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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2009年10月 |
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| 10月4日 |
【ゴシェンの地に住む@】 創世記46:8-34 |
エジプトに来たイスラエルの子(神の民イスラエルに属する者)は、皆で七十人(後のイスラエルの先祖となる)であった。「七十」は、増加に先立つ理想的な完全数である。エジプトに赴くことにおける神の御業の完全性を示そうとしている。
ヤコブは、ヨセフをゴシェンに連れて来るために、ユダを一足先にヨセフのところへ遣わした。ユダは父の信頼を得て先導した。ヨセフは父イスラエルに会うなり、父の首に抱きつき、その首にすがって泣き続けた。イスラエルはヨセフに言った。「もう今、私は死んでもよい。この目であなたが生きているのを見たからには。」イスラエルは、もう思い残すところはなかった。死が希望の成就となったのである。
ヨセフは兄弟たちや父の家族の者たちに、パロに羊を飼う者である私の家族の者たちが来たことを知らせるので、パロが職業を聞く時には、先祖から今まで、家畜を飼う者だと答えなさいと言った。そうすれば、彼らはゴシェンの地に住むことができるからであった。
羊を飼う者はエジプト人に忌み嫌われていた。エジプト人が羊飼いを嫌ったのは、宗教的な立場の違いと、定住している人たちが遊牧民に対してもつ嫌悪感からであった。外国人を蔑視するエジプトに住むことが、固有の民族としての意識を育てた。
エジプト人が忌み嫌う職業を、わざと告げようとしたヨセフの意図は、第一にイスラエル人をエジプト人の生活から切り離すため、第二にそこが牧畜に適した地であったからである。ナイル川の三角地帯の豊沃な地方は、農業や牧畜にうまく使われていた。
ゴシェンの地は、ナイル川上流の住民から隔離された地域で、外国人の住む場所であったようである。イスラエル民族が混血しないで、一つの民族として成長していく上で役立った。イスラエルをエジプトの生活の中に埋もれさせないようにし、イスラエルの固有性をどこまでも維持しながらのエジプト滞在であった。
「旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。」Tペテロ2:11-12 「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。」ピリピ3:20 |
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| 10月11日 |
【ゴシェンの地に住むA】 創世記47:1-14 |
ヨセフはパロのところに行き、家族の者たちが、カナンの地から来て、今ゴシェンの地にいると言った。そして、兄弟の中から五人を選んで、パロに引き合わせた。兄弟たちは、パロに尋ねられた時、ヨセフから言われたとおりに、自分たちの職業は先祖から羊飼いであると答え、職業が維持されなければならず、家族として別の方向に転向できないことを、パロに感じさせた。彼らはパロに、カナンの地がききんが激しく、牧草がないので、ゴシェンの地に寄留させてほしいと言った。その後、イスラエルの民は、神が預言されたとおりに、四百年の間、エジプトに寄留し、奴隷とされ、苦しむことになる。パロはヨセフに、エジプトの地は彼に任せてあるのだから、家族たちを最も良い地であるゴシェンの地に住ませ、彼らの中に力のある者がいたら、自分の家畜の管理責任者にするように言った。それは、ヨセフゆえの好意の表われであった。
それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、パロの前に立たせた。ヤコブはパロを神の祭司として祝福した。ここに、神の民とこの世の勢力との平和な出会いの模範がある。「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。」ローマ13:1 「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」Tテモテ2:1 ヤコブがパロに、自分のたどった年月は不幸せだと言ったのは、自分の過去の失敗についての反省と、自らの責任自覚を含む表現であった。
ヨセフはパロの命じたとおり、家族たちにエジプトで最も良い地、ラメセスの地(ゴシェンの地の別名)を所有として与えて住ませ、彼らに食物を与えて養った。ききんが非常に激しかったので、全地に食物がなく、エジプトの地もカナンの地もききんのために衰え果てた。ヤコブの家の特別な祝福と地の住民の対照に、キリストの尊い血によって贖われ、養われる神の民の豊かさと、救いを渇望する世の人々との違いを見る。人々にキリストの救いを分かち合おう。
