エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2013年12月
12月1日 【イスラエル王国の確立A】 Tサムエル記24:15-22
 ダビデは、「どうか主が、さばき人となり、私とあなたの間をさばき、私の訴えを取り上げて、これを弁護し、正しいさばきであなたの手から私を救ってくださいますように」と言った。ダビデがサウルを害さない理由は、宗教的根拠にあった。復讐や裁きについて、ダビデは一切を神に委ねた。神に一任し、一貫した無抵抗主義に徹した。

 サウルは、「わが子ダビデよ」と言って、声をあげて泣いた。サウルも悪霊の支配を受けていない時には、物の道理がよくわかり、心も柔らかであったが、悲しいことに一時的なことであった。サウルは、自分が間違っており、ダビデが神の義にまっすぐかなっていること認めた。集団の圧力に負けたり、安易な道を選んだりして、倫理的な基準を下げてはならない。サウルは、ダビデが必ず王になり、ダビデの手によってイスラエル王国が確立することを確かに知った。事柄が神の裁きと報いに委ねられた時、神の御手がダビデの王位継承と確立を指さした。ダビデ王朝が確立する時、ダビデはサウルの家族や子孫に復讐しないと誓った。そして、ダビデはその約束を守った。

 サウルは自分の家へ帰り、ダビデとその部下は要害へ上って行った。サウルの精神状態が悪化すれば、どうなるかわからなかったので、ダビデは用心してサウルとは行動をともにしなかった。サウルの正気の時のどれ程の後悔も、霊的悪化状態の狂乱が解消したことを保証するものではない。王は正気に戻ったが、サウルの言葉は気分と同様、変わりうるものであり、当てにならない。

 ダビデは洞窟にいた時にも、神を賛美した。「神よ。私の心はゆるぎません。私の心はゆるぎません。私は歌い、ほめ歌を歌いましょう。」詩篇57:7 「あなたは私の避け所、生ける者の地で、私の分の土地です。」詩篇142:5
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12月8日 【アビガエルの判断@】 Tサムエル記25:1-16
 サムエルが死んだ時、イスラエル人は皆集まって、いたみ悲しみ、ラマに葬った。ダビデはそこを立って、パランの荒野に下って行った。

 マオンに非常に裕福なナバル(愚か者の意)という、カレブ人がいた。彼は頑迷で行状が悪かった。知的愚鈍よりも、道徳的、霊的な愚かさであった。実生活において、神を無視するのが愚かなのである。彼は神の器ダビデを認めることができなかった。彼の妻の名は、アビガイル(我が父は喜ぶの意)といい、聡明で美人であった。

 ナバルはカルメルで羊の毛の刈り取りの祝いをしていた。それを聞いたダビデは、10人の若者をナバルの所に遣わし、平安があるように挨拶し、ナバルの厚意に与る贈り物を求めた。ダビデ一団は、野獣の害、ペリシテ人の略奪、荒野の遊牧民の危害から、ナバル家の牧羊者や家畜を保護し、私設警察的な保護と監視をした。ダビデは逃亡生活の中でも、決して時間を無駄にしなかった。600人の部下を養う責任者のダビデは、当然の報酬請求を交渉したのである。

 しかし、ナバルはダビデの家来たちに、ダビデのことを「主人のところを脱走する奴隷」と言って、取るに足りない者だと侮辱し、散々ののしった。そして、極めて利己的に、私のものをくれてやる義理がどこにあるのかと言った。ナバルは非常に裕福であり、ダビデの願いをかなえることは、たやすかっただろう。贈り物を拒絶したことは、ダビデを敵と見なしたということであった。

 それを聞くとダビデは、部下に剣を身につけさせ、戦いに行こうとした。その時、ナバルの妻アビガイルに、若者の1人が、彼らがダビデたちと一緒に羊を飼っている間、昼も夜も、ダビデたちは彼らのために城壁(守護の比喩)となってくれ、防壁の役を果たし、大きな恩恵を受けたと言った。
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12月15日 【アビガエルの判断A】 Tサムエル記25:17-27
 また、若者の1人は、ナバルの妻アビガエルに、「ご主人は頑固なお方(よこしまな者、ならず者)ですから、誰もおいさめできません」と言った。

 そこでアビガイルは、急いでパン200個、ぶどう酒の皮袋2つ、料理した羊5頭、炒り麦5セア、干しぶどう100房、干しいちじく200個を取って、これをろばに載せ、若者たちを自分の前に進ませた。ただ、彼女は夫ナバルには何も告げなかった。アビガエルは急いで謝罪しようと、ダビデに会いに出かけた。そして、贈り物を先に遣わし、ダビデの心を和らげようとした。すばやい行動と巧みな交渉である。アビガエルは気前が良く、全く物惜しみしなかった。

