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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2012年7月 |
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| 7月1日 |
【2部族半の帰還A】 ヨシュア記22:11-20 |
イスラエル人は、ルベン族、ガド族、マナセの半部族が祭壇を築いたことを聞いた時、シロに集まり、彼らと戦をするために上って行こうとした。10部族は、一つの聖書における一人の神への礼拝という、統一への違反だと思った。また、東岸の部族が、対抗する他の神へのいけにえをささげる祭壇を造ったのではないかと恐れた。
イスラエルの諸部族は、すぐには攻めて行かず、ピネハスを団長とする調査団を、ヨルダン川の東側にいるイスラエル人の所に派遣した。
彼らは2部族半の所に行き、「主に背いたこの背信の行為は何事か。あなたがたは主の御心に反することをしているのだ。主である神様のための祭壇は、一つしかないはずだ。それ以外の所に勝手に造り、主に反逆してはならない」と言い、ペオルで犯した不義(荒野のシティムで、イスラエルの民は偶像崇拝に陥り、それに伴う不倫行為をなした。ピネハスの怒りに燃えたすばやい行動により、神が罰として送った災害は治まった)やアカンの罪を挙げて、個は全体に対して責任があると告げた。個人の罪が、全ての民に悲劇をもたらすなら、部族が犯した罪は、どれ程の悲劇をもたらすかと論じられている。 |
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| 7月8日 |
【2部族半の帰還B】 ヨシュア記22:21-34 |
ルベン族、ガド族、およびマナセの半部族が祭壇を築いた理由は、イスラエルはヨルダン川の西のみに相続地をもち、東に住む者は無関係であると考えられる日が来るかもしれないという恐れからであった。ヨルダン川東岸の部族は、いつか西側の諸部族が自分たちと関係を断つかもしれないと心配していたため、彼らと一体であることを示すしるしとして、記念として祭壇を築いたのであって、献げ物をささげる(主を礼拝する)ためではなかった。
祭司ピネハスとイスラエルの分団のかしらたちは、東側の弁明に満足した(良しとした)。ピネハスは2部族半に、「今日私たちは、主がこの所におられることを知った。あなたがたは主に対して罪を犯していない。むしろイスラエル人を、滅びから救い出してくれた」と言った。問題解決の鍵は、主の臨在にある。ヨルダン川東岸に主の平安がある。「あなたがたは」という表現に、罪の連帯性に関する深い認識がある。
カナンの地に帰ったピネハスたちの報告を聞いたヨルダン川西岸のイスラエル人は、これに満足し(このことを良しとし)、神をほめたたえ、もはや2部族半を滅ぼそうとは言わなかった。それでルベン族とガド族は、その祭壇を「まことにこれは、私たちの間で、主が神であるという証拠だ(あかしの祭壇)」と呼んだ。この祭壇は、主が私たちの神であることを双方に思い起こさせる。また、真の信仰を保持する必要を思い起こさせる。 |
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| 7月15日 |
【ヨシュアの遺言@】 ヨシュア記23:1-11 |
主が周囲の全ての敵から守って、イスラエルに安住を許されて後、多くの日がたち、ヨシュアは年を重ねて老人になっていた。安住はイスラエルの忠実さへの報いの結果である。ヨシュアはもはや死期も間近であることを自覚していたものと思われる。彼は最後までその使命に生きた。
カナン占領の業は、これで終わったのではなく、そこには占領すべき地が沢山残っていた。その戦いは、妥協を許さない信仰の戦いである。モーセの律法に従って、主に信頼して戦うなら、勝利は約束されている。神に対して忠実であれば、全てが自分たちのものとなる土地であるが、住むことができるかどうかは、民の行ない次第とされる。神の行為と人間の責任によって、その地を所有することができる。
ヨシュアは彼の死の後もなされるべきものとして、残される仕事に関心を置いている。神が打ち破った国々のように、イスラエルは残りの国々もまた追い払わなければならない。神が戦ってくださるのだから、彼らは現状に満足せず、与えられた地を自分たちのものとしなければならない。ヨシュア亡き後も、歴史を支配する神を信じつつ、征服の事業を継続させなければならない。ヨシュアは残りの地が征服されるよう、イスラエルに神への忠実にとどまるように励ましている。
