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| エクレシア桜 礼拝メッセージ |
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| 2009年6月 |
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| 6月7日 |
【ユダの家系に現わされる恵み@】 創世記38:1-14 |
ヨセフがエジプトに売られた頃、ユダは父の家の兄弟たちから離れて下って行き、ヒラというアドラム人の近くで天幕を張った。アドラムは避難所という意味であり、後にユダの領域の西部となった。そこでユダはカナン人の娘と結婚した。
イスラエル人はカナン人との結婚を避けた。カナン人は他の神を礼拝し、道徳的にも極めて低劣だったからである。約束の民の系列より離れてのカナン人への同化の危険は、やがて長子、次子が子なきままに死ぬことによって、ユダの系列の消滅の危機となった。
高潔なヨセフと低俗なユダが、対照的に記されている。ユダの家系が神のご計画の中で特別に用いられるようになるのは、人の業ではなく一方的な神の選びと恩寵の業である。人間の罪の愚かさを乗り越えられる、神の偉大な恵みと愛である。イエス・キリストの系図に、早くから異邦人の血が入った。神が、罪と汚れのうちに生まれてくる罪人を救おうとされる恵みの御旨が含まれている。罪のうちにきよめの業を進められる、神のご計画である。
ユダは、長子エルにタマル(なつめやしの木の意味)という妻を迎えた。しかし、エルは主の目に悪であり、主の意に反して罪を犯し続け、主を怒らせたので、主は彼を殺した。
ユダは、次子のオナンに義弟の義務を果たし、兄のために子孫を起こすように言った。しかし、オナンは兄嫁のところに入る度に、子種を地面に流した。兄嫁との第一子は死んだ兄の世継ぎとなり、遺産を相続するため、自分の受ける遺産が少なくなるとの思いがあったのであろう。
彼のしたことは主を怒らせたので、主は彼をも殺した。義弟としての責任を果たすことを装ったオナンの罪は、人と神を欺くものであった。そこでユダは、嫁のタマルに三男のシェラが成人するまで、父の家でやもめのままでいるように言った。それはシェラもまた、兄たちのように死ぬといけないと思ったからである。
かなり日がたって、ユダの妻が死に、喪が明けた時、ユダは羊の毛を切るために、友人でアドラム人のヒラと一緒にティムナに上って来た。ティムナはタマルの父の家の近辺だったので、タマルはやもめの服を脱ぎ、ベールをかぶり、着替えをして、ティムナへの道にあるエナイム(二つの泉の意味)の入り口に遊女のふりをして座った。
それはシェラが成人したのに、自分がその妻にされないのを知っていたので、ユダによって子孫を残すためであった。ヘテ人の場合の逆縁婚は、まず弟、次に父が義務をもつ規定があった。タマルはヘテ人であったのかもしれない。
タマルは欺かれないために、欺きの手段に訴えた。律法では、子がないままで死んだ兄の弟は兄嫁と結婚する義務があったが、息子の嫁と寝ることは道ならぬことであり、死刑だと書かれている。 |
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| 6月14日 |
【ユダの家系に現わされる恵みA】 創世記38:15-30 |
ユダは道端に座っていたタマルを見た時、彼女が顔を覆っていたので遊女だと思い、彼女のところに入った。彼はその女が自分の嫁だとは知らなかったからである。遊女を買うユダは、道徳的に堕落していた。タマルの計略はうまくいった。彼女はあらかじめ周到な計算をし、注意深く行動し、報酬の保証の品として、ユダからひものついた印形(地位ある人が首にかけておく)と杖(地位と権力の象徴)を受け取っておいた。
約三ヶ月して、ユダに、「あなたの嫁のタマルが売春をし、みごもっている」と告げる者があった。そこでユダは言った。「あの女を引き出して、焼き殺せ。」ユダの三つの罪は、シェラが成人してもタマルを与えなかったこと、遊女を淫行の罪を犯したこと、自分の罪は黙秘したまま、タマルの姦淫の罪を裁こうとしたことである。
タマルは引き出された時、ユダの印形と杖をさし出した。ユダはこれを見定めて言った。「あの女は私よりも正しい。私が彼女を、わが子シェラに与えなかったことによるものだ。」それは、二重、三重の罪を犯したきたことの自覚であり、告白だった。ユダは自らの恥を公衆にさらすことになったが、その非を速やかに認めた。こうして彼は再び彼女を知ろうとはしなかった。
タマルの出産の時になると、なんと、ふたごがその体内にいた。一つの手が出てきたので、助産婦はその手に真っ赤な糸を結びつけた。しかし、その子が手を引っ込めた時、もう一人の兄弟の方が出て来た。そこでその名は、ペレツ(出し抜き、割り込む、破れ目)と呼ばれた。破れ目は緊急に外に出るために壁を破る時にできるものである。
このペレツがイエス・キリストの系図に入った。その名前は、「打ち破り」をもたらすキリスト、「破れ口」を修理し、とりなしをしておられるキリストを表わすかのようである。そのあとで、真っ赤な糸をつけたもう一人の兄弟が出て来た。それでその名は、ゼラフ(真っ赤、輝く)と呼ばれた。その名前は、キリストの血潮によって、罪から救われ、きよめられ、輝く、新しい一人の人なる教会を表わすかのようである。主イエスは、聖とされる者を兄弟と呼ぶことを恥としないで、御名を兄弟たちに告げ、教会の中で賛美される方である。 |
