エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2012年2月
2月5日 【南ユダの征服B】 ヨシュア記10:22-43
 ヨシュアは敵対した五人の王たちをほら穴から引き出し、王たちの首を踏みつけるように言った。敵の完全な敗北(屈服)と、勝利者の支配権を表す慣習である。生けるまことの神が、全ての敵を滅ぼし尽くされる。

 このようにして後、ヨシュアは彼らを打って死なせ、彼らを五本の木にかけ、夕方までさらし者にしておいた。彼らはギブオンを打とうとしたために、自分自身の滅びを早め、より過酷な裁きをその身に受けなければならなかった。

 ヨシュアは全イスラエルを率いて、全力をもってぶつかって行き、マケダ、リブナ、ラキシュ、エグロン、ヘブロン、デビルの町を征服した。ラキシュを助けにゲゼルの王が上って来たので、ヨシュアは彼とその民を打ち、一人も生き残る者がないまでにした。

 こうして、ヨシュアはその全土、すなわち山地、ネゲブ、低地、傾斜地、その全ての王たちを打ち、一人も生き残る者がないようにし、息のあるものは皆聖絶した。イスラエルの神、主が命じられたとおりであった。ヨシュアはまた、カデシュ・バルネアからガザまで、及びゴシェンの全土をギブオンに至るまで打った。

 ヨシュアがただ一回の出撃でこれらの地域を占領し、全ての王を捕えることができたのは、イスラエルの神、主がイスラエルのために戦われたからである。それで、ヨシュアは全イスラエルを率いて、ギルガルの陣営に凱旋した。
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2月12日 【北部の征服@】 ヨシュア記11:1-6
 ハツォル(カナンの中心的な町、BC15世紀にはカナンの首都であった)の王ヤビンは、マドンとシムロンとアクシャフの王と、北部のいろいろな地域(南はイズレエル渓谷、北はガリラヤ高地の地域)にいる王たちと、同盟するために使いをやった。

 その呼びかけに呼応し、これらの王たちは皆、相集まり、イスラエルと戦うために、全陣営を率いて出て来た。彼らはメロム(高い所、高地の意)の水の辺りに、一つになって陣を敷いた。その人数は海辺の砂のように多く、馬や戦車も非常に多かった。馬や戦車は、当時、最も恐ろしい戦闘兵器であり、イスラエル軍は、馬も戦車も持っていなかった。ヨシュアの敵は、北部全域の全軍であった。

 主はヨシュアに、「恐れてはならない」と仰せられた。神ご自身が臨在される約束の言葉である。神がともにおられ、戦ってくださる。主は、明日の今頃、彼ら全てをイスラエルの手に渡し、絶滅してしまうと仰せられた。そして、たとい戦利品として馬や戦車を手に入れても、それらのものに頼ってはならず、それらのものを使えないようにしてしまうように命じられた。イスラエルは神に頼るべきであって、馬の力に頼ってはならないのである。
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2月19日 【北部の征服A】 ヨシュア記11:7-15
 ヨシュアは戦う民をみな率いて、メロムの水の辺りで、彼らを急襲し、彼らに襲いかかった。たとい神がともにいて戦ってくださるとしても、神のしもべは手をこまぬいてじっとしていてよいわけではない。 

 主が彼らをイスラエルの手に渡されたので、イスラエルは彼らを一人も生き残る者がないまでに打った。ヨシュアは、主が命じたとおりに彼らにして、彼らの馬の足の筋を切り、彼らの戦車を火で焼いた。戦車と騎兵に頼ることは、神以外のものを頼りにすることであった。主なる神は、イスラエルがそのような異教的(異邦人が誇っているような)兵器に頼らないで、主ご自身に頼るべきことを教えようとされた。神の励ましにより、ヨシュアは戦車を持った大軍に勝利した。強大な同盟軍がより貧弱な軍備に敗れた。

 ヨシュアは引き返して、これら全ての王国の首都であったハツォルを攻め取り、火で焼いた。ハツォルが破壊されたことは、神の意思への敵対に対する神の不快のしるしを示している。イスラエル軍は戦争に勝利すると、重要な町々を攻めて、破壊した。人々を剣の刃で打ち殺し、聖絶したことは、神に完全にささげたことであり、また、忌むべき異教文化からの決別を意味した。

 主がモーセに命じられたことで、ヨシュアが行なわなかったことは何一つなかった。全ての征服における迅速さと効果性を印象づけている。ヨシュアの勝利の秘訣は、神への服従であった。命令系統は、主−モーセ−ヨシュアと明確である。戦いの結論は、ヨシュアがモーセの言葉に忠実であったゆえに勝利し、また、戦後処理もモーセの言葉に忠実に従ったということである。戦争は全く宗教的事柄であり、御言葉に忠実に聞き従うかどうかという一点に絞られていた。
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2月26日 【北部の征服B】 ヨシュア記11:16-23
 ヨシュアの占領地は、北部の地方全域であった。ヨシュアは、これら全ての王たちと長い間戦った。一時的な勝利は易しいが、完全に敵を征服するためには、長い忍耐の期間を必要とする。カナンの王たちの心をかたくなにし、イスラエルを迎えて戦わせたのは、主から出たことであった。かつて神がエジプトの王の心をかたくなにしたのに似ている。カナンの破壊の理由は、イスラエルに対する神の意思への軍事的抵抗に至る反逆である。

 ヨシュアはアナク人(彼らは巨人であったため、イスラエル人から恐れられていた)を断ち、彼らをその町々とともに聖絶した。イスラエル人から見れば、神の聖戦への参加であり、アナク人から言えば、彼らの罪への神の裁きであった。

 こうしてヨシュアは、主が命じられた地を全て占領した。ヨシュアはこの地を、イスラエルの部族の割り当てに従って、相続地としてイスラエルに分け与えた。神から部族ごとに割り当てられた土地は、同属内の譲渡以外は認められなかった。その地に戦争は止んだ。その地は所有され続けるが、この時点から(一時的に)戦いはない。カナンの敵軍は打ち破られ、もはや敵対する者はいない。神がともにいてくださり、勝利を与えてくださった。今や、征服がなされ、アブラハムへの祝福の具体的表現が形成されようとしている。実際には、まだ征服できていない土地も多く、占領すべき地が沢山残っていた。しかし、神の側から見た時には、勝利はすでに保証されており、地は約束に従って分け与えられていた。戦いは宗教的行為であり、神の戦いに参加することであった。神の言葉に忠実に従って行きさえすれば、土地を手にすることができる。私たちはキリストにあって、永遠の平和と安息が約束されている。
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