エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2009年8月
8月2日 【ヨセフのもと行き、彼の言うとおりにせよ@】 創世記41:53-42:16
 エジプトの地にあった豊作の七年が終わると、ヨセフの言ったとおり、七年のききんが来始めた。そのききんは全ての国に臨んだが、ヨセフの語った対策が実行されていたため、エジプト全土には食物があった。やがて、エジプト全土が飢えると、民はパロに食物を求めて叫んだ。そこでパロは全エジプトに言った。「ヨセフのもとに行き、彼の言うとおりにせよ。」ヨセフは全ての穀物倉を開けてエジプトに売った。また、世界中が穀物を買うために、エジプトのヨセフのところに来た。
 パロの預言的な夢が次第に成就する時、ヨセフ自身の夢の成就の最終場面の舞台が準備された。ヨセフはエジプトを救い、全世界に救いの祝福を分かち与えるべき厳粛な使命によって立てられた。ヨセフは異邦人に受け入れられ、理想的な支配者として人々に仕えていた。ヨセフはイスラエルと全地の祝福の管、いのちを救う者とされた。これは全くキリストの型である。食糧不足のため、人々はエジプトに行かざるを得ない。このことが兄弟との再会となり、神の民の歴史に大きな意味をもつことになった。

 ヤコブはエジプトに穀物があることを知って、息子たちにカナンの地から下って行って、穀物を買って来るように言った。しかし、ヨセフの弟ベニヤミンを兄弟たちと一緒にやらなかった。災い(致命的な事故)が彼にふりかかるといけないと思ったからである。ヨセフ亡き後、ベニヤミンが父の偏愛の新しい対象となっていた。
 時にヨセフはエジプトの権力者であり、穀物の売買の総責任者であった。ヨセフの兄弟たちは来て、顔を地につけて彼を伏し拝んだ。ヨセフの夢が現実のものとなった。ヨセフには兄弟たちだとわかったが、兄弟たちにはヨセフだとはわからなかった。ヨセフが三十八才位になっていて、兄弟たちの経験と想像の世界を余りにも超えた立場になっていたからである。

 ヨセフはかつて見た夢を思い出して、やがて全家族がもう一度一つにされることにつながると直感した。そして、兄たちをスパイ扱いし、ベニヤミンを連れて来るように言った。それは、兄たちがベニヤミンに対してどのような感情をもっているか(かつて自分に対した時のような感情を今もまだもっているか)知りたかったからである。また、同じ母の子のベニヤミンに会いたかったからである。ヨセフは兄たちの真の姿を探るために、兄たちを試みた。兄たちが昔と変わって善良になっているかどうか、その後の彼らの真実な心を知るためであった。
メッセージのトップへ戻る
8月9日 【ヨセフのもとに行き、彼の言うとおりにせよA】 創世記42:17-28
 ヨセフは兄弟たちを三日間、監禁所に入れておいた。彼らの一人をやって、弟ベニヤミンを連れて来るという厳しい条件と、三日間の監禁は、兄たちの過去の罪を反省させる機会を与えるためだった。

 ヨセフは三日目に兄弟たちに言った。「次のようにして、生きよ。私も神を恐れる者だから。」彼は、世界を造られた唯一の真の神を信じ、厳しくはあるが必要な時にはあわれみがある人物なので、彼らに助かる機会を与えようという意味である。ヨセフは条件を緩め、彼らに兄弟の一人を監禁所に残し、家族の飢えを救うために穀物を持って帰り、末の弟を連れて来るなら、彼らの言い分は確かめられ、殺されはしないと言った。それは、イスラエルの共同体復帰の実現への過程であった。

 兄弟たちは互いに、確かに我々はヨセフにひどいことをしたから、罰を受けて、こんな苦しみに会っているのだと言った。いわれのない刑罰のゆえに、かつてのヨセフに対する不当な仕打ちの痛みを強く感じたのであろう。ルベンは兄弟たちの罪の責任を告発した。ヨセフの兄たちは、心を探り出すような苦しい試練、非常に痛い良心の責めを通過させられた。

