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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2011年8月 |
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| 8月7日 |
【ヨシュアの召命】 ヨシュア記1:1-9 |
主のしもべモーセが死んで後、主はモーセの従者ヨシュアに、イスラエルに与えようとしている地に行くように命じられた。聖書にはモーセもヨシュアも、「主のしもべ(主に忠実に仕えた)」と記されている。「主のしもべ」は栄誉ある言葉である。イエスは、イエスが命じることを行なう者は、イエスの友であると言われた。ヨシュアは、若い時からモーセの助手であった。彼は、神の導きなしには一歩も踏み出さなかった。
主は、イスラエルが足の裏で踏む所はことごとく、主がモーセに約束したとおり、イスラエルに与えている(完了形)と仰せられた。神の摂理においては、すでに領土の占領が完成している。しかし、神の約束の中では完全に成就した領土の征服も、実際には、神によって選ばれたしもべが一歩一歩踏んで行くことによって現実化する。神は土地を約束したが、民が自分たちでそれを獲得しなければならない。
主は、ヨシュアの一生の間、誰一人として彼の前に立ちはだかる者はなく(向かう所敵はなく)、モーセとともにおられたように、ヨシュアとともにおられると仰せられた。主の勝利と臨在の約束である。また、「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。」と仰せられた。神の約束への信仰と従順な活動に根を下ろした勇気である。「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」Uテモテ1:7
律法への従順により、繁栄し、栄えることができる。律法に従うことが、土地を得、そこに住むための条件であった。ヨシュアの服従の結果として、与えられる成功の約束である。神への信頼と信仰生活の一致が教えられている。「しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。」ローマ6:22 |
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| 8月14日 |
【ヨルダン川を渡る】 ヨシュア記1:10-18 |
ヨシュアは民のつかさたちに命じて、民にヨルダン川を渡って、主である神が与えてくださる約束の地を占領し、そこに住むために、糧食の準備をするように命じるように言った。荒野では四十年間マナをもって養われた民も、今や自分で食物を調達しなければならなかった。
ルベン人、ガド人、マナセの半部族へのヨシュアの言葉は、申命記3:18-20の言葉の繰り返しである。ルベン人、ガド人、マナセの半部族が定住する地域は、すでに主である神に与えられ、安住の地として獲得してあった。しかし、彼らはカナンへの攻撃の先頭に立つように命じられた。ルベン人とガド人はモーセに願い出て、ギルアデの地を相続地としてすでに与えられていた。しかし、カナンの地は民イスラエルが一丸となって戦い取らなければならず、この二部族半は最前線に立って、他の部族の戦闘を助けるべきことが定められていた。この戦いは主の戦いであって、十二部族全てが参加する必要があった。
ルベン人、ガド人、マナセの半部族はヨシュアに、ヨシュアの命令は絶対であり、聞き従わない者があれば殺されなければならず、ただ強く雄々しくあるようにと言った。神の民の一致と、選ばれた指導者への支持の重要さを示している。「もし人が、あなたの神、主に仕えてそこに立つ祭司やさばきつかさに聞き従わず、不遜なふるまいをするなら、その者は死ななければならない。」申命記17:12
安息の地は、戦いにおける勝利に常に続くものである。聖戦による勝利の彼方に、神は安住の地を与え、安息を与えようとしている。 |
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| 8月21日 |
【二人の斥候とラハブ@】 ヨシュア記2:1-13 |
ヨシュアはシティムから二人の斥候をエリコに遣わした。二人は行って、遊女ラハブの家(娼婦の宿というより、訪問者が利用できる宿屋)に入り、泊まった。
ところが、イスラエル人たちが探りに来たことを通報する者があって、エリコの王はラハブの所に人をやって、二人の引き渡しを要求した。
けれども、ラハブは二人をかくまい、二人は暗くなって出て行ったので、急いで追いかけるように官憲に言った。官憲は二人の後を追って、ヨルダン川の道の渡し場に向かい、官憲が出て行くと、エリコの門はすぐ閉じられた。
ラハブは二人を屋上の亜麻の茎の間に隠していた。二人がまだ寝ないうちに(一息つく間もなく)、ラハブは屋上に上って来て、イスラエルと信仰をともにする告白をした。それは、主がエリコをイスラエルに与えておられること、エリコの住民は皆、イスラエルのことで震えおののいていること、イスラエルが出エジプトした時、主が葦の海の水をからされたこと、イスラエルがヨルダン川の向こう側にいたエモリ人の二人の王シホンとオグを聖絶したこと、イスラエルの神、主は、上は天、下は地において神であられるという、創造主なる唯一神についての告白であった。
そして、ラハブは二人に、彼女が彼らに真実(ヘブル語ヘセド:本来、神と人との契約的誠実、愛)を尽くしたように、彼らもまた彼女の父の家に真実を尽くすように求め、彼女の父、母、兄弟、姉妹、また、全て彼らに属する者を生かし、彼女の一家のいのちを死から救い出すように懇願した。ラハブとその家族は、ここでカナン人であることをやめ、イスラエル一族の一部となった。家族の救いに一女性が用いられたのである。「サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが生まれ、オベデにエッサイが生まれ、エッサイにダビデ王が生まれた。」マタイ1:5-6 |
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| 8月28日 |
【二人の斥候とラハブA】 ヨシュア記2:14-24 |
イスラエルの二人の斥候は、ラハブのイスラエルと信仰をともにする告白と、彼女の一家を救い出すようにという懇願に対して、主がイスラエルにエリコを与えてくださる時、真実と誠実を尽くすと応えた。
そこで、ラハブは綱で彼らを窓からつり降ろした。彼女の家は城壁の中に建て込まれていて、彼女はその城壁の中に住んでいたからである。ラハブの助けなしには、二人の斥候はエリコを離れ、結果としてヨシュアのもとに安全に戻ることはできなかった。
二人の斥候は、ラハブが彼らのことをしゃべらないように、また、イスラエルがエリコに入って来たなら、彼らをつり降ろした窓に赤いひもを結びつけ、彼女の父と母、兄弟、父の家族を全部、彼女の家に集めておくように、彼女に言った。過越の子羊の血のように、赤いひもが結ばれたラハブの家が、死の災いから守られるためである。
ラハブは、「おことばどおりにいたしましょう」と言い、窓に赤いひもを結んだ。ラハブは信仰と行ないによって救われた。「信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な人たちといっしょに滅びることを免れました。」ヘブル11:31 「人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。同様に、遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したため、その行いによって義と認められたではありませんか。」ヤコブ2:24-25
二人の斥候は、ラハブの助言により、ヨルダン川とは反対の山地の方に三日間、身を隠してから帰途につき、ヨシュアにその身に起こったことをことごとく話した。彼らは、「主は、あの地をことごとく私たちの手に渡されました。そればかりか、あの地の住民はみな、私たちのことで震えおののいています」と、自分たちの確信を述べ、神の命令に従う意思を表した。二人の斥候の信仰告白は、ラハブの信仰告白の引用であって、ラハブへの完全な信頼を表していた。 |
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