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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2010年3月 |
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| 3月7日 |
【わたしの民を行かせよA】 出エジプト記5:10-6:1 |
イスラエル人の奴隷たちは、今やより過酷な労働へと追いやられた。悪魔は、自分の手中にあった者を誰も放したくないのである。イスラエルの人夫頭たちは、打ちたたかれ、過酷な労働を強いられた。そこで、彼らは自分の生命をかけ、決死の努力をして、パロに直訴し、「あなたの民は罪を犯しています」と叫んで言った。結果は、パロを怒らせただけ、事態は悪化した。人夫頭たちは、自分たちが苦境に立たされたことを悟った。
彼らはパロのところから出て来た時、迎えに来ているモーセとアロンに出会った。彼らは二人に言った。「主があなたがたを見て、さばかれますように。あなたがたはパロやその家臣たちに私たちを憎ませ、私たちを殺すために彼らの手に剣を渡したのです。」怒りが爆発し、不平をもらしたのである。しかし、このことなしに、彼らの救いはなかった。根本的な原因を解決しない限り、本当の救いも幸福もない。それは、明け方直前の一番暗闇の時であった。同胞たちに誤解され、うらまれても、正しいことをする人は幸いである。
それでモーセは主のもとに戻り、祈りの中で主に訴えた。主に訴えることは、解決への道である。モーセの偉大さは、その憤まんを人にではなく、神に申し上げているところにある。これが献身したモーセの生涯を通して見られる態度である。このような時こそ、神の召命を十分に確信する必要がある。
主はモーセに仰せられた。「あなたは、わたしがエジプトの王に何をしようとしているのか、今に分る時が来る。わたしの強い手によって、彼はついに彼らを去らせる。わたしの強い手によって、彼はついに彼らを国から追い出すようになる。」神の約束が必ず成就することの再確認であった。
このような圧制が続くことは、後にかえって神の大きな力を見るゆえんである。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜ぶのです。あなたがたは悲しむが、しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。」ヨハネ16:20、22 |
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| 3月14日 |
【モーセの召命の確認】 出エジプト記6:2-7:7 |
神は、モーセに主(契約の神、ご自分の民を救出される方)という名で、ご自身を現された。主は、エジプトの奴隷とされているイスラエル人の嘆きを聞かれ、ご自身の契約を覚え続けておられた。
神はモーセに告げて仰せられた。「わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトの苦役の下から連れ出し、労役から救い出す。伸ばした腕と大いなるさばきとによってあなたがたを贖う。わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓ったその地に、あなたがたを連れて行き、それをあなたがたの所有として与える。」モーセはこのようにイスラエル人に話したが、彼らは落胆(意欲を失って、霊の短さゆえに)と激しい労役のため、モーセに聞こうとはしなかった。イスラエルの民は、目先のことしか見えなかったのである。
主はモーセとアロンに、イスラエル人とエジプトの王にもう一度言うべきことを命じられた。状況が困難でも、主に従って、語り続けなければならないことを教えられる。
モーセとアロンは、レビの家系に属していた。レビの子孫は、後にイスラエルの祭司の家系に定められた。
主はモーセに仰せられた。「わたしはあなたをパロに対して神(真の神の権威と力を現す者、裁き人)とし、あなたの兄アロンはあなたの預言者(代弁者)となる。あなたはわたしの命じることを、ことごとく告げなければならない。」モーセは、主の預言者であった。預言者は、神の言葉を伝える。人間に対する神の代弁者である。
パロの心のかたくなさのために、主のしるし(神の臨在が近づいた兆候を示す)と不思議が、エジプトの地で多く行われることになった。数々の災いがエジプトに及び、イスラエルの神の力が示された。主が手をエジプトの上に伸ばし、イスラエル人を彼らの真ん中から連れ出された時、エジプトはイスラエルの神が主であることを知るようになった。
