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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2011年3月 |
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| 3月6日 |
【祭司の任職@】 出エジプト記29:1-14 |
アロンとその子らを祭司として主に仕えるように聖別するため、若い雄牛一頭と傷のない雄羊二頭、最良の小麦粉で作ったものをささげる。彼らを会見の天幕(臨在の幕屋)の入口に近づかせ、水で洗わなければならない。祭司が誤って汚れたものに触ったままささげ物をすると、ささげ物が汚れるからである。彼らは祭司の服を着る前に、洗盤(神の言葉)の水(聖霊)できよめなければならない。水で洗う儀式は、神の言葉の働きを表現している。イエス・キリストは務めを始める前に、ヨルダン川で洗われ、御霊のバプテスマをお受けになった。アロンの頭に注ぎの油を注ぐ。いけにえの血が流される前に、アロンが油注がれたことは、彼がキリスト(油注がれた者)の型だからである。
モーセはアロンとその子らを祭司職に任命する。雄牛を会見の天幕の前に近づけ、アロンとその子らはその雄牛の頭に手を置く。手を置くことによって、裁きを移行するのである。モーセは会見の天幕の入口で、主の前に雄牛をほふり(罪の結果は死であることを示している)、その血(いのちの象徴)を取り、指で祭壇の角につける。その血は皆、祭壇の土台に注がなければならない。雄牛の最上の部分は、祭壇の上で焼いて煙にする。ただし、その雄牛の肉と皮と汚物とは、宿営の外で火で焼かなければならない。これは罪のためのいけにえである。「動物の血は、罪のための供え物として、大祭司によって聖所の中まで持って行かれますが、からだは宿営の外で焼かれるからです。ですから、イエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。」へブル13:11-13 |
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| 3月13日 |
【祭司の任職A】 出エジプト記29:15-46 |
一頭の雄羊を全部祭壇の上で焼いて煙にする。これは、全焼のいけにえであり、なだめの香りのであり、主への火によるささげ物である。供え物が聖別されて神の御前に昇り、供え物を神が受け入れ、ご自分のものとしてくださる。幕屋では一日たりとも、全焼のいけにえなしに過ごすことは許されない。神への公的礼拝の非常に重要な部分を占める。神との正しい関係の維持、日ごとの献身を象徴する。
もう一頭の任職の雄羊をほふり、その血を取って、アロンとその子らの右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指につけ、その血を祭壇の回りに注ぎかける。耳は聞くこと(主の御言葉に常に聞き従うため)、手は奉仕(常に主の御業を行なうため)、足は歩み(主のご用をなし続けるため)を表す。幕屋における主のご用のために、祭司の全身が血によってきよめられ、聖別されることを示す。キリスト・イエスの血によって、きよめられ、聖別され、神に仕え、神の道を歩む者とされる。まずキリストの血潮、それから聖霊の油注ぎである。まず罪からの救い、それから聖霊のバプテスマが続く。
穀物の奉納物と、任職の雄羊の胸の奉納物を揺り動かす。それは十字架の形を描いており、主への賛美を表す。主への和解のいけにえの奉納物から、祭司職のアロンとその子らは食事をする。主との特別に親しい交わりの関係に入れられ、主の祭壇で養われるようになったことを示す。
祭壇の上に、毎日絶やすことのない全焼のいけにえ(常供の供え物)をささげる。朝夕ささげる雄羊には、上質のオリーブ油と最良の小麦粉とぶどう酒が添えられる。その所で主はイスラエル人に会い、モーセと語り、そこは主の栄光によって聖とされる。会見の天幕と祭壇と祭司の聖別と任職によって、神が民と会う道が広く開かれる。主はイスラエル人の間に住み、彼らの神となる。 |
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| 3月20日 |
【金の香壇】 出エジプト記30:1-10 |
香をたくための壇をアカシア材で作り、純金をかぶせる。香は祈りと賛美を象徴する。金の香壇は大祭司キリストのとりなしの尊さを象徴する。第一の青銅の祭壇はキリストの十字架の御業を示し、第二の金の祭壇はキリストの現在の務めを思い出させる。私たちが祈る前には、罪を悔い改め、信仰をもって祈らなければならない。
香壇には金の飾り縁を作る。飾り縁は権威と王権を完了した御業、冠と力を象徴する。贖いの御業を完了した王なるイエスを表す。また、飾り縁は火の灰が落ちないようにする。
飾り縁の下に二つの金環を作る。金環は神の愛と神聖な神の御心を象徴し、香壇をかつぐ棒を通す所となる。二本のかつぐ棒はイエス・キリストの死と復活を表す。福音を運ぶのである。
アロンは毎朝夕ともし火を整える時、香壇の上で香りの高い香をたき、煙を立ち上らせなければならない。毎朝夕ささげるささげ物を、常供のささげ物と言う。香は恵みの御座に立ち上る聖徒の祈りを表す。
異なった(祭壇からの火ではない、定められた以外の方法でたく、認められていない)香やささげ物をささげてはならない。
アロンは年に一度、贖罪のための、罪のためのいけにえの血によって、祭壇の角の上で贖いをする。これは、主に対して最も聖なるものである。 |
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| 3月27日 |
【青銅の洗盤】 出エジプト記30:11-21 |
イスラエル人の登録のため、各人は自分自身の贖い金を主に納めなければならない。これは、災いが起こらないためである。贖い金は、イエスの尊い血潮を表す。主に贖い金の奉納物を納める時、富んだ者も貧しい者も半シェケルを払わなければならない。贖い金においては、全員が同一の立場に立っている。贖いの土台は、全ての者にとって同じである。神の目に、全ての人の価値は平等である。
イスラエル人から贖いの銀を受け取ったなら、会見の天幕の用に当てる。これは、主の前で、イスラエル人の贖いのための記念となる。贖い金の納入は、主とイスラエルを結ぶ大切な働きをした。用途は、幕屋維持のためである。
会見の天幕の入口で務めをした女たちの鏡で、青銅の洗盤と台を作った。それを会見の天幕と祭壇の間に置き、その中に水を入れる。鏡は霊的な判別のために、外見的な判別をやめたことを表す。御言葉を一心に見つめて離れず、事を実行する人は祝福される。洗盤は神の言葉、台はキリスト、水は聖霊を表す。洗盤には寸法がなかった。測り知れない神の賜物を表す。天国にはガラスの海がある。
アロンとその子らは、洗盤の脇で手と足を洗う。儀式的な体のきよめと、魂の内的きよめを表す。手と足は、行動と歩み、奉仕と務めを表す。御言葉と聖霊には、きよめる力がある。救われた後も、日々御言葉と聖霊を浴び、継続的に洗う必要がある。「キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。」エペソ5:26-27 |
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