エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2012年11月
11月4日 【買い戻しの権利のある親類E】 ルツ記4:14-22
 ルツが一人の男の子を産むと、女たちは買い戻す者をナオミに与えた主をほめたたえた。そして、その子はナオミを元気づけ、老後をみとる(将来の希望を表す)、ナオミを愛し、七人の(多くの意の誇張的表現)息子にまさる嫁が、その子を産んだからと言って、その子に名をつけ、オベデ(仕える者)と呼んだ。

 オベデは、ボアズ、ルツの夫妻とナオミだけではなく、その村の人々に、神の民の共同体としての喜びを与えた。彼は、実に待ち望まれた喜びの子であり、神のご計画に仕えるしもべとして、大きな役割を果たす子となった。起こったことは、主の御手による。ナオミに祝福をお与えになったのは、神である。神が導き、これからも導く多くの良き出来事を高らかに歌っている。

 神はナオミの悲劇から、祝福をもたらされた。ルツの子供によって、ナオミの家系が続き、町でのナオミの地位が再び安定した。オベデとルツこそ、ナオミへの報いであった。ルツは忠実な従順さのゆえに、人生と遺産が大きな影響力のあるものになった。主に従って歩む時、福音宣教と神の共同体である教会形成、神の救いの完成のために、用いられる者とされる。

 ペレツの家系が記されている。ペレツはアブノーマルな結婚によって生まれた子であった。しかし、決してほめられない出発にもかかわらず、主のあわれみで、すでに祝福の見本とされていた。系図は、私たちの目を世々にわたる神の御旨の継続に向けさせてくれる感動的な方法である。

 歴史の経過の目的は、神の御旨である。神の御手が、歴史全ての上にある。ペレツの子孫がボアズであり、オベデの孫がダビデである。ダビデは神の御心を求める人で、彼の中に御旨が大いに成就された。ベツレヘムは、ダビデの町と呼ばれる光栄を得るに至った。
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11月11日 【わたしを尊ぶ者を尊ぶ】 Tサムエル記
 本書がサムエル記と呼ばれるのは、サムエルが著者という意味ではなく、サムエルが本書に登場する最初の重要人物だからである。 執筆年代は、早ければBC900年頃、遅ければBC9世紀の終わり頃である。

 Tサムエル記は、サムエルの誕生から、サウル王の騒然たる時代を経て、ダビデの油注ぎ、そしてサウル王の死までのイスラエル史を伝える。サムエル記には、神が選ばれたサムエル、サウル、ダビデという3人の人物の生涯が物語られている。士師の時代から始まり、イスラエルの神が直接万事を統治する神権政治から、王に導かれる君主政治への過渡期について述べられている。王を求めることは、神が王であるとするイスラエル古来の信仰に反する。王を選んだ後も、神に従うという約束は守り続けるよう、神は民とその王に思い起こさせる。

 サウルの生涯は、たとい神に立てられた者であっても、高慢になって、真心から忠実に神に仕えないなら、やがては神から見捨てられてしまうことを教えている。人生の全ての面で、一貫して神に従わなくてはならない。神に対する忠実が成功の鍵である。不従順は災いをもたらす。

 不変の神の真実、神の民に対する変わらない愛が伝えられている。礼拝と統治の密接な関係が理解できる。国家としてのイスラエルは、恥と屈辱の深みから、世界の民の称賛の的へと浮かび上がった。戦いに勝利し、人口は増大し、富は量りがたい程になった。失われたものの回復に用いられる器とされ、「わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ」を証明する者とされたい。
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11月18日 【ハンナの誓願@】 Tサムエル記1:1-10
 レビ部族にエルカナ(神が所有されたの意)という人がいた。彼にはハンナ(いつくしみの意)とペニンナという、二人の妻がいた。ペニンナには子どもがあったが、ハンナには子どもがなかった。主はハンナの胎を閉じておられたが、エルカナはハンナを愛していた。そこには、一夫多妻の不幸があった。基本的な原則に従わないと、必ずその結果に苦しむことになる。自分の家庭を治める人が、神の教会の世話をすることができる。

 エルカナは毎年妻子ととともに、自分の町からシロに上って、万軍の主を礼拝し、いけにえをささげていた。収穫を感謝する収穫祭のために、会見の幕屋があったシロに上ったのであろう。今日における、家族で礼拝を守るクリスチャンである。

 ハンナを憎むペニンナは、彼女に子供がいないことについて、あれこれと嫌がらせをした。毎年、主の宮に上って行く度に、ペニンナはハンナをいじめて苦しませた。そのためハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。子供は神の祝福のしるしとされた。不妊は恥辱であり、悲しみであった。しかし、ハンナの妊娠を遅らせていたのは、神のハンナに対するご計画の一部であった。ペニンナは、子供を産むのに苦労することなく、そのために神の介入も必要としなかった。彼女は生まれながらの人の典型であり、その特徴は高慢と尊大である。悲しみと労苦を経て、神の助けによって、初めて子供を身ごもったハンナは、霊の人の典型である。霊的なものが生み出されるには、祈りと神の聖霊の助けが不可欠である。

 ハンナは霊的な女性だった。心が痛んでいたハンナは、主に祈って激しく泣いた。祈りは神が働かれる道を開く。神は家族の混乱の最中に働かれる。神は混乱から秩序と美を引き出し、ご自分の創造性を発揮される。
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11月25日 【ハンナの誓願A】 Tサムエル記1:11-20
 主の宮で、ハンナは誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」男の力と栄えの座である髪を自分の好みで刈らないことは、神への献身と聖別のしるしであった。アブラハムはイサクをささげた。神は約束を伴った祈りに応えてくださることがある。神は約束を守られるが、私たちにも約束を守るように求められる。

 祭司エリはハンナに言った。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」ハンナは、「はしためが、あなたのご好意にあずかることができますように」と言って、帰って食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。ハンナは神に祈り、問題を委ねた。憂いは去って、平和と喜びをたたえる表情に変わっていた。

 翌朝早く、エルカナと家族は主の前で礼拝をし、ラマにある自分たちの家へ帰って行った。主はハンナを心に留められた。日が改まって、ハンナはみごもり、男の子を産んだ。そして「私がこの子を主に願ったから」と言って、その名をサムエル(神の名の意)と呼んだ。祈りの結果、与えられるものが大切である。サムエルは神によって、不妊の女から生まれた。ヨハネがキリストの先駆者となったように、サムエルはダビデの先駆者となった。
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