 エジプト語を話していたヨセフは、兄たちの過去の彼に対する罪を認める偽らぬ自責の念を垣間見て、彼らから離れて泣いた。それから、ヨセフは次兄のシメオンを縛った。かつて、長兄のルベンがヨセフを救おうとしたことを聞いたからであろう。シメオンには暴虐な面があった。

 ヨセフは、彼らの袋に穀物を満たし、銀をめいめいの袋に返し、道中の食料を与えるように、人々に命じた。それは、ヨセフの本心、善意の現われであった。「善をもって悪に打ち勝ちなさい。」と、聖書には書いてある。しかし、同時に彼らの心を試すためであったかもしれない。

 宿泊所で、兄弟たちの一人が袋の中に自分の銀を見つけたので、彼らは心配し、身を震わせて互いに言った。「神様がこうしてくださったんだ。でも、これはどういう意味だろう。」神は、人々の日常の出来事に働きかけ、最善に導いておられるのである。
メッセージのトップへ戻る
8月16日 【ヨセフのもとに行き、彼の言うとおりにせよB】 創世記42:29-43:10
 兄弟たちは、エジプトからカナンの地に帰り、父ヤコブにその身に起こったことを全て告げた。しかし、ヨセフに対するかつての罪については何も話さなかった。そして、ベニヤミンを連れて行くなら、エジプトに出入りできることに重点を置いた。それから、彼らが自分たちの袋をからにすると、めいめいの代金の銀の包みがあるのを見て、恐れた。スパイ扱いされている上に、盗みの嫌疑をかけられるからである。ヤコブは年来の息子たちへの不信感と自己憐憫から、息子たちがいなくなっていくことを嘆いた。ルベンは長子としての自覚から、ベニヤミンの安全に責任を感じ、彼を連れて帰ることを保証しますと言ったが、父の信頼をそれ程得ていなかったようである。ヤコブはベニヤミンは行かせない、もし彼に災いがふりかかれば、自分は悲しみで狂い死ぬことだろうと言った。ヤコブはベニヤミンへの強い愛着ゆえに、彼が自分から離れることを極度に不安がった。ヨセフとベニヤミンの母ラケルに対する愛の強さを感じさせる。ヤコブは、自分は今、不幸のどん底にいると思った。しかし、やがて彼には思わぬ幸福が訪れようとしていた。「天よ。喜び歌え。主がこれを成し遂げられたから。地のどん底よ。喜び叫べ。山々よ。喜びの歌声をあげよ。林とそのすべての木も。主がヤコブを贖い、イスラエルのうちに、その栄光を現わされるからだ。」イザヤ44:23

 さて、その地でのききんはひどかったので、イスラエル(ヤコブ)は再び行動を強いられた。彼らがエジプトから持って来た穀物を食べ尽くした時、イスラエルは息子たちにまたエジプトに行って、食料を買って来ておくれと言った。苦しみは人を真に結びつける。しかし、ユダはヨセフの言葉を無視しては何もできない、ベニヤミンを一緒に行かせるなら、下って行って、食料を買って来ましょうと言った。イスラエルは息子たちへの不信から抵抗した。ベニヤミンの年令は、おそらく三十才を越えていた。この年令の子供に対するイスラエルの愛着は、必ずしも正常ではない。偏愛の悪癖である。子に対する愛より、自分の拠り所としての意識が強かったのではないか。ユダは自分のいのちをかけて、ベニヤミンを連れ帰ることを父イスラエルに確約した。全責任を負って立とうとするユダの態度は、家族の危機を救おうとする熱意において、イスラエルの同意の道を備えるものであった。
8月23日 【ヨセフのもとに行き、彼の言うとおりにせよC】 創世記43:11-34
 父イスラエルは、一族諸共飢え死にするよりはましだと考え、カナンの地の名産の贈り物と、二倍の(より多くの)銀と、前回返された銀を携え、弟ベニヤミンを連れてヨセフのところへ出かけて行くように、息子たちに言った。ヤコブにとっては、ベニヤミンと離れるか、一族が生きるかの選択だったが、全能の神に全てを委ねた。

