エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2012年1月
1月1日 【神の奴隷となったギブオン人@】 ヨシュア記9:1-13
 カナンの地の王たち皆、相集まり、一つになってヨシュア及びイスラエルと戦おうとした。彼らはイスラエルが最初のアイ攻撃に失敗したというニュースを聞いて、自信を取り戻したように見える。アイにおけるイスラエルの敗北によって、イスラエルは無敵であるとの信仰は、アカンの罪をもって消えてしまった。一人の人の罪のゆえに、約束の地の占領は無期限に遅れ、その過程で多くの者の命が失われる。

 しかし、ギブオン(丘の意)の住民たちもまた計略をめぐらし、いかにも遠い国から来たかのような格好をして変装を企て、賢く立ちまわった。彼らはヨシュアの所に来て言った。「私たちは遠い国から参りました。ですから、今、私たちと盟約(友好条約、協定)を結んでください。」イスラエルは近隣の国々と契約を結んではならないという命令を、主から受けていた。遠国の民はイスラエルの民と協定を結ぶことができたが、カナン人はできなかった。ギブオン人は計略を用いて、イスラエルの傘下に入ろうとしたのである。

 イスラエルの人々は、そのヒビ人(ギブオンの住民)たちに言った。「神様は、この辺りの者たちを滅ぼせとお命じになっている。」すると、彼らはヨシュアにすがるようにして言った。「私どもを奴隷として使ってください。しもべどもはあなたの神、主の御名を慕ってはるかな遠い国から参りました。」神の民を神が救った行為が
、ギブオン人の信仰の基礎をなした。ラハブとギブオン人は、どちらも同じ信仰の告白をし、神が定めたカナン人の滅びから逃れた。
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1月8日 【神の奴隷となったギブオン人A】 ヨシュア記9:14-20
 イスラエルの民は、ギブオン人の食糧のいくらかを取ったが、主の指示を仰がなかった(主の御心を伺わなかった)。ヨシュアは彼らと和を講じ、彼らを生かしてやるとの盟約を結んだ。古代の条約締結には、度々贈り物の交換や食事が含まれるので、協定を結ぶために食糧を受け取ったとも考えられる。相手のパンを取って食べることは、和解と平和のしるしであった。主の指示を仰がなかった過ちが、明らかに述べられている。民の指導者たちは自分の判断を過信して、神に尋ねることをしなかった。アイでのように、イスラエル人は神の導きよりも自分たちの理解に頼った時、だまされることになった。イスラエル人は神の直接の指示を仰がず、軽々しく契約を結ぶという罪を犯してしまった。

 ギブオン人と盟約を結んでから三日たつと、彼らは近くに住んでいる人たちで、すべてがうそであることはがわかった。ギブオン人は正直に言って、降伏すればよかった。イスラエルの全会衆は、族長たちの軽率で不適当な決断を非難した。族長たちは、懸命に説明した。「私たちは彼らのことで、主である神様に誓ってしまった。そこで、それを変えることはできない。彼らを生かしておけば、誓いを守ることになるので、神様の裁きが下ることはない。」ここでの神の名の使われ方は、誓いの違反は最も恐るべき結果をもたらすことになるとして、約束への忠実さと契約を守る神を強調している。ヘブライ人の考え方や生き方において、語られた言葉は大きな力をもっていた。一度口にした約束は放たれた矢のようで、取り返しがつかない。ギブオン人の偽りが発覚しても、誓いは有効のままである。
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1月15日 【奴隷となったギブオン人B】 ヨシュア記9:21-27
 族長たちが全会衆に、「彼らを生かしておこう」と言ったので、彼らはイスラエルの民のために奴隷として、薪を割ったり、水を汲む働きをするようになった。薪を割る者、水を汲む者は、最も低い奴隷の身分を示している。イスラエルは偽ったギブオン人を信じて欺かれた。ヨシュアは、ギブオン人は呪われ、いつまでも奴隷として、神の家に仕えると言った。ギブオン人は祭司に仕えることになった。しかし、彼らが神の御前の礼拝共同体に加えられたことは、祝福であった。

