エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2013年4月
4月7日 【イスラエルの王サウルA】 Tサムエル記9:11-17
 サウルと若い者は、その町の水を汲みに出て来た娘たちに、そこに予見者がいるか尋ねた。家族のために水を汲むのは、通常女性の仕事であった。

 娘たちは、今日、サムエルが町に来て、高き所でいけにえをささげ、いけにえの食事の食前祈祷をするので、今、上って行くなら、会うことができるだろうと答えた。聖書では、高き所は実際には高い所でなくても、いけにえをささげる祭壇が築かれた場所を指し、祭儀場という意味で用いられた。いけにえの肉の一部は、聖なる食事として礼拝者が食した。サムエルは祭司として、ささげられた肉の一部を食前に祝福しなければならなかった。サウルがサムエルと会うのに、絶好の時と場所であった。

 主はサウルが来る前の日、サムエルに、明日の今頃ベニヤミンの地から一人の人を遣わす、あなたは彼に油を注いでイスラエルの君主とせよ命じられた。そして、彼はわたしの民をペリシテ人の手から救うであろう、民の叫びがわたしに届いた(民の悩みを見た)ので、わたしは民を顧みると仰せられた。アロンの時代から、祭司の頭には油が注がれてきた。祭司、預言者、或いは王など、神が選んだ務めに任じられる時、頭にオリーブ油が注がれた。神の助けが与えられることを、目に見える形で表現したものが油注ぎだった。君主(ヘブル語ナーギード:前に立つ者、告げられた者、目立つ者)は主として軍の指揮官、支配者を表すが、ここでは王を表す。即位後も神や預言者の指示に従うことが望まれる。

 サムエルがサウルを見た時、主はサムエルに、この者がわたしの民を支配すると告げられた。
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4月14日 【新しい思いに入れ替えて、喜びなさい】 ピリピ人への手紙4:4 山口香代子牧師
 私たちは心配したり恐れたりすると、自分の心を安心させようとしたり、自分の責任をとりたくないという二重のずるさに陥りやすいです。そして、人のせいにして怒ったり、憎んだりしていることが多いと気付かされます。そうした良くない思いが自分の心の中を支配し、たくさんの時間をそれに振り回され、人生を消費させられています。

 私はこの2〜3ヶ月、このことに深く気付かされ、良くない思いと戦ってきました。神様が私たちに与えられる人生は、もっと創造的なものであり、情熱的で、価値あるものであるべきです。神様のくださろうとしているすばらしい人生について、もっと考え、味わいたいです。ですから、自分にはできない、だめだ、諦めたほうが良いというような考えが入ってきたら、これはサタンの騙しであると追い出しました。そして、今はたとえ小さくとも、神様にあればできると信じ、祈り求めることにしました。すると不思議なことに、心の中から情熱と喜びが湧き上がるのを体験しました。

 ではなぜ、新しい思いや考えに入れ替える必要があるのでしょうか。それは、私たちの思いと神様の思いは違うからです。私たちは神様がどのような方か、私たちにどのように生きて欲しいかを知る必要があります。

 イエス様は十字架にかかられ、五重の福音を成就してくださいました。罪からの救い、病からの癒し、経済の祝福、聖霊充満、永遠の命を完成してくださったのです。イエス様の復活は、この約束が真実であることの証明です。  これを疑いなら生きるか、これを信じて喜びながら生きるかは、私たちの毎日の選びにかかっています。「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」ピリピ4:4
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4月21日 【イスラエルの王サウルB】 Tサムエル記9:18-27
 サムエルはサウルに、3日前にいなくなった雌ろばは見つかっていること、イスラエルの全てが望んでいる王権と祝福は、サウルとサウルの父の全家のものであることを伝えた。神は普通の出来事を用いて、私たちを望む場所へと導かれることがある。不思議な神の摂理の導きである。

 サウルは答えて、私はイスラエルの部族のうちの最も小さいベニヤミン人であり、私の家族はベニヤミンの部族のどの家族よりもつまらないものであるのに、どうしてあなたはこのようなこと私に言われるのですかと尋ねた。それは謙遜な態度であった。ベニヤミン人はサウルの故郷ギブアの戦いで数が減った。ベニヤミン領は非常に小さく、人口もマナセに次いで少なかったとされる。サウルは神に召され、人生における使命があったにもかかわらず、利己的であり、嫉妬、不安、傲慢、衝動、欺瞞に悩まされ続けた。良いスタートを切ったにもかかわらず、不従順の罪を重ね、悲劇の生涯であった。

 しかし、サムエルはサウルを広間の上座に着かせ、特上の肉でもてなし、主に油注がれた王に対する待遇をした。

 それから彼らは高き所から町に下って来て、サムエルはサウルと屋上で話をした。平らな屋根は、夏の暑い夜でも気持ちの良い涼しい場所であり、交わりをしたり、寝る場所としても用いられた。

 翌朝早く、サムエルはサウルとふたりで外に出て、親しく神の言葉を伝えた。
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4月28日 【新しい人に変えられたサウル@】 Tサムエル記10:1-8
 サムエルはイスラエルの君主としてサウルの頭に油を注ぎ、口づけをした。油を注ぐのは、特にその職務に対し、主の霊の賜物が授けられたしるしである。王は必ず、祭司または預言者によって油を注がれた。この油注ぎは、王に対し、自分ではなく、神の知恵によって民を導くという重大な責任を忘れさせないためのものであった。口づけは、王に対する尊敬と帰服を表す。

 サムエルはサウルに、2人の人に会い、雌ろばは見つかったと告げられると言った。雌ろばは王権のしるしである。神がサウルの家族と生活の必要を満たされる。

 また、べテルの祭壇へ行って神を礼拝する3人の人に会い、2つのパンを受け取ると言った。サウルの必要が、祭司と同様、イスラエルの民によって満たされる。

 更に、神のギブアで、琴、タンバリン、笛、竪琴を鳴らす者を先頭に、高き所から降りて来る預言者の一団に出会う。彼らは預言をしている(神の言葉を語っている)が、主の霊が激しく下ると、サウルも預言し、新しい人に変えられると言った。主の霊によって造り変えられ、群れを治めるために必要な霊的な力と適性が惜しみなく与えられる。

 そして、このしるしが起こったら、神がともにおられるから、何事でも良いと思われることを、時に応じて実行せよと勧めた。神の霊に満たされて行なう業は、全て祝福される。

 サウルは、サムエルがなすべき事を教える完全に宗教的な聖なる器であるべきだった。イスラエルの王には、神と預言者への完全な従順が必要なのである。
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