:22-39
 ヨアブが略奪から帰って来ると、アブネルが王の所に来たことを知った。それでヨアブは王の所に来て、アブネルはあなたを惑わしていると言って、使者を遣わし、アブネルを連れ戻させた。アブネルがヘブロンに戻った時、ヨアブは静かな所で話したいと言って、彼を城門の中に誘い込んで暗殺し、自分の兄弟アサエルの血に報いた。

 後になって、ダビデはそのことを聞いて、アブネルの血の罪は、自分にも自分の王国にも、主の前にとこしえにないと言って、ヨアブとヨアブの家を呪った。ダビデは率先して喪に服し、アブネルを国葬にして、声をあげて泣き、囚人でもないのに暗殺されたアブネルのために悲しみ歌い、日の沈むまで断食した。葬りの日は、断食をして悲しみを表すのが普通であった。民は皆、それを認めて、それで良いと思った。王のしたことは全て、民を満足させた。それで全イスラエルは、その日、アブネルを殺したのは、王から出たことではないことを知った。アブネルに対する王の悲しみの表現は、サウル家の復讐を招かないためでもあった。

 王は家来たちに、アブネルのことを「偉大な将軍が倒れた」と言い、アブネルの過去の過ちには全く触れず、最大の敬意を表す言葉を用いた。そして、ヨアブと彼の兄弟たちの手に負えない悪党ぶりを吐露し、「主が、悪を行う者には、その悪にしたがって報いてくださるように」と言った。復讐は神のなさることであり、しかも、のがれの町(あやまって人を殺した者が、血の復讐をする者の手によって死ぬことがないために、のがれる場所 ヨシュア記20章)ヘブロンで、復讐がされたことは、神の御心を大いに損なう出来事だった。ダビデは彼自身の王国建設に、将軍ヨアブらの助力が必要であったため、アブネル殺害の罪でヨアブを処罰することができなかった。
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4月13日 【神のすぐれた力】 エペソ1:18-19
 「また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神が全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」
 イエス様がなぜ十字架にかかられたのかを静かに考えてみましょう。なぜ、これほどの苦しみを受けられたのでしょうか。ご自分を犠牲にされたイエス様の心を、私たちは無駄にすることがないようにしましょう。

 姦淫の現場でとらえられた女の姿は、実は私たちの姿ではないでしょうか。罪の種類は違っても、心の中のすべてを見られたら、恥ずかしい者に違いありません。イエス様は女を赦されたのです。私たちもイエス様の赦しを受け取るならば、心は平安と感謝にあふれるのです。これが神の救いです。

 信じた者に、神は約束をくださいました。その約束とは、義人とされ、聖霊充満、癒し、祝福、永遠のいのちです。生きる望みをくださったのです。そして、受け継ぐ者は、神の国の相続者となり、人の魂を救う使命を与えられ、イエス様のお名前で祈ることは答えられるのです。

 私たちは神の力を体験する必要があります。それによって、神様が生きておられることがはっきり分かるからです。イエス様も伝道と共にいつも癒しをなさいました。そして、私たちがイエス様と同じ業を行い、それよりももっと大きな業を行うと約束されました。去年、弟が癒されました。祈りましょう。
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4月20日 【イシュ・ボシェテの死】 Uサムエル記4:1-12
 サウルの子イシュ・ボシェテは、アブネルがヘブロンで死んだことを聞いて、気力を失った。イスラエル人も皆、うろたえた。実質的には、アブネルがサウル家を統轄していたからである。イシュ・ボシェテは、神ではなく、人から勇気を得る人間であった。

 サウルの子ヨナタンに、足の不自由なメフィボシェテ(恥を一掃する者)という子がいた。彼が5才の時、乳母が彼を落としたため、足のなえた者になった。後に、メフィボシェテはダビデの寵愛を受け、多大な恩恵に与り、宮廷で生活するようになる。

 イシュ・ボシェテの部下に、2人の略奪隊の隊長がいた。彼らは小麦を運ぶように見せかけて、イシュ・ボシェテの家に入り込み、昼寝をしていた彼を暗殺してしまった。そして、彼の首をダビデのもとに持って来た。首をさらすことで勝利を宣言し、敵に警告を与える。彼らはダビデから大いなる贈物を受け、軍指揮官か何か信任のしるしをもたらすものと考えた。

 すると、ダビデは彼らを「悪者ども(神に逆らう者)」と呼び、イシュ・ボシェテのことを「ひとりの正しい人(無実の人)」と呼んだ。イシュ・ボシェテはサウルのように、ダビデの命をねらうことはしなかった。そして、ダビデは血の責任を彼らに問い、若者たちに命じて彼らを殺させた。彼らも、主を待ち望み、自分の手で復讐することを極力避けようとする、ダビデの敬虔な思いを推し量ることができなかった。

 彼らの死体は、ヘブロンで最も人目につく池のほとりで、木につるされた。木につるされる者は、呪われた者である(申命記21:23)。彼らは公衆の面前で辱められた。しかし、イシュ・ボシェテの首は、ヘブロンにあるアブネルの墓に丁重に葬られた。王は絶対に、殺人を許さないことを告げる厳しい警告となった。

 神は王国をダビデに約束しておられ、ダビデも神がご自分の約束を果たされることを知っていた。ダビデにとって、どんな危険からも救って、目指す王座へと導くのは、主であられるので、一切の人間的策略は不要であった。高い次元で、主の御手が働いていた。
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4月27日 【イスラエルの王ダビデ@】 Uサムエル記5:1-10
 イスラエルの全部族の代表者たちは、ヘブロンのダビデのもとに来て、「私たちはあなたの骨肉(身内や親族のような親近関係を表す)です」と言い、また、これまでもイスラエルを動かしていたダビデであり、「主はあなたに言われました。『あなたがわたしの民イスラエルを牧し、あなたがイスラエルの君主となる』」と言った。

 ダビデ王はヘブロンで主の前に、イスラエルの全長老と契約を結び、彼らはダビデに任職の油を注いで、イスラエルの王とした。3回目の油注ぎであった。ダビデは30才で王となり、40年間(およそBC1000-961)王であった。ヘブロンで7年半ユダを治め、エルサレムで33年、全イスラエルとユダを治めた。神がダビデをイスラエル全土の王とされるという約束は、ついに成就した。待ち続ける時間がダビデを鍛え、重要な使命に備える期間となったように、成就を待つ期間が人格を強め、来たるべき成功に備えることができる。

 ダビデ王とその部下がエルサレムに来た時、その地の住民エブス人は、難攻不落の天然のとりでを誇る豪語を語り、ダビデがここに来ることはできないと考えた。しかし、ダビデはシオンの要害を攻め取った。これが、ダビデの町(エルサレム市の一隅)である。エルサレム(シオンの要害)は、ベニヤミン族とユダ族の境にあり、国の中心に位置する新しい首都である。神との親しい関係だけが、唯一の安全策である。かつてはサタンの軍勢の砦だった地域が、指導者たちの勇気の結果、今や神の証の中心となった。指導者の義務は、キリストにある相続分を楽しめるよう、聖徒を導くことである。ダビデはますます大いなる者となり、万軍の神、主が彼とともにおられた。
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