エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2012年12月
12月2日 【ハンナの誓願B】 Tサムエル記1:21-28
 息子のサムエルを主にささげるというハンナの誓願を、夫のエルカナは承認し、自分の誓願として果たそうとしたが、ハンナは夫に、「この子が乳離れしてから、一緒に主の御顔を仰ぎに行きます。そこにこの子をいつまでもとどまらせましょう」と言った。子供は通常3才まで母乳で育てた。エルカナはハンナに、「ただ、主のおことばのとおりになるように」と言った。

 サムエルが乳離れした時、ハンナは高価ないけにえを携えて、サムエルをシロの主の宮に連れ上った。ハンナは祭司エリに言った。「主は私がお願いしたとおり、私の願いをかなえてくださいました。それで私もまた、この子を主にお渡しいたします。この子は一生涯、主に渡されたものです。」こうして彼らはそこで主を礼拝した。幼いサムエルは、退廃した環境に置かれた。

 神がハンナの祈りに応えられた時、彼女は神の奉仕にサムエルをささげるという彼女の約束を完全に果たした。ハンナは犠牲の大きい言質でさえ、喜んで完全に果たした。ハンナは自分の全人生と未来を神にささげた。ここでは私たちが神にささげるべきもののあり方が描かれている。犠牲を伴う贈り物をささげるのである。アブラハムもハンナも、主が与えてくださった祝福以上に主ご自身を尊んだ。私たちが果たすべき分は主を喜ばせることであり、結果は主に委ねるべきである。
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12月9日 【ハンナの賛歌】 Tサムエル記2:1-11
 ハンナは幼子サムエルを主の宮にささげ、主を礼拝して祈った。

 「私の心は主を誇り(喜び)、私の角(力)は主によって高く上がります。」「私たちの神のような岩はありません。」
「岩」は、神の確かさ、真実さ、力、安全、確実、揺るぎなく強固で不変、人々の避難所を表す。

 「高ぶって、多くを語ってはなりません。横柄なことばを口から出してはなりません。まことに主は、すべてを知る神。そのみわざは確かです。」
ハンナは賢くも、神に裁きを委ねた。

 「主は、弱い者をちりから起こし、貧しい人を、あくたから引き上げ、高貴な者とともに、すわらせ、彼らに栄光の位を継がせます。まことに、地の柱は主のもの、その上に主は世界を据えられました。」
主は世界秩序の支え主である。

 「主は聖徒たちの足を守られます。悪者どもは、やみの中に滅びうせます。」
「聖徒」(契約の愛へブル語ヘセドの派生名詞)は、神に忠実な人である。人の倫理性と宗教性への審判が語られている。

 「主は地の果て果てまでさばき、ご自分の王に力を授け、主に油そそがれた者の角(権力)を高く上げられます。」
「ご自分の王」と「主に油注がれた者」は、イエス・キリストの預言である。男の子を産むことによって、ハンナの悲しみが終わったように、キリストが現れると、その時代の忠実な者たちの悲しみは終わる。

 その後、エルカナとハンナはラマの自分の家に帰った。幼子サムエルは、祭司エリのもとで主に仕えた。サムエルはエリの助手、見習い祭司であった。
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12月16日 【主の前で大きな罪@】 Tサムエル記2:12-17
 エリの息子たちは、よこしまな者(ならず者)で、主を知ろうとしなかった(主を恐れなかった)。神との正しい関係になかった。「わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあなたを退けて、わたしの祭司としない。」ホセア4:6

 エリの息子たちは、主へのささげ物の肉を、自分たちの割り当てよりも多く取った。彼らは神ご自身のものを略奪し、まもなく道徳的にも堕落した。一旦神への畏れを失うと、情欲を制することができなくなる。彼らの心は、貪欲という疫病に冒されていた。彼らは暴飲暴食に生きた。神への冒涜と貪欲の罪である。 また、人々が神にいけにえをささげる前に、力ずくで新鮮な肉を取ろうとした。神より自分を先にする罪である。

 このように、子たちの罪は、主の前で非常に大きかった。主へのささげ物を、この人たちが侮った(いいかげんに扱った、軽んじた)からである。主へのささげ物は、罪の赦しを求める際に、神への敬意と尊敬を示すためにささげられた。神に正当な取り分をささげる者だけが、神の民を導くことができる。神のためになすべきことをなさなければ、個人生活にも集会生活にも混乱が生じる。主に対する真の献身こそ、主の義の道へと聖徒たちを導き入れる。「自分自身にも、教える事にも、よく気をつけなさい。あくまでそれを続けなさい。そうすれば、自分自身をも、またあなたの教えを聞く人たちをも救うことになります。」Tテモテ4:16 
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12月23日 【主の前で大きな罪A】 Tサムエル記2:18-29
 サムエルはまだ幼く、亜麻布のエポデを身にまとい、主の前に仕えていた。母のハンナは、サムエルのために上着を作り、毎年、夫のエルカナとともに、いけにえをささげに上って行く時、持って行った。祭司エリは、エルカナとハンナを祝福して、「主がお求めになった者(主にささげたこの子、主に願って得たこの子)の代わりに、主がこの女により、あなたに子どもを賜りますように」と言った。事実、主はハンナを顧み、彼女はみごもって、3人の息子と、2人の娘を産んだ。少年サムエルは、主のみもとでますます成長し、主にも人にも愛された。

 エリは非常に年をとっていた。彼は自分の息子たちがイスラエル全体に行っていることの一部始終、それに彼らが会見の天幕の入口で仕えている女たちと寝ているということを聞いた。エリは息子たちに、「人に対する罪ならまだしも、神様に対する罪がどんなに重いものであるかということをわきまえなければならい」と言った。しかし、彼らは父の言うことを聞こうとしなかった。不従順の罪である。主は彼らの命を絶とうとしておられた(彼らを殺すのをよしとされた)。

 神の人(一人の預言者)がエリのところに来て、レビ族(祭司職)の家系において、なぜ、あなたがたは神へのささげ物をないがしろにし、神より息子たちを重んじて、ささげ物の最上の部分で私腹を肥やす(自分の分より多く取る、貪る)のかと言い、神の裁きを宣言した。エリは息子たちの罪深い生き方を放置する(大目に見る)ことで、神よりも自分の息子たちを大切にするという罪を犯した。肉親への情に打ち勝つことが、信仰の試金石となる。
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12月30日 【主の前で大きな罪B】 Tサムエル記2:30-36
 主は、主を尊ぶ者を尊び、主をさげすむ者を軽んじられる。主はエリに預言者を通して、イスラエルは幸せにされても、エリの家は神の祝福から断ち切られ、敵を見る(苦難に遭う)、神の祝福が去ることの象徴として、年寄りがいなくなる(長生きする者がいない)と仰せられた。エリは息子たちをしっかり監督しなかったことによって、祭司職を失う結果となった。彼が救おうと努めた家系は、滅びることになった。怠慢が、どれ程悲惨な結果につながるか。生ぬるい対応は、結果的に大損害をもたらす。

 また、主は、エリの家の一人だけは主の祭壇から断ち切らず、主の心と思いの中で事を行う忠実な祭司を起こし、彼のために長く続く家を建て、彼はいつまでも主に油そそがれた者の前を歩むと仰せられた。神をさげすむエリの家は退けられ、神の御心を重んじる忠実な祭司が代わりに立てられる。

 忠実な祭司と油注がれた者(ダビデ家の王)という二つの務めは、遠い将来のこととしては、キリストによって占められる。礼拝と統治は切り離すことができない。「あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。」黙示録5:9-10
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