エクレシア桜 礼拝メッセージ
 
2009年5月
5月3日 【べテル(神の家)の神A】 創世記35:9-20
 ヤコブがパダン・アラムから帰って来て、べテル(神の家)で神を礼拝した時、神は再び彼に現われ、彼を祝福された。イスラエルの名が、子孫と所有の地についての約束の保証として語られ、単に個人的なことではなく、選びの民への全能の神の祝福が語られた。

 ヤコブは、神が彼に語られたその場所に、記念として石の柱を立て、神へのささげ物として注ぎのぶどう酒を注ぎ、また聖別して油を注いだ。ヤコブは、その所を人々の共感のうちに、もう一度新しくべテルと命名した。

 彼らがべテルを旅立った時、ラケルは産気づいて、ひどい陣痛で苦しんだ。彼女が死に臨み、最後の息を引き取ろうとする時、その子をベン・オニ(私の苦しみの子)と呼んだ。しかし、その子の父はベニヤミン(右手の子)と名づけた。

 右は、名誉、幸運、卓越性、力、権威、権力を現わす。ベニヤミンは、約束の地で誕生した唯一の子である。ヤコブは、母の死を代償とした子の誕生に、積極的な意味を見出した。

 神の臨在と計画によって見る信仰の判断と、環境によって見る自然性の判断との違いは大きい。死と生は舌に支配される。主の御心と臨在に立ち、信仰によって語ろう。

 こうしてラケルは死に、ベツレヘムへ向かう道の傍らに葬られた。ヤコブは愛妻ラケルの墓に、記念碑として石の柱を立てた。その場所は、後にベニヤミン族の領地となった。
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5月10日 【エドムの歴史とヤコブの歴史】 創世記35:21-36:43
 イスラエルは旅を続け、ミグダル・エデル(羊の群れの塔)のかなたに天幕を張った。ルベンは父のそばめビルハの所に行って、これと寝た。ルベンはこの不倫の行為によって、長男であるにも関わらず、長子の権利と祝福を失い、代価を払った。その原因の一半は、ヤコブの多妻主義にあった。ヤコブの息子は12人であり、長子の権利は11男のヨセフに与えられた。

 ヤコブはヘブロンのマムレにいた父イサクの所に行った。それから12年程して、イサクは高齢のうちに満ち足りて180才で死んだ。彼の子エサウとヤコブは、彼をアブラハムの墓地に葬った。

 エサウはエドム人の先祖であり、カナン人の女たちとイシュマエルの娘を妻にめとった。エサウは弟ヤコブから離れて、セイルの山地に住みついた。それは、二人がともに住むには彼らの持ち物が多すぎて、家畜の牧草のことなど難問が山積していたからである。二人はともに住めない程の祝福を神から受けていたのである。

 エサウの子孫から族長たち、王たちが出て来た。それは、「わたしは、あなたの子孫をおびただしくふやし、あなたを幾つかの国民とする。あなたから、王たちが出て来よう。」(創世記17:6)と言われた神の約束の成就であった。

 アモス書には、ダビデの幕屋が回復され、エドムの残りの者、すなわち主の名で呼ばれる異邦人(国々)が主を求めるようになると預言されている。全ての人が神に愛されている。教会はユダヤ人と異邦人からなる新しい一人の人である。ダビデの幕屋が回復され(イスラエルの回復、教会の回復、24時間礼拝、キリストの王権の確立)、全ての人が主を求めるように祈ろう。
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5月17日 【ヨセフが見た二つの夢@】 創世記37:1-5
 ヨセフの生涯は、族長の歴史からイスラエル民族の歴史への転換期である。ヨセフはキリストの型であり、父の愛の対象であり、兄弟のねたみの対象となった。兄弟たちは、父との親しい愛の関係をもっていなかった。

 ヨセフが17才の時、兄たちと羊の群れを飼っており、彼はまだ手伝いだった。一緒にいた兄たちは女奴隷の子であり、ヨセフは父の最愛の妻ラケルの長い不妊の後の最初の子であった。ヨセフは兄たちの悪いうわさを父に告げ口した。ここに、ヨセフの自分の地位についての自己満足からの霊的高慢さを否定できない。

 イスラエルはヨセフをどの息子よりかわいがり、この子にだけは裾の長い晴れ着を作ってやった。彼は年寄り子のヨセフを特別扱いして偏愛し、極端に執着した。ヤコブも母リベカの偏愛の子だった。父イスラエルの偏愛が、ヨセフ自身に感化を与えた。偏愛は人を幸福にするどころか、かえって不幸にする。

 神は、一人一人に、その人の行ないに従って報いをお与えになる。神にはえこひいきなどはないからである。人をえこひいきしてはいけない。もし人をえこひいきするなら、罪を犯しており、律法によって違反者として責められると聖書に書かれている(ヤコブ2:1、9)。

