エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2009年11月
11月1日 【長子の権利の継承A】 創世記48:13-22
 ヨセフは二人の子を、弟のエフライムはイスラエルの左手に、兄のマナセはイスラエルの右手に向かわせた。右手は力の象徴であり、強い者、尊い者、選ばれた者を表わし、右手の方が、左手よりも大きな祝福を与えると考えられた。すると、イスラエルは、右手を伸ばしてエフライムの頭の上に置き、左手をマナセの頭の上に手を交差して置いた。手を置くことは、祝福を与えることであり、霊的賜物や超自然的な力の分与を意味する。長子の権利は、弟のエフライムのものとなった。長子の祝福を、長子でない者が得たのである。イスラエルが、弟のエフライムに兄のマナセよりも大きな祝福を与えたことは、神の御旨による。神の主権的な賜物と選びの現実である。神の賜物と召命は変わることがない。

 イスラエルは、先祖アブラハムとイサクが仕えた神、自分の羊飼いであられ、全ての災いから自分を贖われた神に、子供たちを祝福し、彼らが地の間中で豊かに増えるように、また、自分の名がアブラハムとイサクの名前とともに、唱え続けらるように祈った。アブラハム、イサク、ヤコブの名とともに、神の契約が引き継がれていくためである。

 ヨセフは、父が右手をエフライムの上に置いたのを見て、それは間違っていると思い、父の手をつかんで移そうとし、マナセに右の手を置くように父に言った。神の選びは人の選びと異なるのである。「人はうわべを見るが、主は心を見る。」Tサムエル16:7 しかし、父は拒んで、「わかっている。弟の方は兄よりも偉大な者となり、その子孫は多くなる。」と言った。神の決定によることの自覚である。 後のイスラエルにおいて、エフライムは強大になった。イスラエルが二つの王国に分裂した時代、エフライムは北部のかしらとなり、後には、北王国そのものをエフライムと呼ぶことになった。こうして、イスラエルはエフライムをマナセの上に立て、エフライムとマナセの名は、祝福を語る場合の格言にまでなった。

 イスラエルはヨセフに、神は彼らととともにおられ、彼らを先祖の地に返してくださることを、また、彼にシェケムを取るようになると語った。後に、シェケムはマナセのものとなった。シェケムはカナンにおいて、ヨセフの子らの占める地域の中心近くであり、ヨセフはシェケムに埋葬された。
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11月8日 【契約の民としての祝福@】 創世記49:1-12
 ヤコブは十二人の子らを呼び寄せて、終わり(後)の日に起こることを告げた。

 ルベンは長子、ヤコブの力の初めの実、優れた威厳と力のある者。しかし、激流のように奔放であった(抑制のきかない状態、衝動的で、特に性的な自制を欠いていた)ので、長男の特権を失った。父の寝床を汚し、不道徳なことをしたからである。ルベンはリーダーシップをとれなくなり、後にルベン族はガド族の陰にかすんでしまう。

 シメオンとレビは似た兄弟、彼らの剣は暴虐の道具。彼らはシェケムでの暴虐のゆえに、「彼らの仲間に加わるな。呪われよ。彼らの激しい怒りと甚だしい憤りとは。彼らをヤコブの中で分け、イスラエルの中に散らそう。」と言われた。

 この二人の子孫は、独立を失った。イスラエルの部族がカナンに定着した後、シメオン族の相続地はユダの相続地に統合され、人々は各所に散って行ったようである。レビ族はイスラエルの祭司となり、土地の割り当てがなく、祝福として各所に散らされた。

 四男のユダ(誉めたたえるの意)には、祝福の言葉が語られた。ユダは、兄弟たちにたたえられ、敵に打ち勝ち、父の子らに伏し拝まれる。ユダは獅子の子(活動力に富み、悠然として、恐れを知らない姿)、獲物によって成長する。獅子は、百獣の王、力、威厳、大胆不敵、難攻不落などを備えた姿である。黙示録には、イエス・キリストのことを「ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利を得た」と書いてある。王権(杖:権力のしるし)はユダを離れず、ついにはシロ(平和の王)が来て、国々の民は彼に従う。ユダは南で最も強力な指導的な部族となり、そこから全イスラエルの王ダビデが出て来た。

 シロは、雌ろばの子を良いぶどうの木につなぐ。常識では、ろばを貴重なぶどうの木につなぐことはしない。ぶどうの木が、瞬く間に食い荒らされてしまうからである。また、彼はその衣をぶどうの血で洗う。これらは、ぶどうの生産が考えられない程豊かであることの表現であり、シロが来た時の繁栄の状況を物語っている。彼の目はぶどう酒よりも黒く、その歯は乳よりも白い。これは、健康な人の姿の表現である。
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11月15日 【契約の民としての祝福A】 創世記49:13-28
 ゼブルンには、商業活動による祝福を得るという内容が語られた。
 イッサカルは、安逸を欲し政治的独立を失い、カナン人の支配に置かれて税を納めた。牧草地で休息して満足し、喜んで奴隷となるろばに比べられている。
 ダン(裁く、裁き人の意)は、おのれの民を裁き、独立を保つ。政治的自主性を示している。
 ガドは、彼を襲う者のかかとをかえって襲う。軍事的な強さが暗示されている。
 アシェルは、食物が豊かになり、王の食べるようなごちそうを作り出す。
 ナフタリは、放たれた雌鹿のように自由で活気があり、美しい子を育て同じ性格を維持する。

