エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2011年4月
4月3日 【聖なる注ぎの油】 出エジプト記30:22-33
 最上の香料(液体の没薬、香りの強い肉桂、におい菖蒲、桂枝)をオリーブ油に混ぜ合わせ、聖なる注ぎの油を作る。香料は御霊の賜物と実、聖霊の明白な活動を表す。オリーブ油は潤滑油として、他の成分の香りと美しさを放つ。聖霊は天の薬剤師である。

 没薬は苦い植物でありながら、傷つけると甘いものが出て来る。殺菌力があり、死体の分泌物の中和、防腐剤、防臭、痛み止めの薬、他の薬の緩和と浄化に用いられる。へりくだりと柔和、喜びを表す。

 肉桂は常緑樹であり、味付けや強壮剤に用いられる。直立な、真っ直ぐの、に由来し、建てることを意味する。善意を表す。

 におい菖蒲は打たれれば打たれる程、甘い茎から甘い芳香を放つ。真っ直ぐ立つ、杖、葦を意味する。親切を表す。

 桂枝は味付けや、薬、消毒に用いられる。首、頭を垂れるに由来し、割ることを意味する。服従と明け渡しを表す。

 聖なる注ぎの油は、新約時代における聖霊による聖別を表す。聖霊の注ぎの大切さと、聖霊によって強められるべき教会、聖霊の御業を教える。

 「これと同じものをほかの用途のために作ったり、祭司以外の人に注いだりする者は、神の民の中から追放される。」礼拝の方法は唯一であり、神の方法である。香油も香も、主を礼拝するためにのみ用いるべきであり、それ以外の用に用いてはならない。また、まがい物を用いてもいけない。主のためにという原理がはっきりと教えられている。自分自身のためにではなく、主なる神のためだけに用いられる。
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4月10日 【キリストにあって生きる】 使徒の働き7:46-60
 この箇所は、議会に呼び出されたステパノの大伝道説教の締めくくりと、それに対する議会と議会に扇動された民衆の、ステパノへのリンチ殺人の出来事が記されている。ステパノのメッセージが伝えるのは、以下のことである。
@ 『神の国とその義を第一とした信仰生活を送りなさい』
 アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、ダビデ等、イスラエルの先祖たちは祝福された。それは、『神の国とその義を第一とした信仰生活』を送ったからである。試練がやって来た時、彼らはいつも主とともにあった。それ故、その時ごとに神は救いの手を差し伸べてくださった。このような信仰生活を送れば、あなたがたも祝福される。
 ところが彼らの子孫であるあなたがたは、律法を正しく守らない。神殿においては、形式的礼拝を第一とした。神に背いた自分勝手な道を歩んでいるのである。これでは、アブラハムの子孫と言えない。
A 『復活のイエスを自分の救い主として信じなさい』
 旧約聖書が語るメシアとはイエス・キリストであり、この方こそ、神による人類の救い、歴史の中心におられる方である。そして、律法と神殿というユダヤ人の宗教的伝統を廃棄すると同時に、律法と神殿を完成した方である。この方を信じる者こそ、真のアブラハムの子孫である。この方を信じなさい。
 人々はこれに対し憎悪し、ステパノを石投げのリンチで殺してしまった。ステパノは天に上げられる前、主に祈った。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」ここに、クリスチャンの愛と赦しととりなしの祈りがある。
 今、私たちは復活のイエスを神と信じ、神の国とその義を第一とする祝福された信仰生活を全うし、人々の救いのために、大胆に福音宣教の道を歩んで行こうではないか。
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4月17日 【聖なる純粋な香油】 出エジプト記30:34-38
 ナタフ香、シェヘレテ香、ヘルベナ香、純粋な乳香を、各々同じ量取り、調合法に従って、香ばしい聖なる純粋な香油を作る。聖なる純粋な香油は、キリストの完全さを表す。

 ナタフ香は、成長している木から自然に流れ出たものであり、自発的礼拝を表す。シェヘレテ香は、貝殻を焼いて用いられ、心の底からの誠実を表す。ヘルベナ香は、砕かれた葉からできる、或いは木の中央に深い切り込みを入れて摂取する、或いは根から採集され、支える土台を表す。乳香は、刺し通された木から取られ、信仰と理解を表す。

 各々同じ量でなければならないことは、聖霊の働きは同等に与えられ、全てが重要であることを表す。

 その幾分かを細かに砕き、その一部を主がモーセと会われる会見の天幕の中のあかしの箱の前に供える。これは、イスラエルにとって最も聖なるものでなければならない。至聖所の香である。

 これと同じものを、他の用途のために作ってはならない。それは、神のためにのみ使うものである。これと同じものを、他の用途のために作ったり、使ったりする者は、神の民から追放される。信仰生活は自分自身のためではなく、主のために聖なるものなのである。「イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。」マルコ8:34-35

 心が主イエス・キリストへの愛で満たされているなら、あらゆる不道徳と教理上の誤りに対して安全である。「主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ、来てください。」Tコリント16:22
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4月24日 【ベツァルエルとオホリアブ】 出エジプト記31:1-11
 主は、ユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルを名ざして召し、神の霊を満たし、知恵と英知と知識と技能を与えられた。幕屋建設のあらゆる仕事をするためである。ベツァルエルは、「神の陰(保護)の下に」という意味である。神の霊は、人に特別の才能や能力を与える神の臨在である。神のための働きには、神の霊に満たされていることが必要で、神の霊によって、優れた働きができるようになる。

 また主は、ダン部族のアヒサマクの子オホリアブを、ベツァルエルのもとに助手、補佐として任命した。オホリアブは、「わたしの天幕は父(神)である」という意味である。主は、全て心に知恵のある者に特別な才能と技能を授けられた。彼らは、主が命じたものをことごとく作る。エジプトの奴隷生活の間に身につけた知識が、このような形で生かされることに、神の深い配剤を思わされる。

 聖所の利益のために仕える人は、非凡な技術と才能と同時に、真に神に仕える謙遜な人でなければならない。神による召し、天から与えられる資格付与、任命がなければならない。神の御住まいである教会を益するためにささげ、教会の益になることを行なうのである。 「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」エペソ4:16
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