 ヨセフの兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、彼と穏やかに話すことができなかった。ヨセフは夢を見て、それを無邪気に兄たちに告げた。すると彼らはますます彼を憎むようになった。ヨセフは夢(真理)を語ったが、深い思慮に欠け、必ずしも賢明なことではなかった。
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5月24日 【ヨセフが見た二つの夢A】 創世記37:6-11
 ヨセフが見た夢の一つは、預言的象徴の啓示であり、畑の束をたばねていると、突然、ヨセフの束がまっすぐに立ち上がり、兄たちの束が回りに来て、おじぎをするというものだった。ヤコブの家族はイサクと同様、牧畜とともに耕作も行なっていたのであろう。それを聞いた兄たちは、「おまえは私たちの上に立って治める王となり、私たちを支配しようとでも言うのか。」と言って、夢や言葉のことで、ますますヨセフを憎むようになった。

 もう一つの夢は、太陽と月と11の星がヨセフを伏し拝んでいる(頭を下げる)というものだった。前の夢に比べて父母を含み、それだけ範囲が広がっていた。イスラエルの全家を支配するというのである。ヨセフが父や兄たちにこの夢を話した時、父は彼をしかった。ヨセフは全く孤立した。兄たちはヨセフをねたんだが、彼らの憎しみが、これらの二つの夢が実現するワンステップとなった。預言的夢への反抗は、神への反抗である。これらの夢とヨセフの生涯は、キリストの十字架と復活と昇天の型であった。

 しかし、父はこのことを心に留めていた。明らかにそこに何らかの重要な意味を感じ、それが神よりのものであると悟ったのである。ヤコブは、これから先、どのような神の摂理の御手の下に、ヨセフを伏し拝むことになるのだろうかと、不思議な思いにとらわれた。イエスの母マリヤも、イエスに関する不思議なことを心に納め、思い巡らすことがあった。イエスは、預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけであると言われた。

 後に、ヨセフがパロの見た夢を解き明かした時、夢が二度くり返されたのは、このことが神によって定められ、神が速やかにこれをなさるからであると言った。
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5月31日 【エジプトに遣わされたヨセフ】 創世記37:12-36
 イスラエルはヨセフに、シェケムで羊の群れを飼っている兄たちの所に使いに行ってもらいたいと言った。ヤコブはシェケムに百ケシタの土地を買っていた。ヘブロンからシェケムまでは80km、更にシェケムからドタンまで25kmの道程を、ヨセフは兄たちのあとを追って行った。ヨセフをはるかかなたから見て、兄たちは彼を殺そうとたくらんだ。兄たちはヨセフのことを「夢見る者」と言ったが、それは「夢想家」とか「空想家」という侮蔑の表現であった。

 長男のルベンは、ヨセフを救い出そうとして、「殺すことだけはいけない」と言ったが、彼らを阻止する指導力はなかった。彼らは彼が着ていた父の偏愛の象徴であるそでつきの長服(特権)をはぎ取り、彼を捕えて水がない水溜めの穴に投げ込んだ。それから彼らが食事をしていると、イシュマエル人の隊商(遊牧民商人の総称、ミデヤン人と混合であったと思われる)が来て、エジプトに下っていくところであった。すると、ユダが弟を殺すのは止めて、イシュマエル人に売ろうと言った。ヨセフの危機を救うのに、最も効果的と直感したからに違いない。彼らはヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚(子供の奴隷の値段)で売った。

 彼らはヨセフの長服を取り、雄やぎをほふってその血に浸した。そして、その長服を父の所に持って行き、ヨセフの死の責任を逃れるために、「どうか、あなたの子の長服であるかどうか、お調べになってください。」と言った。「あなたの子」という表現は、ヨセフに対して兄弟の感情をもっていない表われだった。子やぎの肉と毛皮、兄の晴れ着で父を欺いたヤコブが、雄やぎの血とヨセフの晴れ着で息子たちに欺かれた。ヤコブは幾日もの間、その子のために泣き悲しんだ。彼の子供たちが皆来て、父を慰めたが、彼は慰められることを拒んだ。

 あのミデヤン人はエジプトで、パロの廷臣、その侍従長ポティファルにヨセフを売った。

 後になって、兄弟たちは苦しみの時、「弟のことで罰を受けているのだなあ。」と言い、ルベンは「彼の血の報いを受けるのだ。」と言った。また、ユダは父に、弟ベニヤミンの保証人となり、責任を負うと言い、ベニヤミンの代わりに奴隷となって、彼を救おうとした。ユダは、自分のいのちを与えて赦しの架け橋になろうとし、キリストの型となった。このユダから、ダビデとキリストの系図が出た。

 ヨセフがエジプト全土の統治者となって、家族をききんから救った時、「今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。」「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それは今日のようにして、多くの人々を生かしておくためでした。」と兄たちに優しく語りかけた。
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