エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2010年8月
8月1日 【主の栄光の御業B】 出エジプト記14:15-20
 主は、モーセに杖を上げ、手を海の上に差し伸ばし、海を分けて、イスラエル人が海の真ん中のかわいた地を進み行くようにせよと命じられた。恐れずに、主に信頼して前進するなら、主は確実に道を開いてくださる。信仰によって、贖われた者たちが歩む道は、聖なる道であり、喜び歌いながら入るシオンへの大路である。主は命令するとともに、同じ源から、恵みによって、服従する力も与えてくださる。

 主は、エジプト人の心をかなくなにし、彼らがイスラエル人の後を追って来ると、パロとその全軍勢、戦車と騎兵を破って全滅させ、主の栄光(主の輝かしい臨在と尊厳)を現し、エジプトが主の偉大さを知るようにされる。

 イスラエルの陣営の前を進んでいた神の臨在を表す雲の柱は、移って、彼らの後を進んだ。エジプト軍の攻撃からイスラエルを守るためである。こうして、エジプト軍の方には真っ暗な雲があり、イスラエル人のほうには一晩中光があった。そのため、エジプト軍は思うようにイスラエル人に近づくことができなかった。主が夜の間イスラエルを特別な方法で守られた。神がイスラエルと敵の間に立たれ、ご介入されたのである。このことは、イエス・キリストの十字架と再臨に似ている。それは、信者には平安の土台と御国の到来であるが、罪の世にとっては裁きの宣言なのである。「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。やみがあなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。」ヨハネ12:35
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8月8日 【主の栄光の御業C】 出エジプト記14:21〜15:6
 モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。そこで、イスラエル人は海の真ん中のかわいた地を、進んで行った。水は彼らのために右と左で壁となった。

 朝の見張りの頃(午前2時〜6時頃)、主はエジプトの陣営をかき乱され、戦車の車輪を外して進むのを困難にされた。

 この時、主はモーセに手を海の上に差し伸べ、水がエジプト人と、その戦車、その騎兵の上に返るようにせよと仰せられたので、そのようにすると、夜明け前に、海がもとの状態に戻り、エジプト人は海の真ん中で全滅した。エジプト軍は、全員水の中に埋められてしまった。彼らの中で生き残った者は、一人もいなかった。信仰による神の道は、肉が決して歩めない道なのである。主がイスラエルのために戦われ、イスラエルをとこしえまでも守られる。

 イスラエルは、エジプトの奴隷状態から救い出された。雲と海は、キリストの十字架と墓である。雲は敵からの守り、海はエジプトからの分離である。私たちは天において、復活されたキリストと一体にされている。キリスト者のバプテスマは、古き人に死に、新しきいのちに生まれ変わることを象徴している。

 イスラエルはこの大いなる御力を見たので、主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じた。そこで、モーセとイスラエル人は、主に向かって歌った。主は輝かしくも勝利を収められた(彼は自らを非常に高められた)。主は戦士。主の右の手は力に輝くと。
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8月15日 【シオンへの旅路】 出エジプト記15:7-21
 主は大いなる威力(高まり)によって、主に立ち向かう者どもを打ち破られる。主の鼻の息(霊、風、憤り)で、水は積み上げられ、流れはせきのように、まっすぐ立ち、大いなる水は海の真ん中で固まった。主は聖であって力強く、たたえられつつ恐れられ、奇しいわざを行なわれる。

 主は贖われたイスラエルの民を、恵み(契約に基づく愛)をもって導き、御力をもって、聖なる御住まい(牧場)に伴われた。主は買い取られた(創造された、生まれた)民を連れて行き、主が所有されるシオンの山に植えられる。そこは、御住まいのために主がお造りになった場所、主の御手が堅く建てた聖所である。主はとこしえまでも統べ治められる。贖われた主の民は、聖所を中心とした礼拝生活をするようになる。後の時代に、シオンの山にダビデの幕屋とソロモンの神殿が建てられた。

 アロンの姉、女預言者ミリヤムはタンバリン(小太鼓)を手に取り、女たちもみなタンバリンを持って、踊りながら彼女について出て来た。ミリヤム(望まれた子供、愛される者の意と言われる)は人々に応えて歌った。「主に向かって歌え。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれた。」
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8月22日 【シオンへの旅路】 出エジプト記15:7-21
 モーセはイスラエルを葦の海から旅立たせた。彼らはシュルの荒野へ出て行き、三日間、荒野を歩いたが、水が見つからなかった。彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラ(苦い、苦しみ)と呼ばれた。民はモーセにつぶやいた。賛美の声は、三日で不満のつぶやきに変わった。つぶやきは、神に対する不信である。

 神の民は、情況をつぶやくのではなく、新たに主に近寄る機会とするべきである。「あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行いを、良い生き方によって示しなさい。」ヤコブ3:13 主はシオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせてくださり、彼らは義の樫の木、栄光を現す主の植木と呼ばれる。「あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました。」詩篇30:11

 モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。「一本の木」は、十字架の一つの型である。苦しみの苦き杯を飲み乾されたキリストの十字架によって、私たちの罪は取り除かれる。患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す。この希望は失望に終わることがない。なぜなら、聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからである。それゆえ、患難さえも喜ぼう。

 主は仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行い、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。」

 こうして、彼らはエリム(大きな木々の意)に着いた。そこには、十二(イスラエルの数、神の統治)の水の泉と、七十本(世界の国の数、増加に先立つ数)のなつめやしの木(威厳、正しい者の繁栄)があった。そこで、彼らはその水のほとりに宿営した。豊かなオアシスは、神の恵みによって、一時的に備えられた霊的助けであった。
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8月29日 【天から降るパンによって@】 出エジプト記16:1-12
 イスラエル人の全会衆は、エリムから旅立ち、エジプトの地を出て一ヶ月後に、エリムとシナイとの間にあるシンの荒野に入った。その時、イスラエル人の全会衆は、肉とパンについて、モーセとアロンにつぶやいた。生活の肉体的必要、日ごとの糧のためであった。

 主は、パンが天から降るようにされた。天からのパンで満足し、喜ぶためには、心がエジプトの影響から引き離される必要があった。主なる神だけが、彼らの分け前であった。真の信者は、常に神の言葉だけを食す。

 天からのパンは、毎朝一日分、六日目は二日分集め、七日目は安息日なので、労働が禁じられた。主は、イスラエルの民が主に従う意志があるかどうかを試そうとされた。御言葉をことごとく守ることが、イスラエルの民へのテストであった。夕方には、主がエジプトの地からイスラエルの民を連れ出されたことを知り、朝には、主の栄光を見る(主の偉大なことを知る)。夕方には肉(うずら)が、朝には天からのパン(マナ)が、奇跡的に供給されるからである。

 モーセとアロンに対するつぶやきは、主に対するつぶやきであった。モーセとアロンは、神の御心を伝達し、執行する者たちであったからである。主の御前である雲の柱の中に、主の栄光が現れた。イスラエルの民に、主への健全な恐れを抱かせるためであった。主は、日ごとの糧を神と結び結びつけられた。「イエスは彼らに言われた。『わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。」ヨハネ4:34
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