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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2009年12月 |
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| 12月6日 |
【出エジプト記】 |
モーセ五書の第二書。この書の主題は「贖い」である。
イスラエルの民がエジプトを脱出し、約束の地カナンに向かう歴史。イスラエルの民はおびただしく増え、すこぶる強くなり、国家になろうとしていた。単なる奴隷からの解放物語ではなく、神と契約を結んでいた民を、神がその使命に呼び戻す約束の地への召命物語だといえる。
エジプトにいたイスラエルは、ヨセフが国務長官であった時の王朝が倒れ、別の王朝になると、今度は外国人の悲哀をなめなければならなかった。彼らはエジプトに仕える奴隷として働かざるをえなかった。その苦しみをご覧になった神は、一人の人モーセを選んで、イスラエル人をエジプトから救出された。すでに200万人以上になっていたと思われるイスラエル人を、40年もかけて荒野の旅を導いたことは、実に驚異なことであった。繰り返し繰り返しつぶやくイスラエルの民を、信仰によって導いたモーセの偉大な働きをここに見ることができる。
モーセの生涯と活動は、どのようにして多くの者が、一人の人によって救われるのかを教える。イエス・キリストによって、悪魔の縄目から贖い出され、ゴルゴタの十字架において、永遠の契約が新たにされたことのひな型である。それは、悪魔の手から、神の国への「贖い」を表わす。
1章〜19章:イスラエルの民が子羊の血によって贖われ、 エジプトを脱出してシナイ山に至るまでの歩み
20章〜24章:出エジプト後50日目に(伝承)、シナイ山で授与された十戒と律法
25章〜40章:礼拝のための規定〜幕屋と祭司制度
後半は、シナイにおける神と民との契約締結とその内容である。契約という観念は、聖書信仰の根本的な位置を占めている。
律法は、後に来る素晴らしい実物の影である。主イエス・キリストこそが、過越の小羊、律法の完成者、真の幕屋(神殿)、真の大祭司、真のいけにえなのである。 |
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| 12月13日 |
【神の御手の働き@】 出エジプト記1:1-14 |
1章には、神によるイスラエルの民の救済と契約の序文が書かれている。
カナンからエジプトに来た、ヤコブから生まれた者の総数は、七十人であった。七十は、子孫に恵まれていることを示す完全数であり、預言の成就を表わす。そして、ヨセフもその兄弟たちも、またその時代の人々も皆死に、族長の時代が過ぎ去った。
神の御手の働きによって、イスラエル人は多産だったので、おびただしく増え、すこぶる強くなり、その地(ゴシェンの地を中心とした一帯であろう)に満ち、彼らはイスラエルという一民族になっていた。それは、子孫が増えるというアブラハム契約の成就であった。
ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こり、対イスラエル政策を立てた。聖書の神を知らないことが原因で、神を全く度外視する理屈や理論、無神論、人間の考えが出てくるのである。極度に中央集権化された古代エジプトにおいて、イスラエルの民を苦役で苦しめるために、監督が置かれ、彼らは重労働を課され虐待された。しかし苦しめれば苦しめる程、神の不思議な力の働きゆえに、この民はますます増え広がったので、人々はイスラエル人を恐れた。
それでエジプトはイスラエル人に、強烈な炎天下での過酷な労働を課し、非人間的な強制労働で彼らの生活を苦しめた。歴史上、最初のイスラエルに対する迫害である。出エジプト記では、「奴隷の家であるエジプト」と表現されている。しかし、神にとってイスラエルの民は救いの相続人、神の特別な関心と恩寵の目的であった。
新約聖書には、「奴隷たちよ。あなたがたは、キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。」と書かれている。キリストのしもべとして、心から神の御心を行ない、人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えるのである。罪の奴隷から解放された者は、神の奴隷となって、永遠のいのちに至るのである。 |
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| 12月20日 |
【神の御手の働きA】 出エジプト記1:15-22 |
エジプトの王は、ヘブル人(エジプト人がイスラエル人を軽蔑的に呼ぶ差別語)の助産婦たちに、ヘブル人の女に分娩させる時、男の子なら殺さなければならないと命じた。古代イスラエルの慣習では、男子が家系を継いだ。また、男子の出生は、神との約束の特別な意味をもっていた。しかし、助産婦たちは神を恐れ、王が命じたとおりにはせず、男の子を生かしておいた。
彼女たちは王よりも神を恐れる信仰によって、命がけで神に従う道を選び、間違ったことを命じた王の命令に従わなかったのである。
神は、この助産婦たちによくしてくださった。それで、イスラエルの民は増え、非常に強くなった。助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。神の御前には、神を恐れて歩む者だけが尊ばれる。「わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。わたしをさげすむ者は軽んじられる。」Tサムエル2:30 パロの第二の計略も、神を恐れる助産婦たちの抵抗によって、失敗に帰した。
また、パロは全国民に、ヘブル人に生まれた男の子は皆、ナイル川に投げ込まなければならないと命じた。敵は死によって、神の御業を妨害しようとした。後に、エジプト人は神の裁きによって、苦しむことになる。
「聞いていることによく注意しなさい。あなたがたは、人に量ってあげるその量りで、自分にも量り与えられ、さらにその上に増し加えられます。」マルコ4:24 「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」ルカ6:38 |
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| 12月27日 |
【神の御手の働きB】 出エジプト記2:1-10 |
イスラエル人のレビ族の男女(アムラムとヨケベテ)が結婚した。彼らに男の子が産まれたが、神の目にかなったかわいらしい(非常に美しい、神からのしるし)子だったので、信仰によって、彼らは、イスラエル人の男の子は皆ナイル川に投げ込まなければばらないという王の命令を恐れないで、三ヶ月間隠しておいた。信仰とは、神を恐れて、人を恐れないことである。
しかし、とうとう隠しきれなくなったので、かご(ノアの「箱舟」と同じ言葉)に入れて、ナイル川の葦の茂みの中に置いた。その子の姉(おそらくミリアム)が、どうなることかと少し離れた所に立って見ていた。すると、ちょうどそこに、パロの娘が水浴びをしようとナイル川に降りて来た。エジプトの肥沃な土地は、ナイル川の定期的な増水によるもので、ナイル川は神格化されていた。古代エジプトでは、神聖なナイル川で水浴びをすることは、身をきよめ、寿命を長くすると信じられていた。
パロの娘はかごを見つけ、あけて見ると男の子で、泣いていた。彼女はその子をあわれに思い、「これはきっとヘブル人の子供です」と言った。その時、その子の姉が間髪を入れない機転をきかせ、「ヘブル人の乳母を呼んでまいりましょうか」とパロの娘に言ったので、彼女は承諾し、その子の母親が連れて来られた。王女は無意識のうちに、神の救いの計画に参与していた。
神の御手の働きによって、モーセの母は、エジプト王家の特別保護のもとに、十分な賃金をもらって、自分の子供を育てたのである。神の計画を妨害するためのサタンの道具であったパロが、サタンの力を打ち砕くための神の器となるモーセを養い育てた。ここに、神の摂理と信仰による復活の力を見ることができる。
その子が大きくなった時、母親はその子をパロの娘のもとに連れて行った。その子は王女の養子として迎えられ、モーセ(引き出すの派生語)と名づけられた。彼女が「水の中から、私がこの子を引き出したのです」と言ったからである。後に、モーセはイスラエルの民をエジプトから引き出す者となった。 |
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