異教徒との結婚と偶像崇拝が厳しく禁じられている。彼らが主に忠実であり、律法に従っているなら、神がともにいてくださるので、誰も彼らに敵対できる者はいない。ヨシュアは彼らに、十分に気をつけて、イスラエルの神、主を愛するように言った。語られた愛は、神と神の言葉への契約的献身である。「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します。」ヨハネ14:21 |
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| 7月22日 |
【ヨシュアの遺言A】 ヨシュア記23:12-16 |
ヨシュアはイスラエルに対し、もし主である神を愛することをやめ、堕落して異教徒と親しく交わり、彼らと結婚し交流を始めるなら、主である神は異教徒を追い払ってくださらないことを心に銘記するように言った。異教徒は彼らにとって、罠となり、落とし穴となり、わき腹に鞭となり、目に棘となり、彼らはついに、主である神が与えてくださった良い地から滅びうせる。異教徒は問題の原因となる。
ヨシュアは間もなく死のうとしていた。たとい現実には占領すべき地が沢山残っていたとしも、ヨシュアの信仰の目には、神が全てを成就してくださった事実を見ることができた。主である神がイスラエルについて約束した全ての良いことが実現したように、主はまた、イスラエルが罪を犯すなら、全ての悪いことを彼らにもたらし、罰を与えられる。神は同じ誠実さをもって、罪深い国を裁かれる。ヨシュアはイスラエルに、神に忠実であることと、偶像崇拝をしないことを求め、主の契約を犯すことの警告をした。
主の側の誠実なアブラハム契約の履行として与えられた良い地が保持されるかどうかは、民イスラエルの側のシナイ契約に対する誠実さにかかっている。ヨシュア記全体は、カナンの地の占領と分配を述べているが、イスラエルが神に対して忠実でなく、神のみを礼拝しないならば失われる。
カナン人と交わる結果についての恐ろしい予告は、やがて士師記で現実になった。士師記は、神に心から従わなかったイスラエルの苦しみを物語っている。自分勝手な道を行き、痛みを伴う結果を刈り取らないよう、気をつけるべきである。 |
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| 7月29日 |
【私と私の家とは、主に仕える@】 ヨシュア記24:1-15 |
ヨシュアはイスラエルの全部族をシェケムに集めた。シェケムはかつて、主がアブラハムに現れ、アブラハムが主のために祭壇を築いた場所、ヤコブが野の一画を買い取り、祭壇を築いた場所、また、ヤコブの時代のイスラエルが異国の神々を取り除き、身をきよめた場所である。
ヨシュアは全ての民に、イスラエルの神である主の言葉を語った。――アブラハムの選びは、単なる地理的なものでなく、いろいろな神を拝む偶像礼拝から、天地創造の唯一神を拝む信仰に入るための選びであったこと、イスラエルが主に助けを求めると、主が奇跡によって、彼らをエジプトから解放されたこと、ヨルダン川の東と西の占領、主がカナンの地にくまばちを送られたこと(カナンの地を襲った恐怖感のたとえ)、勝利の達成が、神のみに属していることが語られた。
ヨシュアはイスラエルに、主を恐れ、誠実と真実をもって主に仕え、異国の神々を除き去り、仕える神を選択するように迫った。そして、「私と私の家とは、主に仕える」と言った。ヨシュアは自分の立場を明らかにして、人々の前に証をした。ヨシュアと彼の家は、信仰にとどまる少数の者を表している。私たちの生き方は、他の人たちに、神に仕える献身の力を表す。信仰は強制されるものではなく、自由な選択の問題として彼らの前に置かれた。信仰生活は、毎日の生きた状況の中での決断を迫っている。「私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、あなたの神、主を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ。確かに主はあなたのいのちであり、あなたは主が、あなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた地で、長く生きて住む。」申命記30:19-20 |
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