 ダビデは、ナバルが善に代えて悪を返したことについて怒り、ナバルに属する男を全て殺そうと決意していた。復讐する権利は、私たちにはない。自分の心を制することのできなかったダビデは、信仰の道から外れた行動をとる重大な危険にさらされていた。「悪を行う者に対して腹を立てるな。怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。」詩篇37:1、8 「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」ヤコブ1:20 「怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。」箴言16:32 「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』」ローマ12:19 

 アビガエルはダビデを見るやいなや、足もとにひれ伏して、「わたしが悪うございました」と言って、夫の罪を自分にかぶって謝罪した。そして、「今、ご主人さま。あなたが血を流しに行かれるのをとどめ、ご自分の手を下して復讐なさることをとどめられた主は生きておられ、あなたのたましいも生きています」と言った。「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています」というのは、宣言したことが必ず実現することを表明する慣用句である。また、「夫のように愚かなことをする者は、主が罰を加えてくださいます」と言った。アビガエルは預言的宣言をしたのである。
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12月22日 【アビガエルの判断B】 Tサムエル記25:28-44
 アビガエルは、「どうか、このはしためのそむきの罪をお赦しください」と、ダビデに夫の罪を謝罪した。そして、主は必ずダビデのために、長く続く家をお建てになること、ダビデは主の戦いを戦っているので、一生災いはダビデに起こらず、彼のいのちは神の保護の御手の中にあり、主がダビデの敵を裁かれること、主がダビデに約束された全ての良いことが成し遂げられ、彼をイスラエルの君主に任じられた時、むだに血を流したり、ダビデ自身で復讐したことが、彼の生涯の汚点となり、過失とならないようにと語った。ダビデは愚か者との争いに、力と時を浪費すべきではなく、今から身を慎む必要があった。それからアビガエルは、「主がご主人さまを幸せにされたなら、このはしためを思い出してください」と、理を尽くして願い求めた。

 ダビデはアビガイルに、「きょう、あなたを私に会わせるために送ってくださったイスラエルの神、主がほめたたえられますように。 あなたの判断(立派な良識、知恵、神による賜物)が、ほめたたえられるように」と言った。怒りに目がくらみ、何も見えなくなっていたダビデは、アビガエルの言葉を聞いて我に返った。アビガエルがダビデに送られたのは、神の摂理であった。アビガエルは、怒りの炎を消す術を体得していた。ダビデはアビガエルが持って来た物を受け取り、アビガエルの願いを受け入れた。

 アビガイルがナバルの所に帰って来ると、ナバルはひどく酔っていた。朝になって、ナバルの酔いがさめた時、妻がこれらの出来事を告げると、彼は気を失って石のようになった。10日程たって、主がナバルを打たれたので、彼は死んだ。神罰が下ったのである。

 その後、ダビデは人をやって、アビガイルに自分の妻になるよう申し入れた。彼女はすぐに、地にひれ伏して礼をし、「まあ。このはしためは、ご主人さまのしもべたちの足を洗う女奴隷となりましょう」と言って、急いで用意をし、5人の侍女を従え、ダビデの使いたちのあとに従って行った。ダビデは重婚をしたが、聖書には、「王は、多くの妻を持ってはならない。心をそらせてはならない。自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない」と書いてある。申命記17:16-17
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12月29日 【自分の心を治める訓練@】 Tサムエル記26:1-11
 ジフ人がギブアにいるサウルの所に来て、ダビデがいる所を告げると、再びサウルは、イスラエルの精鋭3000人を率いて、ジフの荒野へ下って行った。 

 そのことを知ったダビデが、サウルが陣を敷いている場所へ行くと、サウルは幕営の中で寝ており、兵士たちも皆眠っていた。

 そこでダビデは、アビシャイ(ダビデの甥)と一緒に夜、その所に行くと、サウルは横になって寝ており、彼の槍が枕もとの地面に突き刺してあった。突き刺した槍は、王の所在の目印であった。兵士たちもその回りに眠っていた。主が彼らを深い眠りに陥れられたのである。アビシャイがダビデに、「どうぞ私に、あの槍で彼を一気に地に刺し殺させてください」と言うと、ダビデはアビシャイに、「殺してはならない。主に油そそがれた方に手を下して、だれが無罪でおられよう(主が罰を下さないではおかれない)。主は、必ず彼を打たれる。私が、主に油そそがれた方に手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ」と言った。ダビデは自分が手伝わなくても、神は自分を王位に即けてくださることを知っていた。そして、「さあ、今は、あの枕もとにある槍と水差しとを取って行くことにしよう」と言った。槍は権威の象徴である。槍が取り去られたことは、サウルから戦うための力が取り去られたことを象徴している。また、荒野では水が貴重なので、水差しは命の象徴である。

 ダビデはサウルを助命したものの、そのすぐ後で、ナバルを殺そうとしたため、振り出しに戻って、同じ課題を学ぶことになった。主は統治と言う目的のために、人を訓練される。「怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。」箴言16:32
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