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| 6月21日 |
【主がともにおられたヨセフ@】 創世記39:1-23 |
ヨセフがエジプトへ連れて行かれた時、パロ(エジプト王の称号)の廷臣で侍従長のポテファルが、ヨセフを奴隷として買い取った。ヨセフは家の仕事を割り当てられ、主がともにおられたので、彼のすることは全て成功した。それで主人はヨセフをことのほか愛し、その家と全財産を管理させた。その時から、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家と全財産を祝福された。達成された業績は、主の業であり、アブラハムの子孫が他国への祝福となるという、神の約束の成就だった。ヨセフは兄弟に売られたが、つぶやかず、正しい道を歩き続け、神を恐れ、神に従った。父の偏愛の子としての誇り高く、自己満足の傾向をもつ彼がきよめられる機会となり、あらゆる境遇が全て彼の人間成長に役立った。
主人の妻は、体格も良く、美男子のヨセフに目をつけ、「私と寝ておくれ。」と言った。しかし、ヨセフは彼女を拒んだ。ヨセフは、自らの手の業を祝福される神が一切の中心であることを深く学び、主人への誠実の根を十分に深く神の中に置いていた。神に罪を犯すことはできなかった。人に対する罪は、神への罪である。それでも彼女は毎日ヨセフに言い寄ったが、ヨセフは聞き入れず、彼女と一緒にいなかった。「あなたの道を彼女から遠ざけ、その家の門に近づくな。」と箴言5:8には書かれてある。
ある日、ヨセフは主人の妻に上着をつかまれ、上着を残し、逃げて外に出た。彼女は本能的に自己防衛のための偽りを考えつき、ヘブル人(社会的に蔑視される名)の奴隷が、いたずら(強姦の婉曲な言い方)しようとしたと言って、その家の者どもと主人を欺き、罪をことごとくヨセフに着せてしまった。ヨセフの上着は、またも彼を傷つける欺きの手段に使われた。主人は怒りに燃え、ヨセフを捕え、王の監獄に入れた。強姦の通常の処罰は死刑だったので、最終的に解放される臨みのある禁固刑は、明らかに軽い処分であった。
しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。監獄の長はヨセフに全ての囚人を委ね、ヨセフはそこでなされる全てのことを管理するようになった。彼が何をしても、主はそれを成功させてくださった。神の恵みと祝福は、困難な状況の中でさえも変わることがない。ヨセフの試練の目的は、第一に人々が排斥した一人の人が高く上げられることであり、次にその排斥についての罪の自覚を、その人々のうちに起こさせることだった。主の臨在を失わないために、罪を悔い改め、罪を犯さずに歩もう。 |
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| 6月28日 |
【主がともにおられたヨセフA】 創世記40:1-23 |
ヨセフが監獄に入れられて後、エジプト王の献酌官(高級官僚)と調理官(高官)とが、エジプト王に罪を犯して、侍従長の家にあるヨセフが監禁されている監獄に入ってきた。侍従長はヨセフを彼らの付き人にした。ヨセフは捕らわれ人に仕える、更に低い立場に置かれた。
献酌官長と調理官長とは、二人とも同じ夜にそれぞれ意味のある夢を見たが、解き明かす人がいないので元気がなかった。エジプトでは夢の解釈の専門化が多く存在していた。
ヨセフは彼らに、夢を解き明かすことは、神のなさることだと言って、献酌官長の夢の話を聞いて、解き明かした。それは、主がヨセフとともにおられたための知恵であった。献酌官長に三日のうちに釈放されて復職するという夢の解き明かしをした時、ヨセフは、「あなたが幸せになった時には、きっと私を思い出してください。私に恵みを施してください。私のことをパロに話してください。この家から私が出られるようにしてください。実は私は、ヘブル人の国から、さらわれて(盗まれて)来たのです。ここでも私は投獄される(穴に入れられると同じ言葉)ようなことは何もしていないのです。」と言った。
ヨセフが兄弟たちに売られたと言ったり、主人の妻を訴えたりしていないことに、ヨセフの偉さと品性の高さを見る。
献酌官長の夢の解き明かしが良かったのを見て、調理官長も自分の夢を話したが、三日のうちに木につるされるという、ミイラ化を願う宮廷人にとって最悪の極刑の解き明かしだった。三日目のパロの誕生日に、献酌官長と調理官長は呼び出され、ヨセフが二人に解き明かした夢のとおりになった。
ところが献酌官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった。忘恩的な無視である。人は誰でも自分のことで頭が一杯であり、他人のことなど殆ど気にかけようとはしない。獄中の一奴隷の願いなどにまともに関わっていられなかったので、完全に無視する結果となった。心にかかりながらも、一度投獄された過去ある人間として、パロのきげんを損なう可能性のあることを口にできなかったのであろう。しかし、ヨセフが17才の時に見た夢が実現する時がやってくる。 |
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