エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2014年2月
2月2日 【アマレクに対する勝利@】 Tサムエル記30:1-15
 ダビデとその部下がアフェクから3日目にツィケラグに帰ってみると、アマレク人がネゲブとツィケラグを襲った後だった。彼らはツィケラグを攻撃して、火で焼き払い、そこにいた女、子供を皆、とりこにし、1人も殺さず、自分たちの所に連れて去った。

 ダビデも彼と一緒にいた者たちも、声をあげて泣き、ついには泣く力もなくなった。ダビデは非常に悩んだ。民が皆、自分たちの息子、娘たちのことで心を悩まし、ダビデを石で打ち殺そうと言い出したからである。石で打ち殺すのは、一般的な死刑の方法であった。しかし、ダビデは彼の神、主によって奮い立った(主である神を仰いで、立ち上がった)。ダビデは祭司エブヤタルにエポデを持って来させ、主に伺った。すると主は、「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる」とお答えになった。ダビデは主の言葉によって活気づいた。ツィケラグの災いは、ダビデを主のもとに立ち返らせた。危機的状況において、神の導きがいかに重要であるかを覚える。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」詩篇119:105 「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。」ローマ8:14

 そこで、ダビデは600人の部下とともに出て行き、ベソル(福音の意)川まで来た。連続強行軍で疲れきって、川を渡れなかった200人はそこにどどまり、ダビデと400人の者は追撃を続けた。

 彼らは1人のエジプト人を野原で見つけ、ダビデのところに連れて来た。彼らが彼にパンと水、干しいちじくと干しぶどうをやると、彼は元気を回復した。彼はアマレク人の奴隷のエジプトの若者で、3日前に病気になったので、主人に捨てられた。しかし、ダビデと部下たちはこの若者に愛のわざを行なったので、彼はその厚意に応えて、彼らをツィケラグを襲ったアマレク人の略奪隊の所に案内した。
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2月9日 【アマレクに対する勝利A】 Tサムエル記30:16-31
 1人のエジプト人がアマレク人の略奪隊の所にダビデを案内して行くと、彼らはお祭り騒ぎをしていた。彼らがペリシテ人の地やユダの地から、非常に多くの分捕り物を奪ったからである。

 そこでダビデは、その夕暮れから次の夕方まで彼らを打ち、らくだに乗って逃げた400人の他は、1人も逃れおおせなかった。こうしてダビデは、アマレクが奪い取ったものを全部、取り戻した。また、全ての羊と牛を取った。ダビデは取り返した物に加えて取り、余りある神の恵みに与った。ダビデは先陣から送り返されたことにより、祖国と戦うことを免れ、アマレク人の捕虜となった家族たちを取り戻すことができた。

 ダビデが、疲れてダビデについて来ることができずに、ベソル川のほとりにとどまっていた200人の者の所に来た時、ダビデと一緒に行った者たちのうち、意地の悪い、よこしまな者たちは皆、利己心から、「われわれが取り戻した分捕り物を、彼らに分けてやるわけにはいかない。ただ、めいめい自分の妻と子どもを連れて行くがよい」と言った。ダビデは、「兄弟たちよ。主が私たちに賜った物を、そのようにしてはならない。主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡されたのだ。戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ」と言った。ダビデは、全て神の恵みによることを痛感していた。最前線にいる者と、それを支援する者の報いが、同じだと言うのだ。その日以来、ダビデはこれをイスラエルの掟とし、定めとした。恵みの法則である。「わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」マタイ10:42

 ダビデの分捕り物は、友人であるユダの長老たちへの贈り物にも用いられた。ダビデはこれまでの逃避行の放浪中に、世話になった全ての場所の人々に報いた。ユダの地も、アマレク人による略奪の被害を受けていた。ダビデは新たに手に入れた富にしがみつくようなことはせず、それを分け与え、一部はユダの町々に送った。ダビデが贈り物をしたヘブロンの町で、彼はユダの王となった。
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2月16日 【サウルと息子たちの死】 Tサムエル記31:1-13
 ペリシテ人はイスラエルと戦った。その時、イスラエルの人々はペリシテ人の前から逃げ、ギルボア山で刺し殺されて倒れた。サウルの3人の息子も打ち殺された。攻撃はサウルに集中し、弓を射る者たちが彼をねらい撃ちにしたので、彼は致命傷を負った。ペリシテ人は捕虜に拷問を加えることで知られていたので、サウルは道具持ちに、剣で刺し殺してくれるように頼んだ。しかし、道具持ちは非常に恐れて、とてもその気になれなかった。そこで、サウルは剣を取り、その上にうつ伏せに倒れて死んだ。道具持ちも同じようにして死んだ。サウルは生きてきたように死んでいった。「殺してはならない。」出エジプト記20:13 殺人、自殺は罪である。

 翌日、ペリシテ人はサウルの首を切って、彼の死体をベテ・シャンの城壁にさらし、彼の武具をはぎ取って、偶像の宮に奉納した。そして、ペリシテ人の地にあまねく人を送って、彼らの偶像の宮と民とに告げ知らせた。

 ヤベシュ・ギルアデの住民が、ペリシテ人のサウルに対するしうちを聞いた時、勇士たちは皆、立ち上がり、約20kmの道を夜通し歩いて行って、サウルとその息子たちの死体をベテ・シャンの城壁から取り外し、ヤベシュに運んで、そこで焼いた。それから、その骨をヤベシュにある柳の木の下に葬り、七日間、断食した。ヤベシュの人々はアモン人に攻められた時、サウルによって助けられた。サウルが王になって最初にしたことは、ヤベシュの人々を救うことだった。その恩に報いるため、ヤベシュの人々は危険を承知で、サウルとその息子たちの遺体を取りに行った。断食は敬意と哀悼の意を表した。ダビデは後に、この遺骨をベニヤミンのサウルの家系の墓に移した。

 サウルは神を愛する心をもっておらず、不従順で強情であり、矛盾(一貫性の反対)のある罪深い王だった。彼は主との交わりのうちに歩んでいなかった。
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2月23日 【ダビデ王国の確立】 Uサムエル記5:1-12
 Uサムエル記には、ダビデの治世(物語)が記されている 。「ダビデは三十歳で王となり、四十年間、王であった。ヘブロンで七年六か月、ユダを治め、エルサレムで三十三年、全イスラエルとユダを治めた。」B.C.1010年〜970年のことである。「ダビデは、主が彼をイスラエルの王として堅く立て、ご自分の民イスラエルのために、彼の王国を盛んにされたのを知った。」

 ここには、神によって任命されたダビデの成功と失敗が語られている。神との個人的な関係が、いかにダビデの人生と王国の命運に重要な役割をもっていたかが示されている。罪を犯したダビデは、悔い改めて罪を赦され、神との交わりと平和はもとどおりになったが、罪の結果はいつまでも残った。バテ・シェバとの姦淫の罪を犯したので、家族も国も崩壊するという罪の結果を経験することになった。罪は致命的である。

 サムエル記や歴代誌の時期に記された詩篇には、ダビデが受けた霊的教訓が書き留められている。主から委ねられた自分の責任を果たすためには、神の助けが必要である。「これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。」Tコリント10:11 「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」Uテモテ3:16-17

 1-10章:ダビデの勝利(ダビデの治世と王国の繁栄)
 11-20章:ダビデの過ち(罪と問題の結果の悲しい物語)
 21-24章:ダビデの晩年(ダビデの家族と王国)
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