それで、ヨセフはエジプトとカナンの全ての銀を穀物の代金として集め、パロの家に納めた。ヨセフの金銭管理の潔癖さが表われている。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」ルカ20:25 |
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| 10月18日 |
【地を支配する働き】 創世記47:13-26 |
エジプトの地とカナンの地にあった食物の代金としての銀が尽きた時、エジプト人は皆ヨセフのところに来て食物を求めた。それに対し、ヨセフは彼らの家畜と引き替えに食物を与え、飢えた人々を慎重に導き通した。
次の年、人々はまたヨセフのところに来て、食物と引き替えに自分たちと農地を買い取ることを要求し、パロの奴隷となることと種を求めた。それでヨセフは、エジプトの全農地をパロのために買い取り、民を奴隷にした。そして、民に種を与え、収穫の五分の一をパロに納めるように定めた。
すると民は言った。「あなた様は、私たちのいのちをお救いくださいました。私たちは、あなたのお恵みを頂いてパロの奴隷となりましょう。」民衆のヨセフへの評価と信頼の大きさを示している。これまでのヨセフの政策の賢明さを、エジプトの民は十分に理解し、ヨセフに感謝していた。
民を奴隷にすることは、苦役を強いるような関係に入ることではなかった。種は無償で配布され、五分の一の税は非常に寛大な小作人制度(古代社会の税率は、4割〜6割)であり、民衆に十分な配慮が与えられていた。
ただし祭司の土地だけは、パロのものとならなかった。古代エジプトでは、祭司は特権階級であり、パロが与える給与によって生活していたので、穀物を買い続けることができ、土地を売らなかったからである。祭司は、王の任命や国の礼拝形式を変更するといった権限や影響力をもっていた。
ヨセフは七年の飢饉の間に、パロの財政を豊かにし、パロの家畜を増やし、多くの土地を国有化した。彼は、将来のための構造改革、抜本的土地改革をし、エジプトは中央集権国家を確立した。このことは、万物が御子キリストに従う時、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われ、国を父なる神にお渡しになり、神が全てにおいて全てとなられることの型である。 |
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| 10月25日 |
【長子の権利の継承@】 創世記47:27-48:12 |
イスラエルはエジプトでゴシェンの地に住み、所有地を得、多くの子を産み、非常に増えた。大いなる国民としてのイスラエルが、刻々育ちつつあった。ヤコブはエジプトで17年生きながらえたので、ヤコブの一生の年は147年であった(アブラハムは175年、イサクは180年)。
イスラエルは死ぬべき日が近づいた時、ヨセフを呼び寄せ、愛と真実を尽くして、自分をエジプトの地に葬らず、カナンの地にある先祖たちの墓に葬るように頼み、ヨセフに誓わせた。イスラエルは、寝台の枕元で感謝を表わした。それは、契約の民としての信仰の表現であった。神が、必ずイスラエルの民を再びカナンの地に導き上ると約束されていたからである。
ヤコブ(押しのける者)という名前は、神が下って来られた愛の深さを表わし、イスラエル(神の王子)という名前は、ヤコブが引き上げられた神の愛の高さを意味する。“こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。”エペソ3:17-19
ヤコブの容態が思わしくないと聞いて、ヨセフは二人の子マナセとエフライムを連れて飛んで行った。イスラエルは力をふりしぼって床に座り、二人の子エフライムとマナセを自分の養子にすると言った。イスラエルの肉体の目はかすんでいたが、霊的な信仰の視力は鋭かった。
彼は、神のご計画のうちに、エフライムとマナセに定められていた上下の地位についてだまされなかった。弟のエフライムが長子の特権を得た。エフライムとマナセは、ヤコブの子らと同列に置かれ、部族の祖となる地位が、ここから始まった。ヨセフは、長子の特権の二倍の分を受けた。後に、ヨセフの部族は、二つの部族として独立して相続地を受けた(レビ族は相続地を持たなかった)。神の御業の完全数である十二に数を合わせている。
“イスラエルはヨセフに言った。「私はあなたの顔が見られようとは思わなかったのに、今こうして、神はあなたの子どもをも私に見させてくださった。」”神の御業であることの確認である。“まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」”Tコリント2:9 |
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