 ヨセフは、ベニヤミンがエジプトに下って来た兄弟たちと一緒にいるのを見るや、昼にともに食事をすることにした。和解を必要としない肉親との再会の喜びゆえである。ところが、兄弟たちはヨセフの家に連れて行かれると恐れ、奴隷にされると思い、取り越し苦労をした。兄弟たちが、ヨセフの家の管理者に、前回返されていた銀について説明すると、彼はそれは神から彼らへの贈り物であったと言い、彼らをもてなした。ヨセフのしもべが、ヨセフに仕えるゆえの言葉と行ないであろう。ヨセフが神を恐れていることの反映である。ヨセフは家の管理者に、あらかじめ十分な指示を与えておいたらしい。管理者の応対は、実に行き届いて親切である。神の民の最善のために、神が導いておられた。

 ヨセフが家に帰って来ると、兄弟たちは二度、彼を伏し拝んだ。ヨセフの夢の実現である。ヨセフは彼らの安否を問い、父親のことを尋ねた後、ベニヤミンを見て、神の恵みを祈った。ヨセフは弟なつかしさに胸が熱くなり、急いで奥の部屋に入って行って泣いた。

 食事の時、ヨセフの指図によって、兄弟たちは年令順に座らされたので、互いに驚き合い、神の干渉の御手を感じた。ヨセフの食卓から、彼らに分け前が分けられたが、ベニヤミンの分け前は他の五倍も多く、特別扱いされた。彼らはヨセフとともに食事をして楽しんだ。ともに食事をすることは、和解と親交のしるしである。
メッセージのトップへ戻る
8月30日 【神の摂理の御手@】 創世記44:1-29
 ヨセフは、兄弟たちの食料の袋の口におのおのの穀物の代金を入れ、ベニヤミンの袋の口には、ヨセフの銀の杯も入れておくように、家の管理者に命じた。ヨセフは兄たちに、父の溺愛するベニヤミンを用いて、最後のテストを試みた。それによって、兄たちが本当に心から変えられた人間になったかどうかを知ろうとしたのである。全ては和解のための備え、十分な計画性をもっての行動であった。

 明け方、兄弟たちが送り出された後、ヨセフの家の管理者が彼らを追って行き、主人の銀の杯を彼らが取って行ったと問い詰めた。彼らは、「しもべどもがそんなことをするなどとは、とんでもないことです。それが見つかった者は殺してください。そして私たちもまた、ご主人の奴隷となりましょう。」と言い、連帯責任を負おうとした。しかし、家の管理者は、「見つかった者は、私の奴隷となり、他の者は無罪としよう。」と言った。

 彼らが急いで、おのおのの袋を開くと、その杯はベニヤミンの袋から見つかった。そこで彼らは着物を引き裂き(深い悲しみや憤りを表わす)、おのおの町に引き返した。兄弟たちはベニヤミンを見捨てず、父との約束を裏切らず、自分たちの安全と将来を確保しないで、ベニヤミンに起こったことを自分たちに起こったことと受け止め、ベニヤミンと一緒に町に引き返したのである。

 兄弟たちは、ヨセフの前で顔を地に伏せた。ユダは、ヨセフのことを「わが主」と言い、自分と父のことを「あなたのしもべ」と言った。これも、かつてのヨセフの夢の実現である。ユダは、盗みをしていないにも関わらず、「何の申し開きができましょう。神がしもべどもの咎をあばかれたのです。」と言った。それは、神からの避け難い有罪宣告だった。ここに、かつてヨセフを売った罪に対する自責の念がよく表われている。

 神のみが、良心の中に真の罪の自覚を起こし、魂に神の御前での自分の状態の恐るべき低さを認めさせることができる。

 ユダの「私たち全員が奴隷になりましょう。」という申し出に対し、ヨセフの「ベニヤミンだけが奴隷となり、他の兄弟は安心して父のもとに帰るがよい。」という発言は、兄弟たちの心を一層苦しめた。すると、ユダがヨセフに近づいて、「父はことのほかベニヤミンを愛しています。」と語り始めた。
メッセージのトップへ戻る