モーセとアロンは、主が彼らに命じられたとおりにした。彼らがパロに語った時、モーセは80才、アロンは83才であった。それは神の召命に従っている姿以外の何ものでもない。 |
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| 3月21日 |
【出エジプトの大業@】 出エジプト記7:8-12 |
出エジプトの大業は、それ自体大業だったが、それがなされるまでの困難の大きさという点からも、大業だった。十の災害は、パロの心のかたくなさが、彼の国と彼の民にもたらした恐るべき刑罰であり、神の連続した鞭打であった。災害の目的は、@イスラエルをエジプトの縄目から解放する、A主の優位を示し、主のみが神であることを示す、Bエジプトの神々に対して裁きを示す(古代エジプトには、二千以上の神々があった)ことだった。高慢なエジプトの王は、いと高き神の絶対意思とご計画を妨害しようと決心した。そして、当然の結果として、彼は知的盲目と心のかたくなさに引き渡されてしまった。しかし、神の御力は、恵みの流れる管を掃除される。黙示録の時も、そのようになる。悪魔と獣と偽預言者は、火と硫黄との池に投げ込まれる。
モーセとアロンは、パロのところに行き、奇跡を行なって、神から遣わされた証拠を見せた。アロンが杖を投げると蛇になったが、エジプトの呪法師たち(ヤンネとヤンブレ)も同じことをした。ヤンネとヤンブレの精神は、真理に逆らうサタンの抵抗(手先)の独特の性格であった。神の真理の現実的働きを真似し、同じことをやることによって、その働きが良心に与える力を減らそうとした。偽者を作り出して真理を堕落させる、偽りの人間主義である。彼らは見えるところは敬虔であっても、その実(敬虔の実、自己否定)を否定する者である。けれども私たちは、聖書を学んで確信したところにとどまり、救いを受け、全ての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者(神の働き人)になることができる。
ヤンネとヤンブレの特徴は、サタンの力(蛇)と死(血)と汚れ(かえる)であった。しかし、その力には限界があった。アロンの杖が呪法師たちの杖を飲み込み、イスラエルの神の偉大さが明らかになった。主の力は、エジプトの力を上回るのである。「子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。」Tヨハネ4:4 |
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| 3月28日 |
【出エジプトの大業A】 出エジプト記7:13-25 |
蛇になったアロンの杖が、エジプトの呪法師たちの杖を飲む奇跡を見ても、パロの心はかたくなになり、モーセとアロンの言うことを聞き入れなかった。パロの心は強情(鉛のように重く、てこでも動かぬ)で、イスラエルの民を礼拝に行かせることを拒んだ。黙示録の時代にも、災害によって殺されずに残った人々が、悪霊どもや偶像を拝み続け、罪を悔い改めなかったと書いてある。
主はモーセに、朝、ナイルの水のところに出て来る(宗教儀式のためかもしれない)パロのところへ行き、「あなたは、次のことによって、わたしが主であることを知るようになる。」と言うように命じられた。奇跡は、かたくななパロに主の力を現すためにあった。主の裁きの目的は、イスラエルの神が主であることをパロが知るためだった。
神の超自然的働きによって、十の災害がエジプトにもたらされた。第一の災害は、ナイル川の水を血に変える災害であった。水を飲めなくする災害である。エジプトの神々を礼拝するパロに対して、主はパロとエジプトに対する裁きと報復を宣言された。エジプトの神であり、いのちを象徴するナイル川が打たれた。それは、エジプトの神に対する審判であった。
アロンが杖(主の権威のしるし)を取り、手をエジプトの水の上に差し伸ばすと、水は血のように赤くなった。「神が手を伸ばす」という表現は、神の力と守り(人々を救おうとする神の意図)を象徴する。エジプトの殆どの水源であるナイルの水は、ことごとく血に変わり、災害の範囲は非常に大きかった。呪法師たちも同じことをしたので(全エジプトに及ぶような大奇跡ではなかった)、パロの心はかたくなになり、モーセとアロンの言うことを聞こうとはしなかった。パロは引き返して王宮に入り、これに心を留めなかった。全エジプトは飲み水を求めて、ナイルの辺りを掘った。主がナイルを打たれてから七日が満ちた。 |
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