 ギブオン人はイスラエルの神、主が命じられたことをはっきり知らされ、神の啓示に基づいて行動した。彼らは自分たちのことをヨシュアに、「あなたのしもべども」と言った。第一に、ギブオン人はイスラエルのあわれみの下にある。第二に、イスラエルはギブオン人に対して責任をもっている。

 こうして、その日から、彼らはイスラエルの民と主の祭壇のために、主が選ばれた場所で、薪を割ったり、水を汲んだりする働きをすることになった。ヨシュアの決断と指導性が、この事件の決着の鍵であった。ギブオン人は公式に、イスラエルの生活と礼拝に受け入れられた。捕囚後には、完全にイスラエル人のうちに編入されたようである。

 「あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。」ローマ6:16、22
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1月22日 【南ユダの征服@】 ヨシュア記10:1-11
 エルサレムの王アドニ・ツェデク(わが主は義であるの意)は、ヨシュアのエリコとアイでの勝利と、ギブオンの住民がイスラエルと和を講じて、彼らの中で働いていることを聞き、大いに恐れた。ギブオンが大きな町であって、王国の都の一つのようであり、アイよりも大きくて、そこの人々は皆勇士たちであったからである。王国をいただく都市程の大きな町は、王国の敵に対して安泰である本拠地を示している。

 エルサレムの王アドニ・ツェデクは、エモリ人の五人の王たちに使いをやって、ギブオンがイスラエルと和を講じたから、ギブオンを打つように呼びかけた。

 ギブオンの人々は、ギルガルの陣営のヨシュアの所に使いをやって言った。「あなたのしもべどもからあなたの手を引かないで(見捨てないで)、早く、私たちの所に上って来て私たちを救い、助けてください。」盟約は、ギブオンの住人を敵から守ること(軍事的同盟的保護)も含んでおり、攻守同盟の意味合いをもっていた。

 主はヨシュアに仰せられた。「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手に渡したからだ。彼らのうち、一人としてあなたの前に立ち向かうことのできる者はいない(あなたの行く手に立ちはだかる者は一人もいない、向かう所敵無しである)。」

 それで、ヨシュアは夜通しギルガルから上って行って、突然彼らを襲った(奇襲を掛けた、急襲した)。主が彼らをイスラエルの前でかき乱した(心理的混乱に陥れた、彼らの心を攪乱させた)ので、イスラエルはギブオンで彼らを激しく打ち殺した(敵に大打撃を与えた、敵に大勝利した)。イスラエルの前から逃げる彼らの上に、主は天から大きな石を降らしたので、彼らは死んだ。イスラエル人が剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者の方が多かった。
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1月29日 【南ユダの征服A】 ヨシュア記10:12-21
 主がエモリ人をイスラエル人の前に渡したその日、ヨシュアは主に語り、イスラエルの見ている前で言った。「日よ。ギブオンの上で動くな。月よ。アヤロンの谷で。」 ギブオンは戦場の初めであり、アヤロンの谷は戦場の中間地点である。「神よ、どうか時間を与えてください。敵を全滅させるため時間を与えてください。そのために太陽も月も停止させてください」と祈ったのであろう。戦場で敵を徹底的に打ち破るまで、十分な時間を与えてくださいという願いである。

 すると、イスラエルの民が敵を絶滅してしまうまで、太陽も月も運行を止めた。これは奇蹟であって、主が人の祈りに十二分に答えてくださった事実である。「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」エレミヤ33:3 「どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、 教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。」エペソ3:20-21

 軍の先頭に立っていた王たちは、ほら穴に隠れてしまった。ヨシュアは彼らを逃げられないようにし、敵を全滅させるために、掃討戦を繰り返した。ヨシュアの率いるイスラエルの人々は、敵に決定的な大打撃を与え、ついに全滅させた。イスラエルは神の約束を信じ、勝利を受けた。そこで民は皆無事に、マケダの陣営のヨシュアのもとに引き揚げたが、もはやイスラエルの人々を中傷する者はなく、その後イスラエル軍に攻撃を仕掛けてくる者はなかった。敵意をあえて表現するような者は、もはやいなくなったのである。
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