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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2011年11月 |
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| 11月6日 |
【エリコの征服B】 ヨシュア記6:22-27 |
ヨシュアは斥候になった二人の若者に、遊女ラハブと彼女に属する全ての者を連れ出すように命じた。彼らは行って、ラハブとその父、母、兄弟、親族、その他、彼女に属する全ての者を皆連れ出して、イスラエルの宿営の外に避難させた。エリコの全住民が聖絶される中で、ラハブたちは聖別され、イスラエルの神にささげられた。後に、ラハブたちは、民の一員として遇された。多分、信仰告白と割礼によって、イスラエルの民の中に住むことを許されたと思われる。ラハブは信仰の高い実践性ゆえに、イスラエルの一部となった。ラハブはカナン人との過去の関わりを捨て、イスラエルへの忠誠へと移った。価値の変換である。旧約聖書においても、神は、地上における最も卑しい者に対しても、救いと恵みをお与えになる神であることを啓示された。
イスラエルの民は、町とその中の全てのものを火で焼いた。ただ銀、金、および青銅の器、鉄の器は、主の宮の宝物倉に納めた。
ヨシュアは、その時、誓って言った。「この町エリコの再建を企てる者は、主の前にのろわれよ。その礎を据える者は長子を失い、その門を建てる者は末の子を失う。」エリコの再建とは、城壁のある要塞として建てることである。エリコの安息は乱されるべきではない。エリコの破壊は、イスラエルの神を礼拝するのを拒絶したことに対する民への裁きである。ヨシュアの言葉は、エリコへの神の裁きの完全性と、イスラエルの神の力を象徴する、主の言葉であった。
主がヨシュアとともにおられたので、そのうわさは地にあまねく広まった。イスラエル人とカナン人は、神により、大いなる勝利に導かれる成功した軍事指導者として、ヨシュアを見るようになった。エリコの陥落は、神の指示のもとでのヨシュアとイスラエルの勝利、神への信仰と従順の力の事例を表す。 |
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| 11月13日 |
【災をもたらす不信の罪@】 ヨシュア記7:1 |
エリコ攻略の大勝利の後、イスラエルの子らは、聖絶のもののことで不信の罪を犯し、ユダ(賛美の意)部族のゼラフ(日の出の意)の子ザブディ(主の賜物の意)の子であるカルミ(ぶどう園の園丁の意)の子アカン(災をもたらすの意)が、聖絶のもののいくらかを取った。そこで、主の怒りはイスラエル人に向かって燃え上がった。
不信の罪を犯すとは、神との関係において、信頼関係を裏切る(ひそかに行動する、反逆する)ことである。
アカンが聖絶のもの(滅ぼし尽くしてささげるべきこと)に対して、不誠実であり、一部を盗み取り、自分のものとしてしまったので、主の激しい怒りがイスラエルの民に下った。
イスラエルの民はエリコの町を滅ぼし尽くし、その町が神に属することを示さなければならなかった。滅ぼし尽くすことによって、戦利品と町を完全にささげたことになる。
アカンはこの聖戦の命令に背いた。一人の人間の不従順であったが、民全体に与えられた命令が守られなかったとされ、民全体としての連帯責任が問われた。
全イスラエルは一人の者の罪のゆえに、裁きを被った。アカンは全共同体に悪影響を及ぼした。聖なる神の民は、有機的統一体である。個人であっても民全体であっても、神の律法に従わないなら、神はともにおられない。
「もしひとりの違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりのイエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。こういうわけで、ちょうどひとりの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、ひとりの義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられるのです。」ローマ5:17-18 |
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| 11月20日 |
【災をもたらす不信の罪A】 ヨシュア記7:2-9 |
ヨシュアは、エリコから人々をベテル(神の家の意)の東、ベテ・アベン(悪の家の意)の近くにあるアイ(廃墟の意)に遣わし、偵察させた。
彼らは、ヨシュアのもとに帰って来て、アイは小さな町(一万二千人)で、取るに足りない相手だから、全員で行く必要はなく、せいぜい二、三千人行って攻撃すれば十分だといった。神の約束に触れることのない人間の判断であり、神を離れてなされた彼らの計画と、信仰の欠如である。神の明確な指示なしの決断や、ヨシュアの明確な指導の不在が、敗北の全ての要素である。初めの5節で、契約の箱が言及されなかったことは、神の支持のないことを実証し、続く被害を示唆している。神への伺いがないことは、続く敗北を導くことになる。
そこで、イスラエルの民のうち、約三千人が攻撃に加わったが、たちまち敗走した。アイの軍に、彼らの約三十六人が殺され、彼らは門からシェバリム(語源:砕く)まで追撃され、下り坂で打たれた。アイはエリコより千メートル高く、攻め上って来るイスラエル人を高い所から攻め落とした。散々に撃ち破られて、敗走に次ぐ敗走、敵の完全な勝利であった。民の心は挫け、意気消沈してしまった。敗北の知らせは、実際の損害以上の恐怖と絶望感を与えた。
ヨシュアは着物を裂き、イスラエルの長老たちと一緒に、主の箱の前で、夕方まで地にひれ伏し、自分たちの頭にちりをかぶった。頭にちりをかぶるとは、服喪に伴う深い悲しみと痛恨の表現である。彼らは絶望と悲嘆のどん底にあった。
ヨシュアは嘆きつつ、主に、「あなたは、あなたの大いなる御名のために何をなさろうとするのですか」と祈った。アイでのイスラエルの敗北は、隠されたアカンの罪への無知と、民がその問題のゆえに無力になることへの警告であった。 |
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| 11月27日 |
【災をもたらす不信の罪B】 ヨシュア記7:10-19 |
主はヨシュアに次のように仰せられた。「立ちなさい。どうしてひれ伏して意気消沈しているのか。イスラエルは罪を犯し、契約を破り、聖絶のものの中から取り、盗み、(とってはならないと命じておいた戦利品の一部を盗み、)偽って自分のものとしてしまったので、敵に立ち向かうことができず、敗れてしまった。聖絶のものを一掃して除き去るために、立ち上がって、民をきよめなさい。」
ただ伏して祈っているだけではいけないのであって、立ち上がって問題解決に向かい、決然たる態度をとるべきである。神はヨシュアに、敗北の原因が聖絶に関して罪を犯したものによることを明らかにされた。聖絶のものは、敗北と絶滅をもたらす。アカンの造反は、神の民が更なる敗北と死を被る前に、断固として明らかにされ、処理されねばならなかった。
主はくじで取り分け、犯人のいる部族を摘発なさることになった。それは、神の意図、神の導きによる。聖絶のものを持っている者が取り分けられたなら、その者は、所有物全部といっしょに、火で焼かれなければならない。彼が主の契約を破り、イスラエルの中で恥辱になることをした(愚かなことをした)からである。盗んだ人も、盗んだ物と同様に滅ぼし尽くすべき対象となる。火で焼いて、罪ある者を神にささげることによって、祭儀的なきよさを保つ。
ユダの部族がくじで取り分けられ、ゼラフ人の氏族が取られ、ザブディが取られ、ザブディの家族の男から、ザブディの子カルミの子のアカンが取られた。それぞれくじに当った集合に属する者は、その集合から違反者が出たと連帯性を意識することになった。
「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」Uコリント5:21 罪を告白し、イエス・キリストの十字架の死による罪の赦しに感謝しよう。 |
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