 ヨセフは、泉のほとりの実を結ぶ若枝。その枝は垣を越える。彼は、敵に悩まされても負けない。これは全能者の
御手により、岩のように揺るぐことのない牧者、イスラエルの民を守る神による。神は彼を助けようとされ、祝福されようとする。その祝福は、天の祝福と地を潤す水の祝福、多くの子孫を得る豊かさと繁栄の祝福。彼の父の祝福は、永遠の丘(エルサレムか、それ以上に来たるべき神の国)のきわみにまで及ぶ。山のように動くことなく確実であり、大きくなり、多くの富によって祝福される。 

 ベニヤミンは、かみ裂く狼。勇気と力があり、常に敵から戦利品をもたらす。士師記19章〜21章のベニヤミン族のあさましい事件と略奪結婚の預言でもある。

 ヤコブはイスラエルの十二部族に、契約の民として、おのおのにふさわしい祝福を与えたのであった。ユダとヨセフへの祝福が、最も多くの言葉が用いられて顕著である。本当に祝福されているのは、ヨセフだけと言ってもいい。これらは、預言であり、遺言であり、叱責と呪いも含まれていた。 
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11月22日 【カナンの地への埋葬@】 創世記49:29-50:21
 ヤコブは、以前ヨセフに命じておいたカナンの地への埋葬を、改めて十二の子たちに命じた。彼らが一つの群れに属し、約束の地に彼らの心を向けさせるためであった。墓地を買い取ったマクペラのあるカナンの地は、イスラエルの国になるということが主張されている。イスラエルの属すべき所、所有すべき約束の地が、カナンであることの再確認の要求であった。ヤコブは、子らに命じ終わると息絶えた。このことは、神の約束への信仰の、ヤコブの全生涯をかけた証であった。

 ヨセフは、神に用いられた父の生涯に感動して泣き、父に口づけした。ヨセフは、彼のしもべである医者たちに、腐敗を防ぐ必要があり、実用的な目的のために、父をミイラにするように命じた。エジプトは七十日間喪に服した。ヤコブの喪はパロ並であった。その後、実に盛大な行列で、カナンの地に上って行って行なわれたヤコブの葬儀は、非常に荘厳で立派な哀悼の式だった。ヤコブは、エジプトの国葬に相当する礼を尽くされたのである。

 ヨセフの兄弟たちは、父が死んだ後、ヨセフの仕返しを恐れ、赦しを請い、ひれ伏して言った。「私たちはあなたの奴隷です。」再度、ヨセフの17才の時の夢が成就したのであった。ヨセフは彼らを慰め、優しく語りかけた。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたがたや、あなたがたの子どもたちを養いましょう。」

 ここに、ヨセフ物語の主題が最終的に明示されている。それは、聖書信仰の頂点であり、キリスト者の品性である。

 ヨセフは、神に代わって、兄たちを裁くことなどできないと言った。彼は、かつての敵を赦しただけでなく、彼らを養い、実際の思いやりと愛の行ないをもって報いた。善をもって、悪に打ち勝ったのである。ヨセフと兄弟たちの信頼関係は回復した。彼らは和解し、互いに契約の民の一員であることを自覚したのであった。
11月29日 【カナンの地への埋葬A】 創世記50:22-26
 ヨセフと父の家族はエジプトに住み、ヨセフは110才まで生きた。父が死んだ時、ヨセフは56才であったと思われるので、ヨセフと兄たちとの真の和解は、ヨセフが17才の時から39年後のことであった。

 ヨセフは三代の子孫を見た。ヨセフは兄弟たち(ここでは身内の者、親族一般を指すのかもしれない)に言った。「私は死のうとしている。神は必ずあなたがたを顧みて、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます。」

 そうして、ヨセフはイスラエルの子らに誓わせて、「そして、カナンの地に帰る時には、必ず私の遺体をカナンへ持って行ってください。」と言った。イスラエルの民がエジプトを出る時、自分の遺体を携え上るように遺言したのである。

 これは、ヨセフの信仰による行為であった。「信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子孫の脱出を語り、自分の骨について指図しました。」へブル11:22 エジプトがあくまでも寄留の地であるという契約ゆえの理解を、ヨセフもはっきり継承していた。天の故郷への憧れのひな型である。「神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」へブル13:7-8

 これは、そのまま出エジプト記への準備となった。300年以上が経ち、イスラエルの出エジプトの時、モーセはヨセフの遺骸を携えて来た。40年の荒野の旅路を経て、ヨシュアの時代になり、イスラエル人がエジプトから携え上ったヨセフの骨は、シェケムの地に葬られた。その時、そこはヨセフ族(マナセ)の相続地となっていた。ヨセフの骨の埋葬までの長い期間は、イスラエルの民の苦しみと信仰の旅路であった。
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